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神の頬に触れるような気持ち  年代記第七章  作者: ヌメリウス ネギディウス


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第二章 ロックタイト島綺譚 6


 私はせっかく肋骨レコードを手に入れたのに高揚することは微塵もなくただただ後悔に打ち(ひし)がれて店を後にした。忸怩たる思いだ。

 しかし珍しい物が手に入ったことには変わりはない。今は素直に喜ぶとしよう。私は肋骨レコードが折り曲がらないように本に挟むと手に入れた二品を鞄にしまった。肋骨レコードを手にしたのはいつぶりだろうか。年に一枚手にはいればいい方だ。しかも年々手にする頻度が減って来ているように思う。


「おじさん、あんな店で何をしてたの?」

 まだ声変わりしていない幼い少年の声だ。先ほど店の中にいた鳥のマスクをかぶった少年だ。私はそれを無視した。

「あんなゴミ屋で何をしていたの?」

 少年は繰り返した。私は急ぎ足で道を行く。

「君には関係ない」

 あまりにしつこいので私は言った。まったく子どもというのは鼻息が荒くて無遠慮で鬱陶しい。私はわりに寛容な方だが今は相手をしてやる気分ではなかった。少年は嘴付きの鳥のマスクをつけていて表情はわからないがこちらに興味津々なのはわかる

「ついていっていい?」

「ダメだ。私は忙しい」

 私は子どもが苦手だ。ずるくて計算高く、浅はかでそして嘘をつく。

 私はやれやれと立ち止まった。

「このマスクいいでしょう? 目のとこに赤いダイヤをはめ込めるんだよ」

 宝物を自慢するように少年は言った。

「それはペストマスクだ。当時ペスト医師がつけていたものだ」

「どうして知っているの? 大人でも誰も知らないのに」

 私は観念して言った。

「知識は身を助ける、覚えておくといい」

 私は少し少年を脅かしてやることにした。

「どういうこと?」

 少年は案の定食いついてきた。

「ペスト医師は国から依頼された人間だ。経験の浅い二流の医師か若い医師だ。果物屋をしていた医師でもなんでもない奴もいたそうだ」

「ペスト医師はその面をつけて、革の手袋をして蝋引きしたコートを羽織り、皮膚が見えないように密着したズボンを履いていたんだ。この島国でもそれは例外じゃなかったんだろうね、その仮面が残されているのが何よりの証拠だ」

 少年は黙って話を聞いている。

黒死病(ペスト)はその名の通り、腋や鼠蹊部のリンパ節が腫れ上がって黒い斑点が皮膚に現れる。早ければ一日、数日のうちに死に至る病だ。ほとんどのペスト医師は逆に感染して死ぬか逃げ出してしまったらしい。そのマスクも患者の息でペストが感染ると信じられていたからそれを防ぐためのものだったんだな。その赤いアイピースも患者の視線で感染ることを避けるために目を合わせるのを防ぐためだ」

 開いた隙間から少年の小さな目が見えた。

「おまえも逃げ出したほうがいいぞ」

「なんで?」

「ペスト菌は消えないからな。それが本物ならおまえ、感染るぞ」

 私は割に意地悪なのかもしれない。少年は怖くなったのか急いで仮面を外す。マスクの下から現れたのは年端もいかない金髪の巻き毛の少年であった。少年はマスクを投げ捨てた。

「冗談だ、真に受けるな」

 私は笑いながら落としたマスクを拾い、少年に渡す。かすかにハーブの匂いがする。このマスクは本物かもしれない。息など空気感染すると考えられていたため医師はマスクの中に香料を入れてハーブの匂いをまとわせたためだ。龍涎香(アンバーグリス)丁子(クローブ)木立長刀香需(ミントバーム)、樟脳、アヘンチンキ、サボンの実、没薬(ミルラ)、バラの花びらなどが用いられた。本物ならこのマスクの市場価値は銀貨一枚というところか、私は苦笑する。また職業病が出てしまった。

「ペストは瀉血が治療法といわれていたが、まぁ無意味だな」

「瀉血って?」

 時に知識のひけらかしは相手を黙らせる効果があるのだが、この子供はなかなかに熱心な生徒であるらしかった。私は初めに持っていたこの子どもに対する嫌悪感は少し和らいでいた。

「切開して血を抜くんだ。血を抜くことで体液の均衡を取り戻すという治療法だな。当時はとにかく血を抜けば治ると信じられていた。けれどそれで逆に傷口からばい菌が入り感染症になるのがオチだったようだが。科学的根拠のない、つまるところ気休めだ」

「おじさん、頭がいいんだね」

 少年は言った。

「別に頭は関係ないさ。講義はこれで終わりだ、わかったならさっさと行け」

 私は追い払った。それでも少年は立ち去ろうとはしなかった。

「おじさんこういうの集めてるんだろ? おじさん蒐集家ってやつ?」

「違う歩荷人だ。買受人もしているが」

「じゃあ、これいるんでしょ?」

 少年は背負っていた鞄から何冊かの稀覯本と古いゲームを出した。

「ただであげるよ、僕と友だちになってくれたらね」

「そんなものはいらない。物で友だちは作れないから今後のために覚えておくと良い。それに私は泥棒とは仲良くしない主義なんだ」

「これは僕のだよ、盗んだ物じゃない」

 少年は言い切った。この少年は先程の店で盗みをしていたのだろうと私は思っている。少年の言葉は嘘だとは思えなかったが本当だとも言い切れない。

「わかった、貸してみろ。本は『巨匠とマルガリータ』と『力なき者の力』か。両方ともこの地方ならではのお宝だ。発禁されたサミスダート物なのも価値が高い。この二冊は散逸すべきじゃないな。一冊なら銀貨一枚だが二冊で銀貨三枚というところか。ゲームは『利益・廃液(Müll & Money)』か。これはかなりレアだな。作者はユルゲン・シュトロームか。(知らない名前だ)あまり知られていないな。欠品はなさそうだ、これは金貨一枚出してもいい。金貨二枚で売れるだろうな」

 ゲームは私も正直初めて見る品だった。工場から出るゴミを処理しつつ工場経営の合理化を進めて利益をあげる、とある。想像はつかない。博物館クラスの逸品だ。

 私は妥当な額を提示したと思う。

「買って欲しいわけじゃない、あげると言ってるんだよ」

 少年は言った。

「じゃあ、いらないな、私にもプライドがあるんでね」

「じゃああんたに依頼するよ、歩荷人なんでしょ? 依頼料はこの本とゲームでいいかな? 足りない?」

「依頼にもよるな」

 初めから依頼など受けるつもりはなかったが私はだんだんとこの少年のペースに乗せられていた。

「僕がもしいなくなったら探して欲しいんだ」

 少年は真剣な口調で言った。それは口から出まかせか、この年代特有の妄想だろうか。

「安心しろ、誰もおまえなんて気にも留めちゃいない」

 私は嘲笑した。

「依頼を受けてくれないのなら捨てるよ。いいんだね?」

 少年はそれらを側溝に投げ捨てようとする。私はそれを慌てて止めた。

「わかった、わかった。何も捨てることはない。その物に罪はないだろ」

 私はため息をついた。

「じゃあ頼んだよ」

 そう言うとぽんとゲームと本を手渡してくる。

「これは一時的に預かっておく。わかったな」

 少年は私の話は聞いていない。

「ゲームは一人でできないからね、ちょうど相手が欲しかったんだよ。ついてきてよ、こっちに見せたいものがあるんだよ」

 どうも、少年には友達がいないらしい。やれやれと私は首を振った。

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