第40話 知略の芸術
「なあ、朝末……。」
「はい、何でございましょう」
天を仰げば、澄み渡る青空。
風ひとつなく、陽はやわらかに肌を撫でている。
俺たちは、九州北部の海岸線を結ぶ唐津街道を行軍していた。
「お前、ちっとも女遊びしないけど……。故郷に待たせている女がいるとか?」
「……えっ!?」
「おやおや~? その反応は……。いるな?」
「い、いや……。そ、その……。」
古満と雪は下関でお留守番。
俺たちは門司を渡り、九州に上陸。陸路を西へ進む。
小早川家の兵、七千。毛利家の兵、八千。
小倉城に待機していた一万五千の兵と合流し、軍勢は隊列を整えてさらに西へと進んだ。
「よし、立花山城を取り戻したら、お前の村へ行くぞ!」
「い、いけません! わ、我々はお役目があるのですから!」
「いいじゃん、いいじゃん! 故郷に錦を飾りに行こうぜ! ……なっ!?」
豊前と筑前の境を越え、隣に馬を並べる城井朝末をからかって楽しんでいた、その時。
街道脇を、一騎の馬が土煙をあげながら逆走してきた。
「ご注進、ご注進! 小早川様はいずこか!」
「おう、ここだ! ここにいるぞ!」
俺は朝末と顔を見合わせると、掲げた右手を大きく振った。
駆けてきた騎馬が、急停止の反動に土を散らした。
「馬上より失礼します!
芦屋宿より、遠賀川を渡る小舟が一艘!
白装束に縄輪を首に下げた者が、こちらへ向かっております!」
手綱を引かれた馬が鼻を鳴らし、馬首を上下させるたび、武者の鎧の金具がカチャカチャと鳴った。
行軍はいつしか止まり、数多の視線が俺へと集まった。
「芦屋宿に軍勢は?」
俺の声に、武者は馬上で背筋を正し、即座に答えた。
「おりません!」
「では、このまま堂々と進み、遠賀川の手前で全軍停止。
それから……。俺が着くまで、誰にも手出しさせるな。そいつは、俺の客だ」
言い終えると、俺はニヤリと笑い、目を細めた。
白装束に、首に下げた縄輪
それに、遠賀川を渡っての背水の陣。
ここまで揃えば、もう察しがつく。
小早川秀秋の立花山城を奪った黒田長政の父『黒田孝高』だ。
実を言えば、降伏の意思を伝える密書は、大阪を発つ前にすでに届いていた。
加えて、そこには『お膳立てはお任せあれ』と記されていた。
さすがは豊臣秀吉に恐れられた知恵者。
降伏するにしても、トンチが効いているじゃないか。
「委細承知! ……では!」
武者は馬首を翻すと、土を蹴り上げて駆け去っていった。
その背が遠ざかるのを見届け、俺はそっと息を吐いた。
「ふっ……。どうやら、立花山城は取り戻せたようだな」
「……秀秋様?」
城井朝末が不思議そうに顔を向ける。
俺は答えず、ただまだ見ぬ遠賀川の方角を見つめた。
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「お待たせしましたかな?」
遠賀川のほとり、御座を敷いて正座する初老の男がいた。
報告にあった通り、白装束に縄輪を首から下げている。
水面に反射する日差しのきらめきに目を細めながら、俺はひとり歩み寄っていった。
「秀吉様が狂われてから、幾年になりますか……。
それに比べれば、一月や二月など、さほどのことではございませぬ」
予想した通り、待ち人は『黒田孝高』であった。
例によって、法則『俺の顔見知りは脇役』にまた当てはまっていた。
一度きりしか会ったことはなかったが、ライバル会社にヘッドハンティングされた元同期『黒田』の父親である。
『黒田』の結婚式では、見事なくらい男泣きしていた姿が、強く印象に残っていた。
「こんな若造に出し抜かれた気分は、いかがですか?」
「くっくっくっ……。爽快ですね」
俺は静かに鞘から刀を抜いた。
勝者として、せめて愚痴くらいは聞く義務があると思い問いかけると、黒田孝高は肩を震わせて笑った。
「秀吉様がいなくなり、色褪せた天下……。
ならば、いっそ奪ってやろうと目論んだものの、そこに秀吉様の才を受け継ぐ者がいた」
俺を見つめつつも、どこか別の誰かを見ている黒田孝高の、遠い眼差しに、すべてを理解した。
黒田孝高が欲しかったのは、天下ではない。
彼が認められなかったのは、豊臣秀吉のいない天下だったのだ。
「息子からの文でそれを知らされたとき、たまらず腹を抱えて笑いました」
現代に生きていた俺には、理解しがたい忠誠心だ。
だが、これだけは分かる。
黒田孝高は先ほど、豊臣秀吉を『狂った』と称したが、彼自身もまた狂ってしまったのかもしれない。
ここで生かしたとしても、それは生ける屍にすぎないのだ。
「まったく、秀吉様には勝てませぬ。
こんな節穴を天下の才とまで謳ってくれたのですから……。愉快、愉快」
それに、黒田孝高は最高の演出を与えてくれていた。
俺はてっきり一戦を交える茶番劇でも演じるのだと思っていた。
ところが、それは大きな誤りだった。
戦場で華々しく散ることもかなわず、降伏を申し出たというのに、武士の誉れすら与えられず、罪人として斬首される。
唐津街道の遠賀川のほとり。
大観衆が見守る中、それが執り行われることで、黒田孝高の芸術的な策は、ついに完成を迎えるのだ。
「しかし、秀吉様に最後のご奉公が叶うのであれば、これほどの本望はございませぬ。
我が生命と、黒田家のすべてを、秀秋様の天下のために、ご存分にお役立てください」
効果は二つ。
一つは、徳川家に「埋伏の毒」として潜む黒田長政に、徳川家とその周囲が疑いを抱かぬようにするためのもの。
もう一つは、俺に刃向かう者へ、恐怖と戒めを深く刻み込むことだ。
俺たちは、徳川家の旗に従った東軍諸将に対して温情を示した。
しかし、ここで黒田孝高を処断すれば、豊臣家の情けと俺自身の情けは、別のものと見なされる。
黒田孝高は兵を挙げ、俺の所領を奪った。
つまり、俺は『自分のものを奪った者は決して許さぬ』という意思表示になるのだ。
今後、それは大いに役立つだろう。
さしあたって、近い将来に対峙する加藤清正の処分も容易になった。
俺は殺人鬼ではない。
戦場ならともかく、戦場の外で人を斬るなど、できることならしたくない。
相手が顔見知りなら、なおさらだ。
だが、差し出された命は、黒田孝高の心尽くしの贈り物である。
それを突き返すなんて、俺には到底できなかった。
さらに言えば、黒田孝高は『秀秋様の天下のため』と言ったが、ここでそれを訂正するのは無粋だと思い、聞かなかったことにした。
「あの男は?」
俺は黒田孝高の隣に立ち、川岸に停められた小舟を見た。
そこには、壮年の男が褌一つで正座している。
小舟の漕ぎ手だろうが、ただの船渡しにしては、どこか格を感じさせる。
おそらく、黒田孝高の家臣に違いない。
褌一つでいるのは、これから起こることに自らは関わらぬという意思の表れなのだろう。
「おっと……。喜びが先立ち、大事なことを言い忘れるところでした。
あの男は後藤基次と申します。その武勇は西国無双、立花宗茂にも引けを取りませぬ。
ただ、政の方は今ひとつ、人望もなく、大喰らいの暴れ馬のような者と申せましょうか」
俺は思わず目を見開いた。
残念ながら、距離がある上に水面の反射で顔は確認できない。
しかし、後藤基次といえば、通称『後藤又兵衛』として知られ、史実の大阪の陣で活躍した『大阪五人衆』の一人に数えられる男だ。
俺がよく遊んでいたシミュレーションゲームでは、親豊臣家のため必ず臣下に加えていた。
だが、元は黒田孝高の家臣だとは、知らなかった。
「ですが、秀秋様ならば、きっと乗りこなせましょう。その覇道の乗馬として、お使いください」
「ありがたく頂こう」
黒田孝高が首をゆっくりと前に差し出す。
俺は両手で刀を掲げると、彼は胸の前で十字を切った。
「神よ……。いざ、御元へ……。
おもひをく、言の葉なくて、つゐに行く、道はまよはじ、なるにまかせて……。」
「せいやっ!」
これ以上、待たせるのは無粋。
俺は白刃をぎらりと光らせ、覚悟とともに振り下ろした。




