第46話 熊と温泉、虎も
「……暇」
「暇だな……。」
俺たちはついに加藤清正を追い詰めた。
島津家の軍勢とも無事に合流し、あとは熊本城を落とすのみ。
ところが、この熊本城が厄介だった。
改築の途中だというのに、驚くほど堅牢なのである。
攻め側を巧みに不利へと追い込む構造になっていた。
こちらが一歩踏み込むだけで、城方に利が転がり込む仕掛けばかりだった。
最も攻めやすい西の大手門ですら、奪っては奪われ、また奪い返す。その繰り返しだった。
石垣は反り返っており、忍びの侵入を拒むうえ、工作もままならない。
敵の士気も高く、俺たちは無駄に犠牲を重ねた。
十二回目の攻勢が失敗に終わったとき、戦術を戦略に切り替えた。
「……暖かくなってきたね」
「もう春だなー……。」
すなわち、兵糧攻めである。
そもそも、籠城戦とは、援軍あってこその戦い方だ。
だが、いくら待っても、加藤清正には援軍が来ない。
豊臣家に反旗を翻した九州の大名たちは、すべてこちらに恭順していた。
そのことを加藤清正が知らぬはずもない。
それでも城内の士気は揺るがず、折れる気配はなかった。
降伏を勧告する使者を何度か送ったが、そのことごとくが矢で追い払われた。
「そろそろ音を上げても良い頃じゃない?」
「知っとるか?」
「何が?」
しかし、いずれ兵糧は尽きる。
俺たちは大軍の利を活かし、熊本城をぐるりと囲んだ。
昼夜を問わず厳重な監視を続け、猫の子一匹通さぬほどの包囲網を敷いている。
ただ、欠点もある。
こちらは『待ち』こそが最大の攻撃であり、圧倒的に暇なのだ。
兵糧攻めが始まって、今日でちょうど二週間になる。
暦は三月の下旬を迎え、昼は暖かいが、夜の一人寝は寒い。
古満や雪が、茶々のことが恋しくてたまらない。
「伯父上の話だと、熊本城は、壁や畳に食い物を混ぜて作ってあるらしいぞ?」
「えっ!? ……ってことは、この暇はまだまだ続くの?」
「たまらんよなー……。」
今日も今日とて、俺は接収した屋敷の一室でごろりと寝転び、豊久を話し相手に暇を潰していた。
******
「……暇」
「暇だな……。」
釣り竿の先にネズミを模したおもちゃを垂らし、猫と戯れる。
近くでは、俺が暇つぶしに買った『伊勢物語』を豊久が読んでいた。
「……桜、散っちゃったよ」
「相撲も、釣りも、遠乗りも飽きたのー……。」
ふと庭を見ると、昨日まで花を咲かせていた桜が、すでに葉桜になっていた。
最後に鎧を着けたのは、いつだったろうか。
熊本城は依然と沈黙を保ち、音を上げようとしない。
「碁でもやる?」
「お前、弱いしなー……。」
正面に視線を戻すと、猫におもちゃのネズミを奪われてしまっていた。
次なる暇つぶしを求め、部屋の角に顔を向ける。
そこには、俺の遊び道具が山のように積まれていた。
「失敬な。最近、近くの和尚さんから鍛えて貰ってるんだぞ?」
「ほーー……。」
最近のマイブームは碁だ。
現代に生きていた頃は見向きもしなかったが、真田昌幸に勧められて始めた。
ルールが分かると、実に奥深い。
ただ、俺はどうにもヘボらしく、勝てる相手がいない。
接待プレイは何度か経験しているが、それは勝利に数えていない。
そこで、膨大な暇を潰す目的も兼ね、熊本城の郊外にある寺の和尚さんに師事を受けていた。
「そうだ! 阿蘇の内牧城近くに温泉があるって、和尚さんに教えてもらったんだった!」
ふと、絶好の暇つぶしを見つけ、俺は目を輝かせた。
すでに時刻は昼すぎ。
今から件の温泉に向かえば一泊は確実だが、問題はない。
どうせ加藤清正は攻めてこない。
ここでダラダラしているより、阿蘇山の雄大な景色を眺めながら温泉を楽しむ方が、はるかに有意義だ。
「良いな! ひとっ風呂浴びに行くか!」
豊久が伊勢物語を投げ捨て、笑顔で立ち上がる。
さすが俺の親友である。こっちが誘う前に誘ってきた。
「そうしよう、そうしよう!」
俺も笑顔で立ち上がった。
急に騒がしくなった俺たちに驚いた猫が、部屋を駆け回る。
そして、俺が襖の取手に手を伸ばしたその時だった。
「ずいぶん楽しそうな話をなさってますね?」
襖が勝手に開き、鎧に陣羽織を羽織った立花宗茂が現れた。
その表情はニコニコと笑っていたが、俺をじっと見る目は笑っていなかった。
「うっ……。た、立花殿も一緒に行きますか?」
「そうしたいのは山々ですが……。
今、攻城戦の真っ最中でしてね。とても忙しいのですよ」
「……た、大変だね」
立花宗茂が一歩進み、俺が一歩下がる。
それを繰り返すうち、すぐに背中は壁にぶつかり、退路はなくなってしまった。
「おや? 今朝にお頼みした書類は、まだお済みでない?」
「こ、これから、やろうかなっと……。」
「そうですか。安心しました。
ところで……。どこへ行くと言ってましたっけ?」
たまらず豊久に救いを求めるが、その姿はどこにもなかった。
あいつ、逃げやがった。
縁側の上がり石にあった草履が消えていた。
「机です……。机に戻ります」
俺は邪魔だからと脇に除けておいた文机を、部屋の中央へと戻した。
嫌々ながら、その前にしょんぼりと項垂れて座る。
「はい、頑張ってください。
ああ、これは追加です。お願いしますね?」
「はい、喜んで……。」
立花宗茂が右手に抱えていた小箱を、文机の横にそっと置いた。
夕飯までには絶対に終わらない量の書類に、思わず顔が引きつった。
「お、伯父上っ!? ……うごっ!? 」
「やはり、ここにおったか! サボっておらんで、仕事をしろ!」
豊久の悲鳴が聞こえてきた。
多分、待ち構えていた島津義弘に殴られたのだろう。俺を見捨てた罰だ。
******
「……暇」
「暇だな……。」
碁石を摘んでは床に落とし、摘んでは床に落としを繰り返す。
近くでは、豊久が畳の上で、俺が教えた平泳ぎの練習に励んでいた。
「藤が綺麗だねー……。」
「……もう五月か」
ふと庭を見ると、藤棚に鮮やかな紫が垂れていた。
本当にここは戦場なのだろうか。
熊本城は相変わらず沈黙を保ち、最近では作戦会議にも呼ばれない。
それ以前に、この屋敷から出るなと、立花宗茂に言われていた。
どう考えてもおかしい。
俺は総大将で、一番偉いはずなのに、何故か軟禁されている。
しかし、俺の歓心を買おうと、客は訪れる。
その時間を午前中にあてているのだが、今日は珍しい客が現れた。
「ところで、南蛮商人が城下に来てるって知ってた?」
「何だ? 面白いものでも手に入れたのか?」
それを思い出し、俺はニヤリと笑った。
平泳ぎを止めた豊久が、身を起こし、期待に満ちた目でこちらを見る。
「ふっふっ! よくぞ、聞いてくれました!」
俺は部屋の角に置いてあった長持ちのもとへ、いそいそと向かった。
蓋を開け、中にしまってあった頭から尻尾まで丸ごとの虎の毛皮を取り出し、両手で広げて豊久に見せつける。
「じゃーん! どうだ!」
「期待させるなや。虎の毛皮なら、何度か見たことあるぞ」
だが、豊久はふうっと深いため息をついた。
その顔には、隠す気のない落胆が浮かんでいる。
俺は虎の毛皮を左肩にひょいと乗せ、右拳に立てた人差し指を『チッチッチッ』と舌打ちに合わせて揺らしてみせた。
「豊久君、駄目だなー?
これを見て、気づかないなんてさ」
「……何がさ?」
「加藤清正といったら、虎狩り!」
「有名な話だな。それで?」
豊久はその場にどさりとあぐらをかき、右拳で頬杖をついた。
今度は露骨に苛立ちが顔に浮かんでいるが、その表情がいつまで保つか見ものだ。
「これをこう羽織って、城門の前で踊るんだよ!
きっと加藤清正は、虎狩りの名にかけて飛び出してくるはずだ! ガオーッ!」
俺は虎の毛皮を背中に羽織った。
自分の頭の上に虎の頭をかぶせ、前足を掴んだ両手を高く掲げる。
そして、虎になりきったつもりで吠えた。
「かっかっかっ! やろう、やろう!
どうせなら、笛や太鼓も鳴らすってのは、どうだ?」
「じゃあ、朝末を呼ぼう! あいつ、笛が上手いんだ!」
たちまち豊久は、子供のように頭の上で手を叩きながら大喜びした。
さすが俺の親友である。計画はトントン拍子に進んでゆく。
今日は愉快な一日になりそうだ。そう思ったその時だった。
「……あっ!?」
襖がスパーンと音を立てて勢いよく開いた。
俺たちは思わず体をビクッと震わせ、振り向く。
そこには、無表情の立花宗茂が立っていた。
「あ、あの……。た、立花殿?」
立花宗茂は俺に歩み寄り、虎の毛皮を容赦なく奪い取った。
足袋のまま庭に出ると、虎の毛皮を池に放り込み、こちらに目もくれず、無言のまま立ち去った。
俺と豊久は静かに腰を下ろし、引きつった顔を見合わせた。
「わざわざ池に捨てることなくない?」
「……だよな」
最近、立花宗茂はいつも不機嫌で怖い。
加藤清正を挑発し、城から出てきたところをやっつける。
俺なりに城攻めを早く終わらせようと考えた策なのに、どうして怒られるのか、さっぱり分からなかった。




