第二章 ロックタイト島綺譚 20
カウンターの向こう、禁退出の本が収められている蔵書庫の中に私たちは入っていった。蔵書庫の奥、書架一連の七段の棚板が丸々司書のコレクションのようだ。一目で分かったのは本棚が全て肋骨王にまつわるものだったからだ。
「これはすごいね」
司書のコレクションは壮観で、非の打ち所がない。私は目についた一冊を引き出した。
「これは肋骨王について言及した本か、初めて見るな。私家版か?」
私家版とは一般に流通していない書籍のことを指す。
「遺稿集よ」
遺稿集は葬儀や追悼会などで参列者に返礼品として配られるものだ。私家版の中でも数が少なく関係者以外で出回ることはほとんどない。故人の思い出を家族や友人たちが綴ったり、故人が残した雑文を集めただけだったりするため、他人にとっては価値のないものだが、こういう掘り出し物も稀にある。
「カバーもありか。表紙下少打ち疵、少シワ、カバー背やけ、ヨレジワ少疵、本体は経年のわりに保存状態が良好だ。よく残っていたものだ。これなら金貨一枚というところか」
「なにをぶつぶつ言っているの?」
また商売人の癖がでてしまった。
他の棚に並んでいる本も見たことがないものが多く、ミハエル・ブルガーコフやヴァーツラフ・ハヴェル、ニコライ・グラスコフの著したサミスダート物で、危険思想により持っているだけで刑が課される発禁ものがほとんどだった。サミスダート物はカーボン紙を用いて手書きで複製したりと部数が極端に少なく、仲間内で回し読みするものなのでほとんど世に出ることはない。少年が持っていた本も彼女の持ち物を譲ってもらったのかも知れない。
「よく、ここまで集めたね」
私は褒めた。その情熱は尊敬に値する。
「肋骨王並びにサミスダートを探るには他のメンバーのことを調べるのは当然のことでしょう? それに島国で誰も持ち出さないから散逸しないのよ」
そして数枚の肋骨レコードが目に止まった。
「こんな場所で肋骨レコードを拝めるなんてね」
私は言った。それはまるで宝石のように光っているように見えた。私に間接的に売った肋骨レコードの出所はここからのようだ。
「ここへは誰も入れない。あなたが初めてよ。少年もここへは入れてないわ。価値のわからない人間には見せたくないもの。当然、肋骨レコードの摘発もできないわね。木を隠すには森にってことね」
司書は言った。
私はその時、本棚の一角から一冊の本が自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。私は屈んで本棚からその本を引き抜いた。それは最大の賢女と誉高いゾーフィンゲン・フォン・アールガウの名著「フィジカ」だった。
ゾーフィンゲンは英雄の一人であり異名はスキヴィアス(道を知れ)である。彼女は学術都市シュラキエムで生まれ、両親ともに学者であった。アールガウ家は代々学者を輩出する家系であった。彼女は幼い時から病弱でありながら超自然的な能力を有していた。彼女の両親は八歳になると彼女を修道院に預けた。その後、彼女は天の啓示を受け予言をするようになる。その予言はことごとく的中し世間で波紋を呼び神の神託として人々は彼女を崇めた。災害を未然に防ぎ、多くの命を救った。王からその偉業を評価され二つ名を彼女は賜り、庇護を受けることとなった。
彼女は両親の元々の出身地であるディス・カントン・アールガウに修道院を建立した。アールガウは現在でこそ治外法権が認められている宗教国家であるが、当時はまだ修道院は少なく、不毛な土地であった。ぶどう畑が作られ、海の見える崖の上に建てられた修道院には彼女の名声により各地から修道女が集まった。王により修道院に対して保護の勅令が出され、ゾーフィンゲン修道院はアールガウ最大の修道院となった。別名、聖スキヴィアス修道院の名を冠し、ゾーフィンゲンは生涯を閉じるまで精力的な活動を続けた。けれど晩年は隠居し二度と表舞台へは出ることはなかったという。そんな晩年に出たのがこの「フィジカ」である。現在彼女の遺骨は聖遺物として修道院内に眠っていると言われている。
「植物二百三十、樹木六十三、元素十四、石と宝石二十六、魚三十六、島七十二、動物四十五、昆虫類十八、金属八の全五百十二項の素晴らしい名著よ」
司書は言った。ゾーフィンゲンは親の血を色濃く引いており博物学、医学、薬学に精通し薬草学の祖といわれている。病の起源だけでなく対処法が記されているのが特筆すべき点である。三百以上の薬草の効能と用法を示し植物から調合した薬剤の外用、内服による対処が記されている。
「けれど、今の時代にそぐわない部分も多いのよね、個人的感想だけど」
「それがいいんじゃないか。本は真実ばかりを書く必要はないのだから」
私は過去の賢人に思いを馳せた。私の最初の目的地はライフェンだが、それは手始めに過ぎず、アールガウは訪れてみたいと思っていたのだ。アールガウ関連の本を見つけたのもまた運命的な出会いともいえる。私はこの本が俄然欲しくなった。
「もしよかったらこれを譲ってもらえないだろうか?」
私は言った。
「どうぞお好きに。なんならタダでもいいわ」
「まさか、対価は払うさ。カタコンベの地図と交換というのはどうだい? 君も知りたかった情報を手にできるし私もレアな本が手に入る。悪くない取り引きだと思うが」
司書は怪しんでいる。
「私は構わないけれど、もし本当に宝があるなら地図を手放さないはずだし、レートが釣り合うはずがないもの。何か隠しているの?」
「何も隠してなどいないさ、レートはあっているよ、私が言えるのはここまでだ。先にネタばらしするほど野暮じゃないからね、あとは自分の目で確かめてみることだね」
私は言った。司書がカタコンベで肋骨レコードの山を見つけた時の顔は正直見てみたかったが。
司書はかなり疑い深い性格らしく、眉根を寄せ私を見ている。私が何か隠しているのかまだ疑っているのだろう。私は少年のくれたカタコンベの地図に秘密の部屋と印をつけたものを司書に渡した。
「信じられないならガイドしてやってもいい。もちろん別料金だが」
私は言った。
「遠慮しておくわ。子どもじゃないもの。気を使うのは苦手よ。それに私の感情が揺さぶられているところを他人に見られたくはないもの」
「無理強いはしないがな。けれど急いだ方がいいかもしれない。別に脅しているわけじゃないけど。行ってみればわかるさ」
私はそう言った。私が秘密の部屋に入ったせいで今まで保たれていた奇跡の均衡がもうすでに崩れてしまったかもしれないが。
「わかったわ」




