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神の頬に触れるような気持ち  年代記第七章  作者: ヌメリウス ネギディウス


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第二章 ロックタイト島綺譚 1

二章開始です。


 私はかなり早く起床し寝袋から這い出した。足元の床板から冷気が染み出してきて寒さで目が覚めたのだ。体の節々が痛む。もはや定宿と化した隙間だらけのねぐらから外へ出る。あたりはまだ暗く、黒と灰色で世界はおおわれている。建物の谷間から払暁(ふつぎょう)のオレンジ色を帯びた空が見え、色彩はその三色のみである。ポンプのレバーを何度か押して呼び水をするとしばらくして水が勢いよく噴き出した。古い井戸の水は驚くほど冷たく、顔を洗うと意識が一気に覚醒した。私は再びねぐらに戻ると炉の中で(おき)になっていた炭に息を吹きかける。五徳の下で炭は黒く火は消えかけていたが、まるで生命が蘇るように一息ごとに赤く燃え息を吹き返す。私は煙草の先端にその火をつけた。紫煙がゆっくりと立ち上り、まだ薄暗い明け方の空気に混ざって儚く消えた。

 煙草を吸い終わるとようやく動き出す気力が湧いてきた。私は荷物をまさぐって中から角燈(ランタン)を取り出す。軽く揺すって油がまだ残っているのを確認し、油に浸した芯に火を移しておいた。つづけて手斧を取り出しカバーを外した。おもむろに立ち上がると私は床板に手斧を打ち付ける。脆い床板が割れ破片が飛び散った。私はかまわず打ち続ける。少年には申し訳ないが床に人一人が降りられるほどの穴が穿(うがた)たれた。下を覗き込むと予想通り跳ね(ハッチ)を見つける。跳ね扉の下の空間に風が流れ冷気が昇ってきていたのだろう。少年が緊急時に脱出口があると言っていたのにも符合する。さしずめこの小屋もこの跳ね扉がありきだったのではないだろうか。始めにこの扉から出た少年がここに少年の言う秘密基地を作ったのではないかと私は推測する。

 跳ね扉は他の出入り口にあったものと同じものだった。押し上げるとさらに下へ降りる梯子が見える。この出入り口は階段ではないらしい。文字通り真っ暗で底が見えないほど深い。手元の手斧にカバーをして腰に結わいつけた。

 私は頼りない梯子をつたい下へ降りる。たどり着いた地下は広大な地下迷宮となっている。地下墓地(カタコンベ)である。昨日歩いた新・旧市街の地下よりこちらの方がより古いように思う。本によるとカタコンベは元々、金を掘り出すための坑道を使われなくなった後に戦死者などを葬るための地下墓地として再利用したものだ。島は狭く当時は場所が限られるため地下に埋葬していたのだろう。現在は病気の蔓延を防ぐという理由もあって火葬が一般的となっている。

 地下は細い通路と小部屋があり無数の墓室として迷路状に広がっている。遺骨も残され白骨化しているが、もうかなり古く乾ききって黄色く変色していたし風化しているので不気味さは感じない。不気味というよりは物悲しさを覚えた。これらの(おびただ)しい骨の持ち主達は今は遠く離れた安息の地で眠っているだろう。死者は自由で平安な世界にいる。あくせく地下を這い回っている自分が酷く滑稽に思える。

 地下のカタコンベは全てが繋がっているわけではないだろうが、町の下には縦横に広がっているのだろう。左右の壁は荒い岩肌がむき出しになっている。ちょうどここはロイヤルオペラハウスの地下あたりだろうか。私は少年にもらった地図を頼りに進んでいく。地図は正確でその地図がなければとてもじゃないが進もうなどとは思わなかっただろう。

 坑道がそのまま使われているのもあるが、必要以上に複雑な構造をしているのはおそらく墓荒らしを惑わすためなのだろうと私は思う。死体は新しいものだとかなりの金になるので昔から盗掘が後を絶たなかったし、一緒に入れる副葬品もよい収入になるのだろう。そのため副葬品の類はほとんど残されておらず、素焼きのコップや皿などがある程度だ。私がここに潜ったのには別に過去の歴史に触れるためでも盗掘でもない。

 少年はここには何もないと言っていたが、私はそんなことはないと思っていた。

 足元は硬い岩肌で足跡は見当たらない。静寂が耳に痛いほどだ。自分の足音だけが響いた。私は迷わないように左手を壁に当てた。すると手が煤で真っ黒になった。私は明かりを壁に向ける。壁が黒く汚れている。これは以前に人が松明を使い通ったことを示している。松明の煤が魂のように上がり横壁を黒く汚したのだろう。けれどその汚れは太古のものでもなく、また直近のものでもない。二十年前後だろうか? 私は煤で汚れた壁を目印に進んでいく。足跡を追う狩人のように。煤の跡は何層にもなっている。おそらく何往復もしたのであろう。

 カタコンベの一番奥、一見するとただの壁で見逃してしまいそうだが扉が巧妙に隠されているのを私は発見した。煤の跡がそこだけ途切れていたのだ。扉はモルタルを塗って封印してあるが、明らかに他の壁と色が違っている。持っていた斧の背で少し小突くとポロポロとモルタルは剥離し足元へ落ちた。

 小一時間壁と格闘し扉の全貌が見えると、私は心躍らせながら扉を開けて中に入る。最後に人が入ってから何年経ったのだろうか。埃臭い空気が私を包み込む。

 それは圧巻の一言だった。部屋自体はそう大きくはなく四人も入ればいっぱいになってしまうほどだったが四方に書架のような棚が置かれそこに肋骨レコードが隙間なく詰め込まれ埋め尽くされている。それは見ただけでわかる稀少盤ばかりで私は声を失っていた。これだけあれば豪邸どころか国が一つ買えるかもしれない。

 おそらくこれらのレア盤は検閲を逃れるために肋骨王が隠したものだろう。しかもどの盤にも黄金の犬のマークが入っていない。ということはレーベルを立ち上げる前の初期の盤だ。その一枚だけでもかなりの額になるのにそれが数え切れないほどあるのだ。私はその場で卒倒しそうになる。ずっと夢見てきたこれこそデッドストックだ。所有権は肋骨王にあるのだろうが今はもう亡くなってしまっているし私が引き継いでも誰も文句を言わないだろう。もしこの発見を公表したなら戦役が起きるかもしれない。足留めをくらいこんなところまで来させた領主には感謝しなければならないな、と私は笑った。

 私は夢遊病者のようにふらふらと棚に近づくと肋骨レコードの一枚を引き出そうと触れた。するとレコードは持った先からまるで手のひらから水がこぼれるかのように、あるいは枯葉を握りつぶしたように粉々に砕け散って地面に落ちてしまった。

「なんてことだ!」

 私の声が部屋で反響した。

 脆弱なフィルムに印刷された肋骨レコードは室温や埃、経年などでどのレコードも触ることができないほど劣化してしまっていた。特に希少な前期型ばかりでそれが仇となったのかもしれない。前期型はとりわけ脆弱なのだ。誰にも触れられず残っていたため奇跡的なバランスで保たれていたのだろう。

「すっかりダメになっている」

 私は再び独り言を言う。

 愛読書でしか見たことのない超絶稀少盤が山とあるのにそれを手に取ることさえできないなんて、私は運が良いのか悪いのか。私は自然に笑い出していた。泣くほど笑いは止まらない。気でも狂ったかと思われても仕方がないだろう。笑いがおさまると私は幾分落ち着いていた。 

 ここで黄金の犬のレーベルが生まれたのかもしれない。肋骨レコードが規制された後に肋骨王は秘密裏に集まったメンバーで肋骨レコードの鑑賞会をおこなっていたらしい。私の推測ではその秘密のパーティがちょうどここで行われていたのではないだろうか。サミスダートは元々は地下出版されていた書物を複製していた組織である。肋骨レコードと同じく発禁された書物や雑誌の所持、複製は逮捕されプライス送りとなる。肋骨王の仲間であるミハエル・ブルガーコフやヴァーツラフ・ハヴェルなどはこのロックタイト島で活動していたし、ここで文書を複製していたのだろう。そこに肋骨王が参加し交流がはじまり意気投合したのだ。私は実に感慨深かった。歴史の一場面に迷い込んだのだから。私は手に入れることができない宝を諦めきれずにいつまでもその部屋にとどまっていた。

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