第二章 ロックタイト島綺譚 7
その時、前方から近衛兵が二人歩いてくる。近衛兵はお互いに顔を見合うとお互いに何やら合図を出した。こんな裏路地に偶然来たとは思えない。明らかにこちらに目的があって近づいてくるようだ。
「おじさん、逃げた方がいいよ」
「私は何も悪いことはしていない。なぜ逃げる必要がある?」
「僕の忠告を聞いた方がいいと思うよ。厄介事に巻き込まれたいならご自由に」
少年はませた口調でそう言った。
私は脱兎の如くかけだした。
近衛兵に腹をさぐられても痛くもかゆくもないのだが、荷物を調べられるとまずいことになる。私は肋骨レコードを持っている。島の近衛兵が肋骨レコードを知っているか甚だ疑問だが用心するに越したことはないだろう。稀少な盤を没収されたらたまらない。私は潔白を証明するよりは逃げることにした。
少年がこっちだよ、と私を手引きする。慣れているのか町の路地を知り尽くしているようだ。私は素直に後に従うことにする。
路地から路地、塀や柵を乗り越え他人の家の庭を通り私は迷宮に誘われる。私は後ろを振り返ったが近衛兵の姿は見えない。諦めてくれたのだろうか。けれどまだ油断はできないだろう。私たちは立ち止まり息をついた。少年は楽しそうに笑っている。
私たちはいつの間にかイル・ベルトに通じる外壁まで達していた。
「ここまでくれば奴らは追ってこないよ」
「君はやけに追っ手に詳しいんだな。君がファントムだからだろ?」
私は芯を食った。
「違うよ、ファントムは領主の息子だよ、嫌なやつさ」
少年はかぶり振る。
私は得心がいった。領主の息子だと皆が知っているのならそれで忖度して誰も通報したり密告はしないと酒場にいた男は言ったのだろう。要らぬ火の粉が自分に降りかかるのは誰でも勘弁願いたいと思うだろうから。
少年は外門からイル・ベルトの町へ入る。
「領主の息子はどんな奴だ?」
私は歩きながら聞いた。
「領主の言うことをなんでも聞く優等生だよ。僕と違ってね。跡取りだからね」
少年は言った。
「領主の息子はどうせワガママで傲慢で自分が世界の中心だと勘違いしているんだろ。親の権力が自分の権力だと思っている。いやそもそも最初から手にしているから意識さえしていないだろう」
「おじさん、領主の息子に恨みでもあるの?」
「そう相場は決まっているって話さ。もしまともな領主の息子がいるなら一度お目にかかりたいもんだね」
私は言った。
廃墟の町は静寂に包まれていた。朽ち果てた柱には蔦が絡まり、地面はヒースやヘザーといったエリカ属の植物が侵食している。打ち捨てられた廃墟の町は植物たちの楽園となり、その生命を謳歌しているように見える。
なぜ静寂の町と呼ばれているのか、ここが廃墟で墓所だからだろう。忌むべき町とも呼ばれているようだ。隣の路地から足音が聞こえる気がするが自分の足音が反響しているのか。路地から路地へ少年の後を進む。少年はなんの迷いもなく進んでいく。普段からよくここへ来ているのだろう。細い道に入り込む。潮の影響か、長い年月のせいか見るものすべてが朽ち果てている。石畳を歩くと馬の蹄の音やありえないが人の声が聞こえてきたり気配がしたりするがもちろん実際には誰もいない。自分と少年の息遣いと足音だけが響き渡る。辺りはうら寒くもの寂しい。廃墟には似合う天候だ。
「こっちだよ」
私は少年の後について歩く。
「一雨来るかもしれないね」
少年は言った。風が雲を駆り立てるように激しく流されて行く。
ロイヤルオペラハウスはほとんど壊されていて柱しか残っていない。かつての町のシンボル的存在は見るも無残な姿であった。
オペラハウスの地下には秘密の部屋がありそこで私生児が人知れず産まれ育てられた。それがファントムになったという伝承があると少年が説明する。ファントムは醜くつねに白いマントを羽織り顔を隠している。夜な夜な旧市街や新市街に出没すると酒場で親父が話していたのを思い出す。荘厳なオペラハウスを実際に見たならばその話もあながち作り話ではなかったのかもしれないと思わせただろうが、この廃墟では想像もつかなかった。
「もうすぐだよ」
少年は振り返りにっこりと微笑みかけた。
そこを抜けてさらに町の奥へ。四囲を廃屋に囲まれている本土ではよく見られる中庭のような場所にでる。こういう場所はまわりから隔てられているので潜伏するにはうってつけの場所だ。そこに掘立て小屋が建てられている。掘立て小屋といってもかなり本格的なものだ。
「僕の秘密基地なんだ。ここに来るのはおじさんが初めてだよ」
そういうとドアを開け、(きちんとした木製のドアだ)中を案内してくれる。中は床板も貼られていて机やベッドもあり、炉も設えられている。一際目を引いたのは本棚だった。本は少ないが大箱のゲームがいくつも並んでいる。見事なコレクションだった。中央のテーブルが少し大きめなのもゲームをするためだろう。
「まわりの廃屋から使えそうな木や物を取ってきて一人で建てたんだよ。敵が来たときに逃げることができる秘密の脱出口もあるんだ」
少年は得意げに言った。きっとかなりの労力が必要だっただろう。
「おじさん、もう友達だからね。ここを自由に使う権利をあげるよ」
私は秘密基地でしばらく過ごした後───ゲームを何ゲームかやったが、全て負けた───宿屋へ戻った。歩き回ったせいか、かなりの疲労感だ。部屋で寝転がり、煙草を吸いながらその煙の行方をじっと見つめていた。何かを考えているようで何も考えてはいない。しかし、やはり私の犯した失敗が脳裏に鮮やかに蘇る。やはり焦りがあったのかもしれない。
荷物から盤を取り出し改めて眺める。これは売らないでとっておくことにしよう。それは自分に対しての戒めでもあった。しかしこれが金貨二枚だと。それはよく考えるとありえない値段だ。同業者にオーダーしたとしても見つかるかはともかくとしても二枚はふっかけすぎと憤慨するレヴェルだ。おそらく断るだろう。しかも自分で言っていたではないか、盤は量産型の後期でせいぜい銀貨一枚だと。
この島にはお宝があるという私の予想は間違っていないはずだった。かつて金が取れたことにより人が集まり文化水準も高いように思う。かなり栄えていたこと、そして今は寂れてしまったこと。しかも島国のため一回物が入るとなかなか散逸しないこと。
今日は一件しか回れなかったので明日は商館できいた他の店を回ることにしよう。そろそろ寝ようかと考えていたところ、部屋のドアがノックされる。ドアを開けると宿屋の主人であり、すまなさそうに出て行ってくれないかと言われる。
「私がなにかしましたか? お金が足りないなら前払いします」
私はそう言ったが主人は申し訳ない、と繰り返すばかりで理由も言わず、にべもなかった。文句を言っても何も好転しないのは明らかだったので私は言い返すこともせず従うことにする。主人は前払いした宿代だけは返してくれた。私は荷物をまとめ一人、夜の街で取り残され途方に暮れることとなった。今日泊まる場所だけでも確保しなければならない。安宿ならどこか空いているだろう。しかし、何軒か廻ってみたもののどこも明らかに空いているのに断られた。どこへ行っても無駄だよ、とその目は語っている。なにか手配書でもまわっているのだろうか。私は野宿も視野に入れなければならないなと思い始めていた。幸い野営の準備は持参しているが正直こんな早い段階で野営するとは思ってもみなかった。まだ春先でしかも海が近いためか、夜はかなり冷え込むだろう。私は身震いするとそれで暖をとれるはずはなかったが、煙草を吸おうとポケットに手を入れる。するとメンドーサのマッチが出てきた。




