第5話 『人間』のトーテム
ノクスは壁伝いにゆっくりと歩く。
先程の燃焼のせいか、空気は薄い。
酸素が薄いせいか、それとも緊張もあるのか。
鼓動がはやくて、肺が苦しかった。
(…くっそ、なんなんだ)
歩きながら、先程の火球を思い返す。
ロゼやヴァルには聞こえてはいないようだったが、付与術師のノクスにはー
『ファイヤーボール』
祖霊がートーテムが、エレメンタルの魔術の呪文を、詠唱したように聞こえた。
歩いていくうちに、視界に光るハネゴケが混じり始めた。
ほのかな灯り。異様なほど静かな場所。
特にハネゴケが集まっている場所があった。
そこに、人が倒れていた。
ノクスは一瞬足を止めた。
(…こんなところに、人?魔術師か?)
慎重に歩んで、近づく。
近づいて、息をのんだ。
その人物は、半透明に体が透けていたから。
「…う」
ノクスの気配に気づいたのか、その人物の指がぴくりと震えた。
ゆっくりと身体を起こす。
眠そうな目が、ノクスをとらえた。
「・・・あー、間に合ったかね?」
その半透明の人物と、視線がかちあう。
金色の瞳。
直観的に、ノクスは悟った。
(-祖霊だ!)
トーテムを直接目にすることなど、そうある機会ではない。
むしろ、それなしに人生を終える人の方が多い。
それでも、わかる。
本能に訴えかけてくる圧がある。
付与術師として普段感じている巡りーそれを、何倍も濃くしたようなもの。
命そのもの。
ノクスは小さく深呼吸した。
(-祖霊。無礼をしてはならない)
祭祀集団はいなくなったとはいえ、トーテムは今もこの地を巡っている。
怒りに触れれば、どんな天災をもたらすかわからない。
ノクスは頭を下げた。
「…助けてくださり、ありがとうございます」
トーテムはぱちくりするだけだ。
「うん」
会話が途切れた。
妙な沈黙。
(どうしよう!この先なんていえばいいんだろう!!)
ノクスの中をいろんな言葉が駆け巡る。
(本日はありがとうございましたとか、面接の終わりの挨拶しか思い浮かばない!ちくしょう!俺は人と関わるの苦手なんだよ!!)
「かっ、かしこみかしこみ・・・もう・・・す?」
沈黙。
トーテムが目を見開いてー爆笑した。
「あっはははは!『かしこみかしこみもうす』はエレメンタル文化圏の祭祀挨拶だぞっ。こう、人格化された火の精霊とかさあ・・・」
(知らん!儀礼とか全部だいっきらいだったし!)
「え、えっとごめんなさ」
「別にいいよお」
楽しそうに笑っているトーテムを前にあっけにとられそうになりながらーノクスは、小さく首を横に振って、気を引き締めた。
「…あの。ファイヤーボール使ったの、あなたですよね?」
トーテムが笑う。
「そうだね。俺だよ」
彼が立ち上がる。
白い髪が、ゆらりと揺れた。
そのなかに交じる、混じっている炎のような色のひとふさがきらめく。
金色の瞳が、ノクスを再びとらえた。
「-俺は『人間』のトーテム。『火を道具として使う』、人間の象徴体系のトーテム」
ーノクスは、言われたことが信じられなかった。
「…ちょっと待ってください。トーテムは獣で、人間は―クランは、自らの祖霊を表象する存在だ。『人間』のトーテムなんて、ありえない!」
『人間』のトーテムが肩をすくめた。
「その昔な、トーテム側とエレメンタル側の戦争があっただろう。お前が祖霊に向かって『かしこみかしこみ』いうくらいだ、だいぶ昔のことなんだろうさ」
「…500年くらい前のことですね」
「そっか」
トーテムがうなずいた。
時の流れを聞いておどろくかと思いきや、意外とあっさりしている。
「トーテム側とエレメンタル側の激しい戦争で、世界のいろいろな『交換』がくるって、生まれちゃいけないものが生まれた。それが、『火を道具として使う』象徴体系の『人間』のトーテムだよ」
トーテムは、どこか楽し気なまなざしをノクスに向けてくる。
笑うと無邪気な子供のように見える。
(火を…道具として、使う?)
ノクスはふと、思い至った。
「…人間のトーテムだから、ファイヤーボールが使えた?」
「あたりい」
トーテムが嬉しそうに手を打ち合わせた。
物理的ではない、多分付与術師にしか聞き取れない波長で、手を打ち鳴らす音が響く。
「魔術は詠唱し、祈って励起させるもの。でも、俺は『使って』るから、ちょっと違うんだけどね」
ふと、トーテムがにやりと笑みを浮かべた。
「あのさ。俺ってさ、君の恩人?いや、恩トーテムだよね」
「…そう、ですね」
嫌な予感がした。
「あのさ。お願いがあるんだけど」
ノクスはごくりと唾を飲み込む。
一体、祖霊は何を依頼してくるのかー
「君君。俺のクランに入らない?『人間』トーテムのクラン!」
「・・・は?」
ついていけないノクスに、トーテムが説明する。
「ほらさ。ぶっちゃけ目覚めたはいいんだが、俺、存在が希薄なんだ。火の玉投げちゃったし」
「……」
「で、俺は自分の祭祀集団を持ったことがないんだ。他のトーテムどもは祀られてたから安定して巡れるんだろうけど、俺平気じゃない。俺がめぐれる祭祀集団がいない。で、クラン入らない?」
(-ノクス。皆が祖霊を裏切っても、私たちだけはー)
ノクスの中に、去来する声があった。
かつては共通の祖霊を祀る祭祀集団がいた。
彼らは自らの祖霊から『器官』としての役割を与えられ、その身体で力を体現し、祖霊を表象した。
狼のクランで『耳』のものは、敵を発見する聴力を。
猿のクランの『手』のものならば、掴む力というように。
今はそういったものはほとんどいない。
ノクスは記憶を振り払うように、小さく首を横に振った。
「…器官にされたくないんで、ごめんなさい……」
ノクスは恐る恐るトーテムの顔を見た。
祖霊はー怒ってはいなかった。
ただ、苦笑いした。それだけ。
「そっかあ。じゃあ仕方ないね」
「…いいんですか?」
「トーテムは人に強要するもんじゃないしね。一応」
(一応?)
祖霊がくるりとノクスに背中を向けた。
「まー、見られないと思ってた未来に起きられて、ちょっと嬉しかったんだけど」
顔だけ、ノクスの方を振り向く。
舌を出して、祖霊は笑った。
「何事にも分というものはある。ま、嫌われものな俺でも、最後は祖霊っぽく人の子を守れてよかった」
今度は正面を向いて、ひらひらと手を振る。突き放すように。
「さっきのことは忘れたまえよ。さっきのどんぱちの余波で、ここは不安定になってる。もうすぐ崩れる。はやくいきな」




