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大逆転、関ヶ原! ~小早川秀秋、難波の夢を露と落とさず~  作者: 浦賀やまみち
第五章 九州騒乱

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第47話 天命は我らにあり




「それで、どうなんだ? 降伏してきたのか?」



 久しぶりに陣羽織と鎧を身にまとい、大地をドスドスと踏みしめる。

 一歩一歩進むたび、鎧の金具が軋み、知らず知らずのうちに俺の心は緊張で満ちてゆく。


 兵糧攻めを始めて以来、沈黙を貫いてきた加藤清正が、ついに動いた。

 今まで固く閉じていた西の大手門が開き、使者を差し出されてきたのである。



「それが……まだ、何も。

 秀秋様に会わせてほしい。ただ、それだけで……。」

「でも、まあ……。三ヶ月、経つしな」

「はい、ずいぶん苦しい思いをしている様子です」



 付き従う朝末と会話を交わしながら、脇に抱えていた兜を被る。

 西の大手門前に築かれた陣では、足軽たちが熊本城を睨み、息を殺して緊張の時に耐えていた。


 ここに来るのも久しぶりだなと思いながら、兜の緒をぎゅっと締める。

 陣幕の出入り口に立つ足軽が幕を開くと、中では左右に居並ぶ諸将が床几に腰を下ろしていた。


 一瞬、視線が一斉にこちらへ注がれ、すぐに中央へ戻った。



「お待たせした」



 立花宗茂が脇に立つ、空席の上座。

 俺がドカリと腰を下ろすと、陣幕の中央に平伏していた者が、ゆっくりと顔を上げた。


 その顔には、疲労の色が濃く刻まれていた。

 元々痩せ型なのかもしれないが、頬はこけ、腹が減っているのは明らかだった。


 だが、目の輝きは失われていない。

 むしろ、俺を真っ直ぐに見据える目はギラギラと輝き、鋭く力強かった。



「無礼ながら、中納言様をお呼び立ていたし、誠に失礼に存じます。

 されど、これも戦の常。どうか寛大なお心でお許しいただければ幸いに存じます」



 どうやら、降伏の使者ではないらしい。

 その口から何が飛び出すのか、俺は興味を抑えきれず、唇を歪めた。




 ******




「色々と言葉を飾ったようだが……。

 つまり、こう言いたいのか?

 大将同士の一騎打ちで、雌雄を決したいと?」



 使者は敵地の只中にありながら、加藤清正の大義と勇胆を高らかに語ってみせた。


 最初は我慢していたが、使者の鼻息が荒くなるほど、俺は愉快でたまらなかった。

 だが、笑みを見せるのは礼を欠くと考え、右肘を左手で支えつつ、右手で口元を覆った。



「馬鹿げている! 平家物語の読みすぎだ!

 そもそも、我々が勝っているのだ! 夢物語など捨て、城へ帰れ!」



 逆に激昂したのは、俺の左手側に立つ立花宗茂だった。

 感情を堪えるように左肩を握りしめていた右手を勢いよく振り払い、人差し指で熊本城をビシッと指した。


 兵糧攻めが始まって以来、立花宗茂は常に鎧と陣羽織の姿で、ずっと陣頭で指揮を執り続けてきた。


 言わば、熊本城が今味わっている苦境は、立花宗茂の成果だ。

 今さら虫の良い提案を持ち出して、さらに『まさか、怖気づいたりしませんよね?』なんて言われたら、誰だって腹が立つ。



「まあまあ、落ち着いてください。面白いではありませんか?」



 そんな立花宗茂を宥めつつ、俺は思わず吹き出してしまった。

 もう口元を隠す意味がなくなり、ニヤニヤとした笑みが自然と浮かんだ。



「また、あなたはそんなことを!」

「こいつの顔を見てくださいよ。

 加藤が『耐えろ』といったら、それこそ餓死するまで耐え抜きますよ?」



 立花宗茂は半歩踏み出し、紅潮した顔をこちらに向けた。

 その怒りの矛先をそらすように、俺が使者を指差すと、使者は唇を強く結び、誇らしげに胸を張った。



「それが望みなら、好きにさせたらいい!」



 俺はゆらりと床几から立ち上がった。

 両手を腰に組み、右へとゆっくり歩を進める。


 最近、立花宗茂に怒られっぱなしの俺だが、決して無為に日々を過ごしていたわけではない。


 膨大な暇が、俺に思考する時間を与えてくれた。

 これから語るのは、日々自問自答を繰り返して導き出した答えだ。



「まあ、その通りです。

 こいつらは忠義に殉じて、さぞや満足でしょうから……。

 だけど、その下らない意地に付き合わされる足軽たちが哀れすぎる」

「それは……」



 右列の先頭に座する島津義弘の横を通り、左へと曲がる。


 立花宗茂の勢いが弱まった。

 言葉を詰まらせた様子からすると、彼も俺が口にした葛藤を抱えていたのだろう。



「この九州で騒乱が起こったのは、去年の秋。

 農民たちは稲刈りの途中で徴兵され……。そして、気がつけばもう六月です」


「田植えがどうなっているか気が気でないでしょうし……。

 多くの働き手を戦に駆り出された村々では、女と老人と子供ばかり。

 今ごろ、終わりの見えない田植えに追われ、田の前で右往左往しているはずです」



 熊本城を仰ぎ見ると、数多くの旗に描かれた家紋『蛇の目紋』が、風になびいていた。

 それはまるで城内の士気の高さを示しているかのようだが、果たしてその実態はどうだろうか。



「下手をすれば……。いや、もう手遅れでしょうね。

 今年の肥後は、石高が確実に下がります。年貢を減らす必要が出てくる」



 鍋島直茂が味方についたおかげで、加藤清正が当初動員した兵力が分かっている。


 兵力は21000人だ。

 加藤清正の25万石の所領を踏まえれば、これは限界に近い動員と言えるだろう。



「ここでさらに来年以降の働き手まで失ったら、肥後そのものが餓鬼地獄になりかねない。

 そんな土地、支配はできても心服は得られない。秀頼様が望まれる国とは、とても言えません」



 右列の最後の背後を通り抜け、左へと曲がる。


 忍者たちの分析によると、熊本城は守備兵でひしめいているらしい。

 だが、その数は当初より半数を割るか、割らないかまで減っているのは確定している。


 当然のことだが、人が雨後の筍のように次々と生えてくるわけではない。

 十年以上、慈しみ育て、守ってこそ、ようやく一人前となるのだ。


 万の足軽が失われた現在ですら、肥後は今後の統治に大きな支障が出るだろう。

 さらに、もし熊本城の守備兵がことごとく餓死したら、目も当てられない。



「まあ、豊臣にはそれを補償する用意がある。

 三成は渋い顔をするでしょうが、きっと何とかしてくれますよ」



 こうなってくると、たとえ加藤清正に勝ったとしても、それで万事片がつくわけではない。


 決して少なくない財を、豊臣家は放出しなければならない。

 大阪へ戻れば、俺は三成から毎日のように、くどくどと嫌味を浴びせられるだろう。



「けれど、加藤は三成に頭を下げられない。

 その理由は……。言うまでもありませんね?

 加藤は、三成を憎むがゆえに決起したからです」



 左列の最後の横を通り抜け、左へと曲がる。


 戦とは金食い虫だ。

 刃を交えずとも、ただ対峙しているだけで消耗は進む。


 攻める側なら、勝利の先に得られる対価を見込んで動く。

 逆に攻められた側は、失われるものを可能な限り減らさねばならない。



「時勢を見て決起した?

 いやいや、違う。時勢が見られる男なら、矛を収める好機は三度あったはずだ」



 しかし、その努力を加藤清正は怠った。

 領民を顧みず、いたずらに肥後の力を削り、追い詰められながらも、己の意地を最優先した。


 この上、雌雄を一騎打ちで都合よく決そうなど、ちゃんちゃらおかしい。



「一度目は、我らが関ヶ原で勝利したとき」


「二度目は、秀頼様が上洛を命じられたとき」


「三度目は、柳川城が落ちたときです」



 左列の先頭の鍋島直茂の背後を通り、左へと曲がる。


 これで陣幕をグルリと一周だ。

 立花宗茂の前を通り過ぎ、床几に再び座った。



「これはもう、完全なる私闘だ!

 加藤に大義などあるものか!

 自分の足元すら顧みず、私情で国を振り回す支配者を……。『暗君』というのだ!」



 使者は深く俯いていた。

 俺が怒鳴り声を浴びせると、正座したまま両手で膝をぎゅっと握り、体を小刻みに震わせた。


 そう、その姿が見たかった。

 わざわざ陣幕内を一周して自分を焦らした甲斐があった。胸がスカッとするほど爽快だ。



「大陸では、君主が徳を失えば天命もまた失うという。

 ならば……。天命は今、我らにある! 俺が負けるはずがない!」



 俺が左右に居並ぶ諸将の顔を見渡すと、一人また一人と頷きが返ってきた。

 最後に左隣を見れば、立花宗茂も頷き、これで結論は決まった。



「朝末、使者殿に加藤の握り飯を持たせて差し上げろ」

「……えっ!?」

「腹が減っていたから、負けました。

 そんな愚痴をこぼされたら、地獄の閻魔が気の毒だ」

「はい! 今すぐ、用意します!」



 俺が右後ろを振り向くと、朝末は驚きで目を丸くした。

 だが、俺の心憎い計らいを悟るや否や、笑顔で頷き、陣幕の奥へ小走りで駆け出した。



「帰って伝えろ。

 お前が憎んでいる三成がいたから、福島正則は生かした」



 俺は再び床几から立ち上がり、使者へと歩み寄った。

 目の前で、かかとを地面につけてしゃがみ込み、両肘を膝の上に置く。



「だが、俺は今でもそれを後悔している。

 そして今、ここに三成はいない。……念入りに首を洗っておけ、とな」



 首をひねり、俯く使者の顔を下から舐めるように見上げて、ニヤリと笑った。




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