第三章 ディス・カントン・アールガウ巡礼 2 ズウェーフェーゼレ→ビスケー湾→ラ・ロッシェル→エゲム
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私は西の大陸に渡りさえすればズウェーフェーゼレから直接アーラウへ向かう方法はいくらでもあると思っていた。スパグスが大げさに言っているだけだろうと。だがズウェーフェーゼレの港に降り立つとその考えが甘いことがよくわかる。そこは本当に何もないところだった。こんなところで生活することが可能なのだろうかと思うほどだ。ロックタイト島のマルサシュロック港も狭かったが、それとは比べることはできないほど小さな港で船が係留していなければ港とはわからないだろう。崖を削ったのか元々そのような場所だったのかわからないが、一応港の体裁をしていた。「本当にここなのか?」と私はスパグスに訊いたほどだ。私は船長に荷物を渡され、崖の上の小屋の中に入れておいてくれ、と頼まれた。船が再びヘントヴェヘルへムへ戻っていくのを私は見送る。私は取り残された気分になり、とんでもないところに来てしまったな、とため息をついた。
ズウェーフェーゼレは崖の斜面に無理矢理に作った集落で、おそらく船を着けることができたのがこの場所だけだったためにそのようになったのだろうが、人が住むには全く適さない場所だった。船着き場が最も低い場所にあり、この町から抜け出すための入り口まで延々と石造りの階段を上り続けなければならない。急すぎるところはつづら折りのように階段が続いていた。百段まで数えていたがまだ半分も行っていないので私は数えるのをやめてしまった。階段の途中に小屋が何軒かあったので試しに声をかけてみたが無人なのか息を潜めて隠れているのか、とにかく誰とも遭遇しなかった。件の荷物は最初に見つけた小屋に放り込んでおいた。どうやらそこは倉庫のようで荷受人がここから荷物を引き出して各地に運ぶのだろう。
この集落には犬一匹いない。人の気配もない。もちろんお店などもなく、ただただ寂しい場所でうち捨てられた町と言われても私は納得しただろう。ここは長居する場所ではない。
私は階段を上り続け息が上がってきたので休憩したいと申し出た。石段に座り私は煙草を吸った。座ると汗が噴き出してきた。
町の入り口には申し訳程度の門があったが扉がなく、門柱もひどく劣化していた。触ると倒れてしまいそうだった。
町を出ると右手には渓谷があり遙か下を川が流れ、海に注ぎ込んでいる。渓谷はずっと北まで続いており、私たちは渓谷に沿って進むことにした。立ち寄る予定はないのだが対岸にエゲムという鎖国している町があるはずなのだが肉眼では確認することはできなかった。
渓谷を進み山を越えてたどり着いたビスケー湾は穏やかで渡し船も多くなんの問題はないとスパグスから聞いていたが、湾といっても海のように広く、対岸が見えないほどだった。北の湖から冷たい海水が流れ込んでいるようで、汽水域となっているようだ。これを渡るのは骨が折れそうだ。渡し守を探してしばらく湾に沿って北上する。あたりは砂丘が広がっているので港を作るには向いていないようだ。良い漁場だろうに、町が作られないのはそのせいだろう。
地図では平地のように書かれていても切り立った崖や渓谷、山々などがあったり、道は基本的に険しく、しかも雨季を迎え雨が降ったりやんだりで、湿度も高く道中はかなり不快だった。私は額や首筋の汗を拭った。スパグスが言うにはこの辺りは西大陸の中でも辺境で住む人は少なく、こちら側からアールガウ島へ向かうのはあまり一般的なルートではないらしい。
近くの集落で船を雇った。集落といっても小屋が数軒立ち並んでいるだけだ。しかしこんなところで商売をして成り立つのかと心配したが、普段は漁をしているらしい。そりゃそうだ。船は小さく手こぎのボートで、皆が乗ると今にも沈みそうだし、波を受けると船の中に浸水していた。傍らに置かれた椀で常に水を捨てなければいけないが波がどんどん水を供給してくるので追いつくはずもなかった。対岸は霧で真っ白で見えない。水を捨てるのはスパグスに任せた。そうなると退屈で私はともすれば眠ってしまいそうになる。すべての音は霧の中に吸い込まれて消えてしまう。そうまるでこのままあの世に連れて行かれるようだった。目が覚めれば私は彼岸にいるかもしれない。
うとうととしているといつの間にか対岸のラ・ロッシェルにたどり着いていた。ラ・ロッシェルは比較的大きな港町で、船頭も普段はこちらに住んでいるらしい。
我々は新たに案内人を雇った、というのもこの先、狼が昼夜問わず襲ってくるらしい。なんて土地だと私は不安になったので護衛も兼ねてもう一人雇うことにしたのだ。それにスパグスの持つ地図があまり正確ではなく、表記とかなり違っていたため旅の安全を確保するため現地の人間を雇いたいという目的もあった。リスクはできるだけ避けて通った方が良い。
案内人はブカヨ・サカという青年で「問題ない」というのが口癖だった。ブカヨは現地の言葉で「神が人生に喜びを加えてくれる」という意味だそうだ。
西の大陸の人の言う「問題ない」は大いに問題があると同義であるとのちに知ることになる。
我々は予定通りにラ・ロッシェルから南下しパムぺルナを目指した。パルぺルナは次の目的地のカレーの中間地点にあり、エゲムの東に位置している。山麓に沿って南下し左側に進めばパムぺルナにたどり着けるようだ。先んじて進んでいたブカヨが地面にしゃがみ何かを調べている。我々が追いつくとこれを見てみろという。そこにはくっきりと泥の上に動物の足跡がいくつも残されていた。まだここを通ったばかりのようでその足跡は新しい。犬のものよりも一回り大きく、しかも我々の進行方向と同じようだ。日が暮れる前にパムぺルナにたどり着かなければ狼のいるど真ん中で野宿することになりかねなかった。だがブカヨは問題ない、パムぺルナにはすぐに着く、と言う。こんな山の中に町などあるのだろうかと私は訝しんだが、今はブカヨを信じるしかない。
早朝に出発したのだが、もうお昼が近いようだった。我々は高台で休憩をする。喉が思ったより乾いていたらしく水を飲み干し、昼飯がわりに林檎をかじった。
山道を進み続けたがいつまで経ってもパムぺルナは見えてこない。どうやら我々は道を間違えてしまったらしい。地図を広げて現在地を確認する。左に曲がれるような道はなかったが、山麓沿いにエゲムの方へ向かっているらしいことがわかった。確信は持てなかったが戻るよりもエゲムに向かう方が近そうだ。私は今更戻るにしても分かれ道はなかったのでこのまま進んではどうか、と提案した。エゲムは鎖国しているといっても旅人を無下にはしないだろうと思ったし、もしかしたら船がでているかもしれない。
ブカヨに訊いたが分かれ道はなかったと言い張った。何のために雇っているのかとスパグスが詰め寄ろうとしたが私はそれを止めた。不毛なことを言い合っても無意味だろう。
狼は群で襲ってくるため終始怯えながら進まなければならなかったし、もちろん野宿などできないのでかなりのハイベースでパルペルナを目指したために見落としてしまったのだろう。
パルぺルナで一泊して食料を補充して山を越える予定だったのだが狂ってしまったのでこの先どうするかスパグスに相談した。
エゲムで船を調達し一気にピッテムまで行くことをスパグスは提案した。ピッテムは中立都市なのでエゲムから船はでているはずだと言う。ブカヨにエゲムについて聞くと、かなり怯えるように応えた。
「あそこは良くない土地だ」
と言うので、何か知っているのか聞いてみることにした。初めは口が重くなかなか話し出さなかったが、スパグスが質問するうちにだいたいのことがわかってきた。
ブカヨはラ・ロッシェルで雇ったのでてっきりラ・ロッシェルが出身地だと思っていたがどうも違うらしくフォンテラビアというところの出身だそうだ。それはエゲムにほど近いところにあるという。地図をみたがそのような村の名は記載されていなかった。ラ・ロッシェルに至るビスケー湾のほとりにも名もなき集落があったが同じようなものかもしれない。
「フォンテラビアには仕事がない。大きな町へ行って働くんだ」
とブカヨは言った。地元な割に不案内だと思ったが、気分を損ねてもなんの意味もないので言わなかった。
ブカヨは決してエゲムの町へは入ってはいけないと言う。
「あそこは廃墟だ、もう誰も住んでいない」
どうして誰もいないのかと尋ねても何も言わない。
「あそこは死の町、呪われて出ることできなくなる」
と小さな声で言った。




