第二章 ロックタイト島綺譚 12
少し加筆しました。
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領主側からしても私の逃亡を阻止するためだろう、昨日は彼らが用意した新市街の宿屋で泊まったのだが一人で過ごすには広過ぎて落ち着かずよく眠れなかった。朝が来ても私は起きられず、ずっと微睡んでいた。
朝食は珈琲を一杯飲んだだけだ。宿屋へ執事が約束の時間より大幅に早く来たせいだ。朝から最も相手をしたくない人物の一人だろう。それにこれから一日執事と一緒なんて考えただけでうんざりする。お目付役の執事は朝から綺麗に髪も髭も撫で付けられてきちんとした身なりをしており、寝ぼけた私とは対照的だ。協力というよりはあきらかに監視なので何も期待はしていない。けれど一緒にいることで入れない場所にも入れるので利用できるものは利用することしよう。不愉快で鬱陶しいことこの上ないのは我慢するしかない。
私たちは早朝から新市街を歩いていた。目的地は宿屋からほど近い場所にある大聖堂である。ここはこの新市街ができて最初に建てられた建物で最も古いものらしい。ロイヤルオペラハウスに変わり町の象徴ともいえる建物で、夜に読んだ歴史書によると総長のロックタイトがこの大聖堂の地下に安置されているらしい。聖遺体なので公開はしていないようだけれど。安息日には外に溢れるほど人が駆けつけて皆で祈りを捧げるそうだ。今は早朝なので人もまばらである。中に入ると荘厳なステンドグラスや石柱、柱や壁の彫刻も素晴らしい。見学できる部分はここだけだが、私の目的地は地下だ。
結論から言うと領主権限でも地下へは入れないということだった。それは想定内であった。我々が入れないのなら領主の息子も入れないであろう。地下はかなり深い場所にあるようで螺旋階段を下った先に大きな扉があった。扉は施錠され無理やり入ることはできなさそうだった。駆けつけた警備員に執事が扉を開けるように言ったが警備員は申し訳なさそうに首を振った。執事もそこまで食い下がることはなかった。まぁ別段総長の墓を見たかったわけではない。どのような場所か確かめたかっただけだ。
私が次に向かったのは少年が通っているという学校だった。さすがにここへは無断で入ることはできないので、あのような条件をつけたのだ。
私の睨んだ通り、この町の文化レヴェルは高いようだ。学校は一貫校で、格式高く入学するのも卒業するのもかなり難しいようだ。学生たちの肌の色も聞こえてくる言語も様々で国外からも優秀な人材が留学してきているらしい。
元は修道院だったらしいが、今は学校として使われているようだ。門のところに衛兵がいたが話が通じているのか後ろの執事の顔が知れているためか何も咎められずに入ることができた。中は修道院の面影を残し、派手さはなく簡素で歴史を感じた。私はこちらの方が好きだ。いつか本当の修道院に訪れてみたいと思っている。だが私は建物を見に来たわけではない。私は入口の案内板で目的地を確かめると校舎棟から中庭に出て横切る。中庭は静かで学生が思い思いに過ごしている。私は少年の通っていた教室に行くわけではなく、まっすぐ図書館へ向かう。
大きな木製の扉を開けると古い紙の匂いが私を出迎える。図書館は昔、騎士団の礼拝堂だったようで、私は少し敬虔な気持ちになった。図書館はワンフロアをすべて使い建物の中でも講堂と並んで一際大きな場所を占めている。
図書館に旧市街の図書館の本が全て移されたということだったがなるほどここなら全てを収蔵できるだろうし、実際かなりの蔵書量だ。大きな書架がいくつも並んでいる。各書架には梯子がついていて頭上高くの本も取れるようになっている。ジャンルも様々だが、専門書、特に宗教関係が多いようだ。学生は静かに過ごしており、別段こちらへは関心を示してはいない。司書だけがこちらを見て怪訝な表情を浮かべている。私は別に本を借りに来たわけではもちろんない。「こんなところに何の用があるんだ?」と口には出さないが執事の顔には浮かんでいるのがわかる。私はそれに対しては何も言わない。私は書架を辿る。哲学、人文学、医学と進む。目的の書架は奥まったところにひっそりとあった。郷土史、歴史のコーナーである。Aから指でなぞりLの項目で手を止める。『ロックタイト島の歴史 カタコンベ編 下巻』を発見する。引き抜くと裏表紙にロックタイト中央図書館蔵───ロックタイト中央図書館というのが昔旧市街にあった図書館のことだろう───とスタンプが上巻と同じように押されていた。私の持っている本の下巻で間違い無い。上巻も本来ここに所蔵されるべき本だ。上巻にはなかったが、下巻の奥付にカードが挟み込まれている。上巻はここのものではなく、移設時に弾かれてしまったのだろうか。借りるときに司書に渡すものであろう、カードは新品のようで日付のスタンプは少ない。そりゃ下巻だけを好き好んで借りるような酔狂な人間は少ないだろうな、と私は一人勝手に納得した。
私は下巻をパラパラとめくる。中間あたりで折り癖がついている。そこは迷路が描かれているページだった。紙の表面を触ると凸凹としている。他の紙を重ねて写し取ったのであろう。その時の筆圧で凸凹になったものと思われる。おそらく行方不明の少年の仕業であろう。いささかこの本を持ち運ぶには少年にとっては重いしかさばるから写し取って加筆したのだろうと私は推測した。
その本を手に私はカウンターへ向かう。司書が身構えるのがわかった。
「ちょっと聞きたいことがあるのだけれどいいかな」
私は言った。
「どのようなご用件でしょうか?」
司書が言った。司書は女性で歳は若そうだ。彼女はアルビノなのだろう。皮膚も髪も全てが真っ白で、目は薄いブルーだが、見る角度によっては真っ赤に見える。虹彩の色素が少ないのか目の中の血管が透けて見えるのだろう。長い髪を後ろでまとめ身長は高いがそれを気にしているのか少し猫背気味だ。アルビノのせいかはわからないが、目が悪いのだろう眼鏡をかけている。先生たちが着ていたものと同じとても地味な司書の制服を着ている。また女史は肩から斜めにリンゴの形をしたアクセサリーを下げている。真っ赤な林檎は彼女の白さを際立たせていた。私は思わず見惚れてしまった。だがあまりジロジロと見ても失礼なので要件に入った。
「この本を直近で借りた人物を知りたいんだが。日付では数日前に返却されているようだからね」
それ以前は数年前の日付だ。まぁそれを借りたのが誰かは調べる必要もないのだけれど一応確認しておこう。後ろにいる執事も見ていることだし。もし思っているのと違う人物ならそれはそれで手がかりになる。
「それは部外者にはお教えすることができません。相応の理由が必要ですし、正式な書類を揃えていただいて申請したのちに学長の許可が下りましたらまたお越しください」
今時珍しい。彼女の態度には好感が持てるがもう少し融通がきいてもいいのではないだろうか。私は質問を変えることにする。
「ここの本は誰でも借りれるのかい?」
私は聞いた。
「いえ、学生だけです」
「ジュリオ・ペリッツァーリという名に心当たりは? その少年が行方不明になっているのはご存知ですよね?」
「ええ、もちろん知っています。今朝学長から知らされました。彼はよくここを訪れていましたから心配です」
司書は答えた。
「私は彼を探している者なんだが。それが相応の理由とはならないかな? あなたが職務に精励なのはけっこうなことだけど」
司書は逡巡すると仕方がありませんね、と小さな声で言った。
「わかりました、特別ですよ」
司書はジュリオ・ペリッツァーリの貸出カードを探し出し、カウンターの向こうで確認している。私は覗き込もうとしたら司書に嫌な顔をされた。
「確かにその本を最後に借りたのは彼のようですね」
「あなたはこの本のことはご存知ですか?」
「一応司書ですから。実際にその本を書架に戻したのも私です。けれど、内容までは承知しておりません」
司書は言った。
「この本は返却日には返さずかなり延長しているのではないですか?」
司書はカードに記された貸出日の日付を見る。
「そうですね、一ヶ月ほど延滞していますね。基本的に次の予定が入っていない限り催促することはありませんので」
一ヶ月あればカタコンベを調べることはできただろう。ファントムとして移動は地下を使っていたのだと思われる。
「ありがとうございます。少し彼のことを伺ってもよろしいですか?」
司書はため息をつく。
「はい、わかる範囲なら」
司書によると少年は予想できたことではあるがあまり教室へは行っていないらしく、来たとしても教室ではなくこの図書館へ来ていたらしい。成績は優秀だがそれほど目立つ存在ではないらしい。友人もいないとのことだ。もちろん領主の息子であることは当然わかっているが特別扱いはしていないようだ。
「最後にここへ訪れたのはいつですか?」
「そうですね、珍しく夜に雨が降った日の午前中だったと思います。一週間ほど前でしょうか。その本を返却に来た時です。その後は見ていません」
「立ち入ったことを聞きますが、あなたとは親しかったですか?」
「いいえ、個人的な話はしたことがありません」
司書はそろそろ仕事に戻りたいので、と言った。
「最後に、カードはないのだけれど、この本をしばらく借りても構いませんか?」
私は聞いた。もし断られたら領主の息子と同じように迷路のページをこの場で写さなければならなくなる。本心では他の部分も確認しておきたい。
司書はしぶしぶという感じで「どうぞ、お持ちになってください」と言った。




