第69話 あと六年半
「おっ!? さざなみ石!」
「……庭に興味が?」
真田信之を足がかりに、俺は徳川家康のもとへ面会を求めた。
しばらく待たされたあと、江戸城へ向かうと、大手門の前に徳川秀忠が待っていた。
次期徳川家当主が直々に道案内。
さすがの俺も、これは驚いた。
名前を聞いた瞬間、まるで宇宙空間に放り出された猫の気分にさせられた。
「いえ、私はさほど……。
ですが、造詣を持つ者を知っておりまして、その影響です」
「……そうですか」
秀忠のあとを歩いていて、ひとつ実感したことがある。
彼は、生真面目だ。
もちろん、敵地のど真ん中に突如現れた俺を、警戒していてもおかしくはない。
基本的に自分からは口を開かないが、こちらが話題を振ると、律儀に応えてくれる。
江戸城に忍者を潜伏させている佐助の報告によると、秀忠は酒乱だという。
しかも、女性に対しては、ドメスティックなバイオレンスを振るうこともあるらしい。
とても、そうには見えない。
それとも、夜になると、豹変するのだろうか。
「あっ!?」
「……何か?」
「淀の方と初様から、頼まれたものがありました」
ふと、俺は大事なことを思い出した。
懐に手を入れ、紫色の布に包まれたそれを取り出す。
「淀の方と……。初様から?」
秀忠は俺の手元を見たあと、訝しげな眼差しを俺に向けた。
それでも、きちんと受け取るあたり、やはり生真面目と言わざるを得ない。
「秀忠殿の奥方、江様にとのことです」
「中を見ても?」
「どうぞ」
もう一つ、大事なことに気づいた。
まだ仲を公表できないが、茶々と初は俺の嫁だ。
そして、秀忠の奥さん『江』は茶々と初の妹である。
だが、秀忠は俺より三歳年上になる。
この場合、どちらが『兄』になるのだろうか。
「……亀甲に唐花菱?
浅井家の家紋……。ですか?」
包みを開くと、漆塗りの板が現れた。
元々は円を三分割しただろう二つの板には、金箔で亀甲に唐花菱が描かれている。
「おそらく、江様も同じものをお持ちで……
それを合わせれば、家紋が完成するのではないかと」
おそらく、俺の予想は間違っていない。
二つの板の側面には、互いに噛み合うための引っかかりと窪みがあった。
「何か、意味が?」
「……さあ?
江戸に行くと伝えたら、渡してほしいと頼まれただけですので」
しかし、それが何なのかと問われたら、俺も分からない。
言葉通り、茶々と初に渡してくれと頼まれただけだった。
『別に……。ただの思い出よ』
『覚えていたらいいなっと……。』
それぞれ別の場所で渡されたが、茶々も初も似たようなことを言っていた。
ただ印象的だったのは、二人とも懐かしそうでありながら、どこか悲しそうな目をしていたことだ。
茶々も初も、戦国乱世に翻弄された浅井家の女である。
俺は、深く追求するのは悪手と考え、秀忠と同じ疑問を飲み込んだ。
「分かりました。必ず渡します」
秀忠は二つの板を再び布に包み、懐に入れると、背を向けて歩き出した。
生真面目だけど、素っ気ない。
もう少し愛想よくもてなしてもいいんじゃないか、とつい思ってしまう。
「ありがとうございます。肩の荷が下りました」
俺は、溜息をつきたくなるのを堪えながら、秀忠のあとを追った。
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「このままお進みください」
今回の江戸城訪問は、予告もない非公式なものだ。
面談場所は、家臣たちが出入りする『表』ではなく、城主が生活する『裏』が選ばれた。
「痛み入ります」
裏の入口まで案内してくれた徳川秀忠と別れ、俺は庭を一人進んでゆく。
冬の厳しさに耐え、ようやく春の兆しを見せ始める庭木たち。
踏み石の間には、苔の隙間から小さな新芽が顔を出していた。
「お久しぶりです」
やがて、大きな庭池が見えてきた。
その畔には、両手を背に回して立つ後ろ姿があり、俺はその隣へ歩を進める。
こうして会うのは、三年半ぶりになる。
俺にとっては、『もう』三年半も経った感覚だ。
だが、『まだ』三年半しか経っていないのに、家康の髪には白いものが多く混じり始めていた。
「何をしに来た?」
家康は横目だけをこちらへ向けた。
「あれ? 聞いてません? 見舞いですよ、見舞い」
「……さっさと本題に入れ」
滝を模して組まれた岩の合間から、豊かな水が絶え間なく注ぎ落ちている。
その流れを受け止める庭池では、大きな錦鯉たちがゆったりと尾を揺らして泳いでいた。
「去年の秋と暮れ、それに先月も……。倒れたと聞きました」
しゃがんで手を差し伸べてみると、錦鯉たちはすぐさまこちらへ寄ってきた。
きちんと餌付けされている証拠だ。
一か所に固まり、水面に口を盛んにぱくぱくとさせる。
「……困るんですよねー。
あなたに倒れられると、『徳川打つべし』と叫ぶ馬鹿が現れて……。」
正直、キモかった。
しかし、期待させておいて肩透かしを食わせるのも忍びない。
袂から包みを取り出し、あとで食べようと思っていた焼き味噌だんごを、庭池の中央へ放った。
「そっちも、準備はまだ整っていませんよね?」
錦鯉たちは我先にと群がり、水底へ沈む焼き味噌だんごを啄む。
尾びれが水面を激しく打ち、ばしゃばしゃと波が立った。
「どこかの誰かが、いろいろと邪魔をしてくるのでな」
その水音が、かすかに間を埋める。
「まあ、それはお互い様ってことで」
俺は立ち上がり、膝をパンパンと叩き、袴の皺を払う。
庭池では、先ほどの騒ぎが嘘のように、錦鯉たちが尾で水を撫でるように泳いでいた。
「ふっふっふっ!」
「はっはっはっ!」
家康の肩が揺れ、俺も釣られて笑う。
春先の冷たい風が、庭木の枝を鳴らした。
「あの時、十年後にって約束しましたよね?
もう歳なんだから、健康には気をつけてくださいね?」
俺は家康の横顔を盗み見る。
先ほど再会したときよりも、精悍さが確実に増していた。
老いよりも、闘志のほうが濃い。
「ふっ……。言ってくれる」
家康は鼻で笑い、眼差しを薄藍の空へ向けた。
「だが、あと六年半か……。」
滝の水音だけが響く中、間が落ちる。
「お前の吠え面を見るために、もうひと踏ん張りしてやるとするか」
執念が滲んだ声だった。
さすが、徳川家康。
やはり、そうでなくては張り合いがない。
「なら、俺は『ぎゃふん』と言わせてあげますよ」
「ぎゃふん? ……何だ、それは?」
江戸に立ち寄った甲斐はあった。
そう思いながら、俺は口元を歪め、ニヤリと笑った。




