第二章 ロックタイト島綺譚 2
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ワインの海は凪いでいて波一つなく鏡面のようだ。島への到着はかなり遅れている。この調子では上陸しても次の出発までしばらく足留めを食らうかもしれないなと思う。屈強な男たちがオールを漕ぐ。筋肉が盛り上がり汗が滴り落ちる。なるほど眼前にはワインの海という名がぴったりの真紅の海が広がっている。海面が赤いのは戦役で戦死した者たちから流れる血が今尚海を赤く染めているとも、もっと現実的に潮のせいだとかプランクトンが豊富なせいだとか諸説あるようだがはっきりしたことはわかっていないらしい。しかしその恩恵でこの海は豊かな漁場となり新鮮な海産物を安価で手に入れることができる。
島の中心地は断崖絶壁の上に位置しており、直接寄港できないので別の港に上陸してから向かうようだ。南の入江から入り、ヴィットリオーザもしくはセングリアのどちらかの港へ行くらしい。
海岸沿いの入江の左右は断崖絶壁に阻まれていて入り組んでおり、美しい景観を作り出している。遠く島の突堤に砦が見える。
私は荷物をまとめ甲板に立った。風はなく海鳥が泣いている。しばらく船と並走するように飛んでいたが島に近づくと何処かへいってしまった。
船はヴィットリオーザにたどり着く。かなり大きな港で他にも船が何艘も停泊している。そこかしこが補修されており、かなり歴史があるというか古い港のようで、建国以来使われているのではないかと思うほどだ。私が乗っていた定期船はここで補給を済ませ次にヴァンデ県にあるカンピウンス・ハップを経由してコールスカンプへ向かうそうだ。
ここから町にいくには湾をぐるりとまわる必要があり、時間がかかるため私は同じ買い出し人仲間であるメンドーサと一緒に小型の船に乗り換え直線で町の下にある小さな船着場へ向かう。そうしてようやくロックタイト島への上陸を果たした。
メンドーサは我慢できないと町へ向かう階段を登りながら器用に巻き紙に葉を載せ、くるくると巻き唾で端を留め火をつけた。紫煙が吐き出される。実にうまそうに煙草を燻らせた。
「船内じゃ吸えなかったからな、手が震えたよ」
たった二時間の航海だったのだけれど。メンドーサは表向きは織物を持って行商人然としているが実際には禁制品を扱う密売人である。口髭をはやし南大陸の商人のような風貌だが生まれも育ちも旧都だという。違法薬物や葉巻、煙草を取り扱う。葉煙草を原料に口付たばこや両切り煙草を密売しているそうだ。船の中は火気厳禁なため煙草が吸えずずっと苛立っていたのだ。
「一口もらってもいいか?」
あまりにもうまそうに吸うので私はそう言った。メンドーサは吸いさしの煙草を渡す。一口吸い込んだ。ひどく咽せる。
「なんだこれ、変な薬品みたいな味だな」
喉がいがらっぽい。
「最初だけだ、すぐ慣れるさ。そして病みつきになるんだ」
メンドーサは下卑た笑いを見せた。私は煙草を返した。
「そこらへんで生えている草なんじゃないのか?」
「馬鹿言うな、ハレルベーク産の国分葉だぞ。めったにお目にかかれないような高級品だ。かつては王に献上されていたそうだ。低温では育たないし、高温でも日焼けして枯れてしまう繊細な代物なんだぜ。収穫量が少ないから稀少なんだ」
メンドーサの力説に惹かれたわけではないが私は何かの役に立つかもしれないとその煙草を買うことにした。嗜好品である煙草は所持することは違法ではないが高価で手に入れることが難しい。
「まいどあり、マッチはサービスだ」
私は巻紙と葉が入った袋を受け取った。マッチにはメンドーサ商会と書かれている。
「これは?」
「俺の店だ。何かあればそこへ来てくれ。旧市街じゃ少々顔が利くからな」
私はそれらをポケットにしまった。
「この町に娼館はあるか知っているか?」
私の問いかけにメンドーサは意味ありげに含み笑いを浮かべ、俺に任せておけとばかりに私の肩を勢いよく叩いた。勝手に解釈をしているようだ。私がそう聞いたのはもちろんお宝を探すためだ。本来の目的地はライフェンだがわざわざ途中のこの島へ立ち寄ったのはもちろん仕入れをするためだ。
細く急な階段を登りきるとドーム型の屋根を持った大聖堂が見えてくる。そこが町の中央広場となっているらしい。
ジャン・ド・ロックタイト三世、アルニリケン・アディアミ、マーク・イングラム二世、ウィル・ウィザースプーン、ケレン・ウィンズロー二世、ジャーメイン・ジョンソン二世、中央広場には石碑が建てられていて知らない名前が刻み込まれている。聞きなれない名前ばかりだが皆建国の祖たちなのだろう。この地で最も有名なのはもちろんマルグリットだろう。女神と呼ばれ英雄よりも知名度は高く知らない者はいない。教科書にも載っていて、誕生日はもちろん祝日で生誕祭が今でも盛大に行われる。
メンドーサに聞いたところ町は三つの区域に分かれているそうだ。今階段を登りきった先にあるのが新市街と呼ばれ格子状に整備された区画で上流階級が住む大きな屋敷や、大聖堂、教会などが立ち並ぶ商業、行政の中心地だそうだ。丘の下には市井の人が住む旧市街があり、ここは古くからあるので不規則に曲がりくねった通りと小路が多いらしい。あとは城壁で隔てられた打ち捨てられた町。かつてはそこに町が存在したそうだが戦役により損害を受け焼失したそうだ。新たに作られたのが新市街なのだろう。今は廃墟しかなく、迷い込むような路地が無数に伸びる不気味なところらしい。静寂の町とも呼ばれ誰も立ち入ることはないそうだ。
「この島の連中は保守的でそして排他的だからな、よそ者には心を開かない。気をつけろよ、忠告はしたぜ」
最後に私をじっと見るとそう念を押した。メンドーサは片手を上げて旧市街へ続く坂を下りていった。新市街には用はないらしい。
私は町に着いたならとりあえずは商館へ行き登録をする必要がある。中央広場で新聞を売る少年から「灯火」と「地平線」の二紙を買い商館の場所を尋ねた。ついで喉が渇いたので、水を買い求めた。それは本土に比べるとかなり高い。やはり水はここでは貴重品なのだろう。
新市街はどこも清潔で明るい。教会や建物は外観からして装飾が豪華で荘厳だが、私はどこか空虚な印象を受けた。高貴で洗練されすぎているのだ。私が求めるのはもっと猥雑で快活なものなのだ。
大聖堂の隣には一際大きな邸宅があり、塀越しに美しい庭が見える。どんな金持ちが住んでいるのかと思えば、領主の家らしい。もちろん公開されてはおらず、入ることはおろか立ち止まって見ているだけで衛兵が一ダースほどやってきて取り囲まれそうだ。




