幕 間 錦を飾る日
「ああっ……。帰ってきたっ!」
唐津街道の畦町宿の手前、北へ少し入った枝道沿いに村があった。
小山と小山に挟まれ、ひっそりと広がるその村は、由緒ある小さな神社がある以外、特に目立ったところのない、ごく普通の農村である。
しかし、城井朝末は村へ続く林道を抜け、前方に現れた故郷の姿に心を震わせながら、馬を駆って進んだ。
「ちょっ!? ……ま、待てよ!」
当然といえば、当然のことだった。
城井朝末が村に戻るのは、ほぼ一年ぶりである。
去年の春、田植えが最盛期を迎えた頃、小早川家による大規模な徴兵が行われた。
任地は、この地を治める小早川家の居城『立花山城』ではなく、遠く離れた大阪であると知らされ、誰もが尻込みする中、城井朝末は迷わず名乗りを挙げた。
実年齢の12歳では徴兵に応じてもらえないため、村長に頼み、名簿には15歳と記載してもらってまでのことだった。
「おっ!? 虎丸じゃねえか!」
「その馬は何だ! どうしたんだ!」
胸に秘めた思いは、お家再興。
城井朝末は、幼いころからその言葉を母に聞かされ続けて育った。
だが、父は生まれる前に謀殺されたため、城井朝末は顔を知らない。
母は日向の大名『秋月種実』の娘であったが、夫を失ってからはしばらく実家を頼り、やがて流転の末、朝末が物心つく頃には今の村に身を落ち着けていた。
「虎丸! 無事だったのか!」
「おい、みんな! 虎丸が帰ってきたぞ!」
つまり、城井朝末は、名ばかりの武家の子であり、実のところ農民として育った。
それでも、母が繰り返し語ったお家再興の願いは、彼の支えであり、誇りでもあった。
だから、他の子どもたちが無邪気に遊び回る中、城井朝末は、母の教える礼法と学問に必死で向き合った。
こんなことを覚えて何になるのか、と心の中で毒づいたことは、一度や二度ではなかった。
足軽となったあとも、小頭に怒鳴られ、小突かれるたび、すべてを投げ出して逃げてしまいたい衝動に駆られたことも、一度や二度ではない。
「おてるを呼んでこい!」
「ああ、そうだな! ずっと心配していたからな!」
そして、関ヶ原の戦いでは、ただひたすらに駆けた。
激戦のさなか、落馬した敵将の馬を幸運にも奪い取り、息を切らしながら主君のもとへ駆けつけた。
そこで、城井朝末は、主君の姿に心を奪われた。
見るからに歴戦の猛将と、まるで物語の一場面のように一騎打ちを繰り広げる主君の姿に、胸が奮い立った。
泡を吹く馬を叱咤しながら駆け続け、ついに敵の総大将である徳川家康の背を見事に斬りつけることに成功した。
「村長もだ! 祝言をあげるっていってたからな!」
「ははっ! こいつはめでてえ!」
その功績により、城井朝末は小早川家の侍大将として大抜擢の栄を受けた。
それからの毎日は、まるで夢見心地のようであった。
小早川秀秋は、年若い城井朝末を弟のように可愛がり、大阪では奥方二人の警護という名誉ある任務まで賜った。
しかも、日常の何気ない会話で一度だけ漏らしたことだが、小早川秀秋は城井朝末の故郷を覚えていた。
西進する軍勢をわざわざ畦町宿で止め、そこを宿泊地にすると、故郷に錦を飾るよう誘ってきたのだ。
「母さん! ……母さんっ!
朝末は今戻りました! お家再興を成し遂げました!」
かつては大名家の娘が暮らしていたとは思えないほどのあばら家。
城井朝末は懐かしい我が家を目にするや否や、馬を急停止させ飛び降り、その勢いのまま自らの足で駆け出した。
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「わきゃっ!?」
狭い土間、六畳ほどの板間。
囲炉裏のそばで藁を編む城井朝末の母は、突然の音に体をビクッと震わせて驚いた。
当然と言えば、当然のことだった。
事件らしい事件もないのどかな村であるにもかかわらず、玄関の引き戸が壊れるかと思うほどの勢いで開いたのだ。
「と、朝末……。そ、その格好……。」
母は恐る恐る視線を手元から上げ、再び驚きに息を呑んだ。
大阪へ足軽として赴いたはずの息子が、玄関に立っている。
それも、足軽の身では到底着ることのできない上等な着物を身に纏っていた。
「まさか……。信じて送り出した息子が……。」
やがて、母は顔を俯け、ゆらりと立ち上がった。
息子に背を向け、この家でただ一つの家具である『長持ち』の中を探り始めた。
「……か、母さん?」
その様子に、城井朝末は戸惑いながらも、胸の奥に漠然とした不穏さを覚えた。
「お前様、申し訳ございません!
この上は、朝末を討ち、私もお傍に参ります!」
次の瞬間、母が立ち上がった。
振り返ったその手には、抜き身の短刀。
右腰に構え、両手で握ったまま、切っ先を向けて城井朝末へ迫ってきた。
「ななっ!?」
不意を突かれたとはいえ、城井朝末は関ヶ原の激戦をくぐり抜け、一等の誉れを得た若武者である。
母の突進をとっさに避けると、城井朝末は我に返るより早く、その背後へ回り込み、羽交い締めにしていた。
「盗賊に身をやつした息子など要らぬ!
お前は地獄で閻魔に舌を抜かれるがいい!」
腕の中でもがきあばれる母が勘違いしていると悟った城井朝末は、必死に押さえつけながら叫んだ。
「違うって! 俺は侍になったんだよ!」
「この着物は奪ったものじゃない! 自分で買ったんだ!」
母は動きをピタリと止めた。
「……えっ!?」
驚きで目を見開き、羽交い締めにされた肩越しから、息子を見上げる。
「小早川家に侍大将として召し抱えられたんだ。
母さん……。
俺、お家再興、成し遂げたよ……。」
城井朝末は安堵のため息を漏らし、力を抜くと、母は呆然とその場にぺたんと崩れ落ちた。
そんな母に苦笑し、城井朝末が右手を差し出して母を立ち上がらせようとしたその時だった。
「と、虎丸が……。お、お侍様に……。」
重い音がドスリと響き、玄関先に見事な白菜が転がった。
「おおっ、おてる! やったぞ!」
「俺、侍になったぞ!」
「約束通り、祝言をあげよう! 村長も許してくれるはずだ!」
城井朝末が思わず視線を向けると、そこには、母と一緒に会いたかった幼馴染の少女が立っていた。




