第50話 過去の影、今の罪
「デカメロンっ!?」
女性が顔を上げると、胸がぷるるんと揺れた。
胸を締め付けやすい着物を着ていて、平伏から顔を上げただけで揺れるのだから、実体は相当なものに違いない。
胸の薄さにコンプレックスを抱える古満が、嫉妬のあまり離婚を宣言して家を出ていったのも、十分に頷ける話だった。
「えっ!?」
「ととしゃま?」
「……殿?」
だが、俺の驚きの表現は未来すぎて、誰にも通じなかった。
女性も女児も家臣も揃ってポカンとした呆け顔になり、俺は胸をホッと撫で下ろした。
現代ならセクハラ発言で訴えられていただろう。
ここが戦国時代で、本当に良かった。
「さて、大事なことだ。
お姫様、お名前は何と申すのでしょうか?」
「こうっ! さんちゃい!」
俺はしゃがみ込み、足元の小さな体と同じ高さに目線を合わせた。
女児は三本の指を立てて、元気いっぱいに応える。
その仕草があまりに可愛くて、俺は思わず笑ってしまった。
戦国時代は数え年だから、女児の『三歳』は実際には現代でいう二歳ということになる。
「か、香りの『香』と書いて『こう』にございます!」
間を置かず、家臣から補足が入った。
俺は香の両脇に手を添え、そのままひょいと持ち上げながら立ち上がり、胸の前で抱えた。
「なら、香姫か。いい名前だね」
「あうーー……。」
香は大きく見開いた目をパチパチと瞬きした。
間近に迫って照れくさいのか、俺の首に両手を回すと、ぎゅっと抱きついてきた。
何だろう。この可愛い生き物は。
胸がほんわかと暖かくなり、笑みが自然と浮かんだ。
「うっ……。うっううっ……。」
「し、静、泣くやつがあるか!」
女性は口元を押さえて嗚咽を漏らし、家臣もまた、男泣きに涙をハラハラと落とした。
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「さて……。静はどうしたい?」
「……どうしたいとは?」
義父と奥さんを地べたに座らせっぱなしでは格好がつかない。
社務所の縁側を借り、女性、女児、家臣の順に並んでもらい、俺は三人の前に立った。
ここで整理しておこう。
家臣の名前は『長崎元通』といい、その娘さんが『静』で、子どもが『香』だ。
またしても、法則『俺の顔見知りは脇役』は当てはまった。
三人を合わせると、『長崎静香』になる。
大学時代に所属していた、名前だけは真面目で固そうなサークル『戦国時代研究会』の紅一点『長崎先輩』だ。
「このまま、九州で暮らすか。
それとも、一緒に大阪へ行くかだ」
「えっ!?」
実を言うと、静の顔を見た瞬間、俺は思わずハッとした。
だが、長崎先輩はショートカットだったのに対し、静は髪が長い。
トレードマークの少し大きめの黒縁メガネも記憶に強く残っていたため、確信を持つことはできなかった。
しかし、名前がピタリと一致した以上、確定だ。
「俺は秀頼様を支えなければならない。
だから、生活の中心はどうしても大阪になる」
長崎先輩は巨乳の持ち主で、歩くたびにゆさゆさと揺れていた。
見た目は完全に内気な文学少女。
その実、歴女とBL好きが悪魔合体した腐女子。さらに、同人誌も書いていた。
小早川秀秋が関ヶ原の戦いでの裏切りを責められ、福島正則にねっとりと頂かれる同人誌を見せられたとき、思いっきり床に叩きつけたのを覚えている。
「だけど、以前のように所領を放ったらかしたりはしない。
それでも、やっぱり立花山城に居れるのは、年に二ヶ月くらいかな?」
いや、それ以上の思い出がある。
長崎先輩は大学四年の春、唐突に皆の前から姿を消した。
都内の企業への内定はすでに決まっていたにもかかわらず、大学を中退して地元へ帰ってしまったのだ。
それ以後、長崎先輩の携帯電話は解約され、繋がらなくなってずっと不思議に思っていた。
だが、今目の前には、長崎先輩と同じ顔をした女性と、その娘がいる。
これまでの法則『俺の顔見知りは脇役』の例を踏まえると、まさか、そういうことなのだろうか。
「と、殿、お待ちください!
……と、ということは、娘と孫をお認めになってくださるのですか?」
長崎先輩は戦国時代とBLには饒舌だが、それ以外では話下手で寡黙だった。
友だちが少なく、サークルのメンバーにもあまり話しかけなかった。
それでも、不思議と俺にはよく話しかけてきた。
当然、俺は自分に気があるのかもと、下心を抱いてしまった。
いつしか大学の外でも会うようになり、俺が誘うと二人で飲みに行く機会も増えた。
「もちろんだ。静は俺の子を産んでくれたのだからな。
順序が逆になってしまったが、正式に側室とするのが道理だろ?」
そして、俺は一度だけ、長崎先輩の部屋に泊まったことがある。
ただし、その夜の記憶は居酒屋でプツリと途切れており、何も覚えていない。
翌朝、長崎先輩はいつも通りだった。
むしろ、初めて女性の部屋で目を覚ました俺のほうが、挙動不審だった。
お互い、着衣は昨夜のままだった。
長崎先輩に『二人とも、酔い潰れちゃったみたいですね』と言われ、俺は納得した。
酔い潰れた人間を置き去りにするほど、長崎先輩は冷酷ではない。
それに、長崎先輩は俺の最寄り駅は知っていても、具体的にどこに住んでいるかまでは知らなかった。
だから、仕方なく自分の部屋に俺を連れ帰ったのだろうと。
ただ、自分の部屋に帰ったあと、履いていたトランクスが裏表逆になっているのに気づき、『あれ?』と思ったのもよく覚えている。
「うっ……。うううっ……。」
「あっ!? また、かかしゃまをいじめた!」
「違うの……。違うのよ。ううっ……。」
それが、長崎先輩から義理チョコをもらったバレンタインである。
その後も、姿を消す前日までは、いつもの長崎先輩のままだった。
今となっては、真相を確かめる術はない。
俺は一度告白して振られているし、長崎先輩とはあくまで友人の関係だったはずだ。
「まあ……。その前に、古満の許しを貰わないといけないんだけど……。」
だが、もし想像が当たっていたのなら、相談してほしかった。
あの頃の俺は大学二年。二十歳の若造に過ぎず、記憶も経済力もなく、将来への不安でいっぱいだった。
だけど、責任の取り方くらいは分かっていたつもりだ。
「いや、それ以前にだ。今まで済まなかった。……この通りだ」
俺は地べたに膝を下ろし、両手を突いて静かに頭を下げた。
額につく硬い土の感触が、後悔の念をより強くさせた。




