幕 間 蜻蛉切と御手杵
「ふーーー……。」
玄関を通らず、直接庭へ回る。
結城秀康は上がり石に足をかけ、そのまま縁側へと身を下ろした。
手入れが行き届いた庭には、紅葉が鮮やかに色づいていた。
秋の気配を胸いっぱいに吸い込みながら、差し出された湯呑みに口をつける。
温かな茶が喉を通ると、疲れが静かにほどけていくようだった。
「今日は、いかがにございましたか?」
大阪での、秀康の役目は二つあった。
一つは、徳川家が豊臣家に敵意を抱いていないことを示すこと。
週に一度、大坂城へ登城し、豊臣秀頼と面談する。
とりとめのない言葉を小一時間ほど交わし、時に北政所や淀の方とも顔を合わせる。
もう一つは、父『徳川家康』の名代として五大老の会合に出席すること。
関ヶ原の戦いの後、五大老は新たな顔触れで再編された。
旧来の徳川家康、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家に加え 新たに小早川秀秋が列せられている。
だが、現在の徳川家に、かつての発言力はない。
秀康もまた名代に過ぎず、会合の場ではほとんど置物同然であった。
「やはり、秀頼様は筋がいいな」
「ほほう、左様にございますか?」
そんな退屈な日々を送っていた秀康に、新たな役目が加わった。
この春より、豊臣秀頼の武芸の師として選ばれたのである。
きっかけは、豊臣秀頼が『天下三名槍』に興味を抱いたことだった。
かつて福島正則が振るい、今は豊臣家の蔵に眠る日本号。
激闘の末に本多忠勝から譲られ、小早川秀秋が愛槍とする蜻蛉切。
そして、結城秀康が用いる御手杵。
前者二つを目にした経験がある豊臣秀頼が、是非とも御手杵も見てみたいと所望した。
秀康の立場では、断ることはできなかった。
大勢の目の前で見世物のように扱われるのは本意ではなかったが、これも役目と割り切った。
「うむ、根が真面目なのも良い。
日々の鍛錬を欠かしていないことが、手に取るように分かる」
「それこそが、いちばん肝要な素質にございますな」
大阪城の白州の庭で行われた演武。
秀康が御手杵をひと振りするたび、豊臣秀頼は『凄い!』と声を上げた。
その声は、おべっかでも演技でもない。
心からの歓声に、秀康もいつしか熱を帯びていた。
『俺も、俺も! 俺もやる!
結城殿、一緒にやろう! ひとつ、手合わせを!』
ついでに、観戦者の一人だった小早川秀秋にも熱が入った。
予定になかった二人の演武は、やがて互いに本気となり、激しい剣戟の音が大坂城に幾度も響き渡った。
決着は、秀康の勝利で幕を閉じる。
その余韻も冷めやらぬうちに、秀頼はその場で武芸の指南を願い出た。
「背も伸び始めている。
きっと将来は、一廉の将となられよう」
「我らも鼻が高うございます。その師が殿にあらせられるのですから」
言うまでもなく、その場はにわかに騒然となった。
豊臣家と徳川家が和を結んだとはいえ、それが薄氷の上の均衡に過ぎぬことは、誰もが承知していた。
先の戦いで勝利した豊臣家が請い、徳川家が教える。
それも武芸。すなわち、徳川が豊臣の武を育てるということだ。
あまりにも矛盾を孕んだ、冗談にもならぬ構図であった。
しかし、滅多にない豊臣秀頼のわがままは聞き入れられ、秀康は武芸指南役に任じられた。
「ふっ……。まさか、俺がそのような立場になるとはな」
秀康は目を細め、うろこ雲が広がる秋空を見上げた。
確証はない。確かめたわけでもない。
だが、秀康は察していた。
大坂城の一騎打ちで、小早川秀秋が勝ちを譲ってくれたことを。
事前にそれとなく豊臣秀頼に囁き、己を武芸指南役とするために働きかけていたことを。
鬱屈した日々の愚痴をこぼす己に、役目と生きがいを与えてくれたことを。
「……ただ、少し元気がなかったな。
どうやら、淀の方が熱を出して伏せっているらしい」
それに、秀康は豊臣秀頼の変化を、密かに好ましく思っていた。
以前の豊臣秀頼は、常に『大人』でいることを強いられていた。
子どもらしい笑顔を見せたことがなく、秀康は苦々しく思っていた。
なぜなら、大人や政治に振り回されていた、幼い頃の自分と重なって見えたからだ。
それが、同じ年頃の子どもと比べれば大人びてはいても、元気にあふれ、よく笑うようになった。
その変化は、明らかに関ヶ原の戦い後に生じている。
ならば、その原因は、豊臣秀頼に近づいた小早川秀秋が必然的に引き起こしたことになる。
そう、血の繋がりはなくとも、弟として可愛がっている小早川秀秋がだ。
自分と同じ思いを胸に抱き、己では決して成し得なかったことを成し遂げた。
秀康は、それを誇らしく思っていた。
「そういえば、徳川様も熱を出して伏せられたとか」
しかし、家臣の一言は、胸に広がっていた暖かさに水を差した。
そのような話は初耳だった。
今朝ほど、江戸の父『徳川家康』から書状が届いた。
だが、その内容は事務的なものばかりで、近況などはまったく記されていなかった。
なぜ、家臣ですら知り得ていることを、息子の自分が知らないのか。
秀康は視線を庭に落とし、心を落ち着けようとした。
「ああ……。書状に書いてあったな」
「風病が流行っているのかもしれませぬ。お気をつけください」
嘘をついた声には、苛立ちは見えなかった。
だが、心にはさざ波が立ち、落ち着きを失っていた。
家康が秀康を疎んでいるのは、周知の事実である。
心の揺れを悟られれば、余計な心配を招く。
「さて、夕方に出かける前に、風呂に入りたいな」
「ややっ! 気が利かず、申し訳ございません!」
秀康は立ち上がり、話を半ば強引に打ち切った。
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「和尚、差し入れだ」
「おおっ!? 餅とは、嬉しいですな!」
落ち葉が敷石を覆い、そよぐ風に舞い上がる。
鐘楼から響く低い鐘の音が、静かな境内に寂しさと厳粛さを漂わせていた。
大阪から少し離れた場所に、結城秀康が幼少の頃に学んだ禅寺があった。
「なに、いつも場所を貸してもらっているのだ。
これくらいはさせてくれ」
週に一度、豊臣秀頼の指南がある日。
秀康がこんな場所、こんな時間に訪れたのには、もちろん理由がある。
「ふぉっふぉっふぉっ!
かつての弟子が改めて学びたいというから、離れを貸してやっているだけのこと。
ただ、もしかしたら……。もう一人の弟子がいるかもしれませんがな」
待ち合わせの相手は、小早川秀秋。
互いの立場を考えれば、表立って頻繁に会うことはできない。
語り合っているだけで、余計な憶測を呼ぶ。
兄弟で気兼ねなく会い、語り合うための工夫だった。
「ふふっ……。ここはいつ来ても、懐かしくなるな」
「ふぉっふぉっふぉっ!
あなた様はともかく、もう一人はサボってばかりでしたがな」
「違いない!」
重臣たちは承知している。
いつも快く送り出してくれ、秀康は屋敷にいることになっていた。
どうせ、訪ねてくる者はいないが、念の為だ。
「ふぉっふぉっふぉっ!」
「わっはっはっはっ!」
昨日、結城家では餅を突き、切り餅を作った。
もちろん、小早川秀秋のためである。
彼は餅に『たまり』を塗り、海苔を巻いて食べるのが好物だった。
この新しい食べ方は、秀康も気に入っていた。
「では、ごゆるりと」
「おう」
案内してくれた和尚と別れ、秀康は竹林の道を一人進む。
風が竹をサラサラと鳴らす。
やがて、遠くから琵琶の音が混じってきた。
「観自、観自、観自ぃっ!
観自在菩薩!
行深、行深、行深んっ!
行深般若波羅蜜多時! 照見五蘊皆空ぅぅーーーっ!」
それは忙しなく賑やかで、琵琶の音色としてはあまりに斬新だった。




