第68話 江戸のだんご日和
「もっと賑わっていると思ったけど……。」
見上げれば、江戸の空は澄みきった薄藍に染まり、どこまでも高く広がっている。
冬の気配を含んだ風が、通りの暖簾をかすかに揺らした。
茶屋の前に据えられた長い腰掛けに腰を下ろし、焼き味噌だんごをひとつ手に取る。
炭火であぶられた味噌が、こんがりと艶を帯びていた。
「むっ!? ……美味い!」
ひと口かじると、表面の香ばしさの奥から、しょっぱさに包まれたやわらかな甘みが広がる。
ぷつり、と小さな歯ごたえ。
怪訝に思って味噌をよく見れば、細かく砕いたくるみが練り込まれていた。
口いっぱいに広がる幸福を名残惜しく味わいながら、ゆっくりと喉の奥へ送り込んだ。
「お姉さん、もう一本追加ね!」
「はい、ありがとうございます!」
さて、なぜ俺が江戸にいるのか。
会津へ行く途中、ちょいと寄り道をしただけのことだ。
「……信繁も座ったら?」
「いえ、そうはまいりません」
去年の冬のはじめ頃、流行り病が爆発的に広がった。
高熱と強い倦怠感、関節痛。
おそらく、時期と症状からして、インフルエンザに違いない。
幸いにして、我が家は全員が無事だった。
かつて豊臣秀吉の妻たちが数多く住んでいた御殿。
今は北政所と茶々のみが暮らすその大坂城の奥へ、古満と子どもたちを移した。
流行り病をいち早く察知し、この提案してくれた北政所には、感謝しかない。
「でも、立ち食いは行儀が悪いだろ?」
「それはそうなのですが……。
いざという時に、すぐ動けません」
ちなみに、俺は男だから、そこには移れなかった。
古満たちに会うときも、遠くからしか許されなかった。
北政所いわく、外から病を持ち込む可能性があるためらしい。
面会の前には、必ず塩を土俵入りのごとく浴びせられた。
さすがに酷すぎる。
俺は息子であり、夫であり、父親なのに。
「大丈夫だって……。ほら、座って、座って」
「……では、お言葉に甘えて」
だが、良いタイミングではあった。
古満や雪、静が子どもを連れて里帰りから戻ってきたとき、ひとつ気づいたことがある。
我が家が、手狭すぎる。
これから子どもたちが成長していけば、その窮屈さはますます大きくなるに違いなかった。
隣の空き家になっている、元東軍の大名屋敷。
その土地を譲り受け、我が家の敷地と合わせて、巨大な御殿を思い切って新築することにした。
『いっそ、大阪城に住まれては?』
真田昌幸がそう言い出した。
『むむっ!? 名案にございます!』
大谷吉継がすかさず乗った。
『二の丸に、秀吉様が使っておられた離れがあります』
『少々手狭でしょうから、改築いたしましょう』
三成と大野治長まで加わり、物騒な話を具体的に詰め始めた。
俺は聞かなかったことにして、その場を離れた。
しかし、家を建てている間、寝泊まりする場所がないのは困る。
俺は大坂城の官吏たちが住む長屋に部屋を借り、久々の一人暮らしを満喫することにした。
「……秀秋様は、度胸がお有りですな」
「そお?」
「まさか、江戸に立ち寄るとは……。
しかも、伴を私だけにして……。」
ところが、これがとんでもない大失敗だった。
職場が近くなったのをいいことに、三成と宗茂が俺の机に書類を容赦なく積み上げ始めたのだ。
おかげで、年末年始も超ブラック進行。
大晦日も元旦も、俺は机にかじりつきっぱなしだった。
「逆だよ。伴をぞろぞろと連れていたほうが目立つ」
「それは……。その通りですが……。」
遅い初詣を口実に、初のところへ逃げようと企んだ一月四日。
会津から新年の挨拶に、直江兼続が大阪城を訪れた。
聞けば、俺が憧れてやまない『前田慶次』も、流行り病に倒れたという。
それも、病から回復したのち、嫌な咳を繰り返すようになり、自宅で療養することが多くなったとか。
俺は居ても立ってもいられなくなり、その場で会津行きを決めた。
「江戸に入る前にも言ったけど……。
今、徳川は俺を殺せない。
大義名分もなく殺せば、徳川の名声は落ちる。
変な話になるけど、今の情勢が、俺を生かしているんだよ」
「なるほど……。勉強になります」
無論、三成と宗茂が『はい、そうですか』と許してくれるはずがない。
だから、俺は仕事を超頑張った。
初から『最近、会いに来てくださらないで寂しいです』という手紙が届くくらいには頑張った。
俺は三成と宗茂の許しを得て、初のもとへ向かった。
思えば、逃げるのではなく、きちんと許しを得たのは初めてかもしれない。
初とのたっぷり三日間のリフレッシュ休暇の後も、俺は超頑張った。
「堂々とだんごを食べていればいいんだよ。
下手にこそこそすると、余計な警戒を招くからね」
「関ヶ原の一騎駆けは……。その度胸が成し得たものなのですね」
そして、二月の下旬。
俺の会津旅行がようやく許された。
『それでしたら、愚息をお供に連れて行ってやってくだされ。
甲府で合流させますので……。』
『……必ずや、秀秋様のお役に立ちますぞ』
その際、真田昌幸から提案があり、真田信繁の同行が決まった。
真田信繁、現代では『真田幸村』として親しまれる人物。
史実の大阪の陣では獅子奮迅の活躍を見せ、徳川家康から『日の本一の兵』と讃えられた。
俺からしたら、ただの旅行でご足労を願うのは、畏れ多い相手だ。
だが、真田信繁に会いたい気持ちには勝てず、俺はあっさり誘いに乗ってしまった。
「それに、もう一つ……。
こうして、大通りで団子を食べていれば……。」
甲府からここまでの道中で分かったことは、真田信繁は思った通りの人物だった。
秀頼を君主として仰ぎ、忠義心に厚い。
豊臣の血が流れる俺も敬い、常に立ててくれる。
どこかの三成と宗茂も、少しは見習ってくれたらありがたいのだが。
「の、ののの、信繁っ!?」
突如、響き渡った叫び。
思わず視線を向けると、真田信繁に似た男が目を見開き、こちらを指さして立っていた。
「えっ!? あ、兄上っ!?」
「ほらね、釣れただろ?」
真田信繁が勢いよく立ち上がる横で、俺はニヤリと笑った。




