第64話 雷と両手の花
「美味しく頂戴いたしました」
大坂城、北政所が私的に設えた茶室での茶会。
柱に掛けられた花入れには、淡い桜色のフジバカマ。
初秋の気配を愛でつつ、ズズズッと音を立てる『すいきり』を行う。
ゆるりと息を吐き、空になった茶碗をそっと置いた。
以前は、音を立てるのは無作法だと思っていた。
だが、茶道では、これも一つの礼儀なのだという。
「さて……。ここに呼んだ理由は分かってるね?」
二週間のリフレッシュ旅行から戻ると、俺を待っていたのは北政所だった。
三成と宗茂への土産を手に、大阪城に登城すると、真っ先にこの茶室へ連れて来られたのだった。
ただ、参加メンバーの様子が妙だった。
まず、亭主の北政所は、怒りをぐっと抑えている。
おそらく、俺が仕事を二週間も放り出し、リフレッシュ旅行を楽しんできたことを、快く思っていないのだろう。
「ええっと……。」
しかし、分からないのは、同席者している茶々と初の様子だ。
茶々は沈み込むように静かで、どこか重苦しい空気をまとっている。
一方、初は顔を合わせてからずっと、嬉しそうにニコニコと微笑んでいる。
両極端な二人。
俺は腕を組み、少し首を傾げた。
「もしかして、お土産を買ってこなかったから、怒ってる?」
「お馬鹿!」
「痛っ!」
北政所の問いかけに慎重に答えた瞬間、柄杓で頭を叩かれた。
カポッという軽い音が鳴って、茶々は溜息をつき、初はくすくすと笑う。
「な、何だよー、もうっ……。」
理不尽がすぎる。
さして痛くはないが、俺は頭を両手で押さえ、口を尖らせた。
「二人とも、この馬鹿に教えてあげな」
だが、北政所にギロリと鋭く睨まれ、俺は思わず隣の茶々と初に目を逸らした。
茶々の目は不安で揺れ、沈んではまた浮かぶ。
初の目はきらきらと輝き、待ちきれない様子で肘で茶々を突いた。
「……ややこが出来たの」
二度目を突かれ、三度目は小刻みに突かれ、茶々は重い口を開いた。
「私もです!」
間を置かず、初は満面の笑みを咲かせ、柏手を打った。
「おおっ!? おめでとう!」
即座に意味を悟り、俺は喜びのあまり、思わず右膝を立てた。
ぎゅっと握りしめた右拳を掲げ、大業を成した二人を労う。
「お馬鹿!」
次の瞬間、北政所も右膝を立てた。
柄杓を握った右手を高々と掲げ、そのまま一気に振り下ろす。
「痛っ!」
ガゴッと鈍い音が響いた。
今度は、本気で痛い。
「な、何だよ! もうっ!」
二度も理不尽が過ぎる。
俺は立てた右膝を戻し、痛む頭を右手でさすりながら非難した。
「気をつけろって、何度も言っただろ!
お前は父ちゃんと違って、立て続けに孕ませたのが三人もいるんだよ!」
しかし、北政所の怒りは俺の比ではなかった。
勢いよく立ち上がると、柄杓の先を俺の目の前へ突きつけ、烈火のごとく怒鳴った。
そうは言っても、ここは戦国時代だ。
確実性の高い避妊法など、あるはずもない。
強いて挙げるなら、仲良くなる際の最後の瞬間に気をつけるくらいか。
だが、茶々も初も、それは好みではないらしい。
せっかく仲良くなっているのに、最後の瞬間に離れられるのは、ひどく寂しくなるのだという。
初なんて、絶対に離さないと言いたげに、ギュッと両足で俺を挟んでくることが多い。
まさに、男冥利に尽きるというものだ。
いつの頃からか、注意は次第に疎かになっていった。
古満の妊娠が判明してからは、ほとんど意識さえしていなかった。
これで、もうお家騒動は起きない。
古満が嫉妬の炎を燃え上がらせることもない。
そう安心していた。
「やっぱり……。駄目よね」
「えっ!? ……何が?」
それに、俺は馬鹿ではない。
女性と仲良くなれば、子どもができる可能性があることは承知している。
茶々が俺との子を身籠れば、豊臣家に暗雲が立ち込める。
そんなことは、最初から分かりきっていた。
当然、その時に備えた対策も用意していた。
「だって……。」
「あっ!? 大丈夫! 俺に任せて!」
だが、秘中の秘にしていたせいで、当の本人にまで伝えるのを忘れていた。
今にも泣き出しそうな茶々の顔を前にして、さすがに本気で反省する。
「……う、産んでもいいの?」
消え入りそうな声だった。
茶々の不安と恐れが滲んだ瞳が、真っ直ぐに俺を射抜く。
「当然じゃん!」
俺は笑顔で頷き、右拳で胸を力強く叩いた。
「嬉しい!」
茶々はぱっと顔を輝かせ、勢いよく俺へ飛びついた。
「おおうっ!」
不意を突かれ、思わず仰け反った上半身を、腹筋に力を込めて堪える。
茶々の肩が、小さく震えていた。
俺はそっと腕を回し、優しくその身体を包み込む。
安心させようと、抱きしめようとした、その時だった。
「えい!」
「キャっ!?」
初が茶々の肩を掴み、横へ放り投げた。
茶々は小さく悲鳴をあげ、畳の上へ横倒しに倒れ込む。
俺は反射的にそちらへ顔を向けた。
でも、すぐに顔を掴まれ、正面へと戻される。
「姉さんばっかりずるいです……。」
下唇を噛み、わずかに顎を引いた初が、潤んだ瞳でこちらを見上げていた。
またやってしまった。
ここには主役が二人いたというのに、俺は茶々しか見ていなかった。
そのことを、俺は深く反省する。
「よし、来い! 初!」
「はい!」
両腕を広げて合図すると、弾けるような声とともに、初がぱっと顔を輝かせた。
そして、勢いよく俺へ飛びついてきた。
「ちょっとぉ~~……。酷いじゃない」
一呼吸を置き、茶々が両手を畳につき、上半身を起こす。
少し拗ねたような目で、俺を睨んできた。
どう考えても悪いのは初だ。
だが、ここでそれを言うほど野暮ではない。
「さあ、茶々も!」
俺は初をやんわりと横へずらし、空いた左腕を茶々へ向けて広げた。
「し、仕方ないわね!」
言葉とは裏腹に、茶々は頬を染め、今一度、勢いよく俺へ飛びついてきた。
正しく、両手に花。
二人を抱き寄せると、腕の中でふわりと広がる柔らかな感触と、甘く香る匂い。
俺は幸せものだ。
たまらず、頬がだらしなく緩みっぱなしになった。
「はぁーーー……。
あんた達の仲がいいのはよく分かったから、今は離れな」
これでもかという深い溜息が茶室に響いた。
呆れ果てたのか、達観したのか。
北政所は白い目で俺を見据え、俺は二人のお尻へ伸ばそうとしていた手を慌てて止めた。




