第二章 世界一のさいてい男
「さっきから三回目だぞ、予定より費用がかさんだって言ってるの。気づいたか?」
父は、思わず花火が微笑んでしまうほど無邪気な好奇心で尋ねた。こんなことに本気で食いつく父の姿には、どこか愛らしいものがあった。
「いつかうちを改装することになっても、あの双子には絶対に頼まないようにな。覚えておいてくれ」
「リアリティ番組よ、パパ。洗濯機を三台同時に回せるなら、配管の追加費用が何ドル増えようと、あの人たちは気にしないんじゃない?」
花火はそう言い返した。
花火は父と並んで、リビングの信じられないほど柔らかいソファに座り、午後いっぱい、テレビを見て過ごしていた。
休暇のあいだ、二人が一緒にいられる時間はたいていわずかだった。あちこち駆け回って、「わくわくする」と思えることを一度に全部やろうとするのだ。ごちそうを作り、街を歩き、互いにプレゼントを買う。
健二は多くを語る人ではなかったが、その朝は仕事を脇に置いて子どもたちのそばにいた。空港まで二人を迎えに行った、翌日のことだ。
前の晩のことは、眠りに落ちたこと以外ほとんど覚えていない。かろうじて起きていられた短いあいだに、家族の学校である札幌蓮学園への特別入学の最後の手続きを済ませた。
それでも、こうしてここにいる。十年近くぶりに、こんな時間を味わいながら、穏やかに寄り添って。
「……まあ。それでも高いものは高い。最初に言った予算の範囲に収めてほしいんだがな」
花火は笑った。母から受け継いだのが奔放さなら、計算高さは完全に父譲りだった。
「同感」と彼女は言い、父の肩にこてんと頭を預けた。
父はその愛情表現に、言葉では何も返さなかった。代わりに、番組の場面が切り替わって画面が暗くなるたび、テレビに映る父のゆるんだ笑みが、花火の目に入った。
「だが、まあ。午後はずっとここにいたな、もう夜だ。春樹の様子を見てきたらどうだ?」
父はそう言って、ようやくソファから立ち上がった。そこに彼の腰のあとが残っていると言っても、大げさではなかった。
「夕食の支度をするよう伝えてくれ。佐藤さんに料理を出すよう頼んでおく」
「またカツカレー?」
花火は片眉を上げて尋ねた。
父は口の端だけで笑い、首を傾けて彼女のほうを向いた。
「どう思う?」
「パパ、私がすごく寂しかったの、わかってるでしょ?」
彼女はやわらかな声でそう言い、つま先立ちで父の頬にキスをして、離れていった。
父娘とはいえ、健二は言葉の多い人ではなかった。それに、長年のあいだ、時間も距離も二人のあいだにあった。こんなにありふれた気持ちを父親に打ち明けるのに緊張してしまう自分が、花火には悲しかった。
健二はチェックのズボンのポケットに手を入れた。軽やかで、でもどこか子どもっぽい足取りで家の中を遠ざかっていく花火を見ながら、うつむく。胸には、いろいろな思いが入り混じっていた。娘がここにいる、何か月も途切れずにいてくれる、それが嬉しくてたまらない。けれど同時に、何年も会えなかった分、寂しさも大きい。そしてもう一つ、あの頃のようにみんなで一緒に過ごせる日々は二度と戻らず、この状況が終わる近い未来もないのだという思い。
対照的に、花火は消えそうにない笑みを浮かべたまま階段を上った。
カツカレーの夕食。大好きなパパと過ごした午後まるごと。そして、何年も離れていた分、兄をからかい倒せるチャンス。札幌への衝撃の帰還を迎える歓迎として、これ以上のものがあるなら教えてほしい。
さて、あとは春樹を見つけるだけ。ここは彼の家なのだから、それほど難しくはないはずだ。理屈の上では。
「あの生き物、どこにいるのよ」
自分の部屋の向かいにある春樹の部屋の扉を開けて、誰もいないのを確かめたあと、彼女はつぶやいた。
「午後じゅう寝てるんだと思ってたのに」
数歩、後ずさる。
「まさか……」
勢いよくバレリーナのようにくるりと回って、自分の部屋の扉を開けた。部屋が空っぽで、電気も消えているのを見て、肺の空気を全部吐き出す。
「ああ、よかった。もしあいつが私の部屋で寝てたら、永遠に眠らせてやるところだった」
そして扉を閉めた。
目の前には長い廊下が伸びていた。ここは大きな家で、一階には健二と双子が、二階には祖父の健一と二匹の犬、トビーとトビアスが住んでいる。建物はミニマルなモダンさと日本の伝統的な要素が混ざり合っていて、廊下は白く、床は木、扉もすべて同じ色だ。人生の大半をここで過ごしていなければ、きっと迷子になっていただろう。
すでに二つの候補は消えていた。春樹がいるとしたら、父の部屋――考えているうちに消えた――か、浴室か、客間。
「うげっ。浴室にいるなら、お断り。客間に行って、いなかったら、カレー抜きね」
数歩進んだところで、客間のバスルームの扉が閉まる音が聞こえた。その瞬間、彼女の顔に悪い笑みが広がった。
「見つけた」
花火は一日じゅう父と過ごしてきた。次は兄に愛情を示す番だ。昼食以来、まったく自分に構ってこなかった恩知らずに。
「春樹ぃぃぃ!」
目を閉じるほど満面の笑みで、彼女は芝居がかって叫んだ。
「大好きな妹がいなくて寂しかったでしょ?」
扉を開けるなり、花火は背中を向けた人影に飛びついた。相手は小さなフェイスタオルで髪を拭いていて、千人力の抱擁を背後から食らっても、ほとんど反応できなかった。
「な、なにを……」
その姿は春樹に似ていた。けれど、彼が声を出した瞬間、花火の目は限界まで見開かれた。
花火の心臓が止まった。その低く滑らかな声は、双子の兄のものではなかったのだ。
「ええっ!?」
扉を開けて飛びついたよりもさらに速く、次の出来事が起きた。不意を突かれた青年がタオルを落としたのだ。叫びながら彼から離れようとした花火は、そのタオルを左足で踏んでしまった。タイツ越しにも、じんわりと湿り気が伝わってくる。
「うわああああっ!」
案の定、彼女は足を滑らせた。何が起きているのか振り返った青年も、バランスを崩した。そのまま後ろに倒れ込み、花火も道連れにした。
「やあ、お嬢さん」
まだ濡れた黒髪の青年は、悪びれもせずに言い、いやらしい笑みを浮かべた。
「うわああああああああっ!」
彼女はもう一度叫び、彼から飛びのいて立ち上がった。
「変態! あんた、いったい誰なのよ!?」
けれど少年は、びくともしなかった。まるで何事もなかったかのように、気取ったポーズを崩さず立ち上がる。そして床のタオルを拾い、有機的なフォルムの鏡の上に引っかけると、白いシャツのボタンを留め始めた。彼がシャツの前を全開にしていたことこそ、花火が彼を「変態」と呼ぶ理由の筆頭だった。
「なあ、俺の上半身が見たかったなら、頼んでくれればよかったのに」
このろくでなしは、鏡越しに彼女を見てにやにや笑いながら、ボタンを留め続けた。
花火は肺いっぱいに息を吸い込み、言葉で蜂の巣にしてやろうと身構えた。そこへ春樹が、ようやく血相を変えて現れた。
「なんだ今の叫び声は? 何があった?」
「春樹……」
真っ赤になって怒っている花火より早く、変態が答えた。
「妹が帰ってきてるなんて、聞いてないぞ」
「春樹、なによこれ? この変態は誰!?」
「変態? 俺が? いきなり現れて、飛びかかってきたのはそっちだろ」
花火は目を細め、腰に手を当てた。
「事故で飛びかかっただけよ、この失敗作のなりそこない色男。家庭内の災害を、好意の表明と一緒にしないで」
彼の笑みが広がった。
「つまり、俺に飛びかかったことは認めるんだな」
「はあ……」
春樹はため息をついて、目を回した。
「兄さん、なんでこんなレベルの男がうちにいるのか、説明してもらえる?」
兄は眉をひそめ、彼女に分別がないとでもいうような目で見つめ返した。
「花ちゃん、覚えてないのか? 広だよ!」
「近所の公園でよく遊んだだろ。花ちゃんが覚えてないなんて、ショックで立ち直れないな」
広は首を傾け、気だるげな笑みで彼女を眺めながら言った。あの変態に家族の愛称で呼ばれたことが、彼女をそれ以上怒らせずに済んだのは、続く一言のおかげだった。
「まあ、あんなふうに俺の腕の中に収まったことを考えれば、花ちゃんの無意識は、ちゃんと俺を覚えてたみたいだけどな」
『Hiro, please……』
春樹がたまらず割って入った。もう我慢の限界だった。今にも吐きそうだと言わんばかりに。
「俺の妹だぞ。気持ち悪い」
花火は怒りを飲み込み、腕を組んだ。
「悪いけど、あなたの存在の記録なんて、私の頭の中にはひとかけらもないわ。思い出すほどのものが何もなかったってことでしょうね。あなたの場合は特に」
「問題ない。もう一度、自己紹介しよう」
彼は紺のツイードのズボンのポケットに左手を入れ、右手を彼女に差し出した。
「石川広だ。会えて嬉しいよ」
「全然嬉しくない」
花火は腕を組んだままだった。軽蔑の表情を浮かべたのに、それは彼をさらに笑顔にさせただけだった。
「春樹……」
彼女は客人の存在を無視して兄に向き直った。
「パパが、夕食の支度をしなさいって」
「わかった、わかった」
春樹はうなずき、手を振った。疲れ切った様子だった。
兄妹のじゃれ合いは自然なことで、長いあいだ会えなかった二人なりの触れ合い方でもあった。とはいえ、広と花火の三分間のやりとりは、この二人には見張りが必要だと告げていた。それも、たっぷりと。さもなければ、二人の衝突で家が焼け落ちてしまう。
ある意味では、花火も同じ気持ちだった。
「バカ。バカ。バカ。バカぁぁぁ!」
彼女は心の中で繰り返し続けた。拳を握りしめ、ほとんど飛ぶように廊下から階段へ、階段から台所へ向かった。その日、体にぴったりのツイードのワンピースとタイツを選んだことを後悔した。この怒りなら、一瞬で家を横切って、父に問いただしたかった。
「パパ、春樹のお客さんって誰? どうして来たのに気づかなかったの?」
父は不意を突かれ、大福を丸ごと口に入れたまま、ぽかんと口を開けていた。
「そ、それは……ごほっ」
彼は急いで噛んで飲み込もうとした。花火は彼を鋭く見つめ、料理人の佐藤さんが笑いをこらえているのにも気づかなかった。佐藤さんは、きっとこう思っていたに違いない。お嬢様は、もうあの石川くんにお会いになったのね、と。
「覚えていないのか?」
「どうしてみんな同じことを聞くの?」彼女は舌打ちした。「いいえ、石川広なんて覚えてない。私は八歳だったのよ。学校も公園のことも、ほとんど覚えてないわ」
もちろん、幼い頃の記憶で彼女が必死に残そうとしたのは、父と春樹との時間だけで、それ以外はどうでもよかった。でも、そんなことは口に出さなかった。
「春樹の幼なじみで、一番の親友だ。あいにくご両親がとても忙しくてね。だからうちで毎日夕食を食べている」
「毎日!?」
花火はショックを隠せなかった。なんてこと。数分でも耐えがたかったのに、これから半年間、毎晩だなんて。
「でも、ここに来たときに会ったことなんてないわ!」
「おまえが来るのは休みのときだけだからな。それに夏休みは、広くんは家族で旅行に行くことが多い。確かイタリアだったかな」
花火はしばらく黙り込んだ。
半年。
半年間、これまでの人生で出会った中で一番のさいてい男と、ひとつ屋根の下。
最高。まったくもって、素晴らしい。
マンチェスターで夜通し計画したことのなかに、そんな落とし穴は入っていなかった。
またしても、彼女は時間が必要だと感じた。
「えっと、疲れちゃった。まだ時差ぼけだと思う」
彼女はため息をつき、これから言うことの口実に、ささやかな芝居を始めた。
「今夜は部屋で食べてもいい?」
父のがっかりした視線に負けないよう、花火は毅然としていようと努めた。
「明日の初登校に備えて、ちゃんと休みたいの」
父は唇を結んだが、すぐにうなずいた。
「構わないよ、花ちゃん。田中さんに夕食を運ばせよう」
すぐに、主人の空腹をなだめようと大福の包みを開けていたお手伝いさんが、花火に微笑みかけ、花火も微笑み返した。
「ありがとう、パパ。大好き」
背を向けて、再び階段へ向かおうとした瞬間、礼儀正しい笑顔は、不機嫌な顔に変わった。
「世界じゅうの可能性のなかで、春樹はよりによってチャラ男を親友に選んだわけね。私のことは頭がお花畑って言うくせに、本当に……見直すべき選択をしてるのは誰なのかしら?」
* * *
「わあ、ここ、この数年でまったく変わってないのね」
花火は安堵のため息のあと、微笑んで言った。目の前にそびえる赤レンガの校舎は、壮麗なゴシック建築だったが、キャンパスを囲む緑がその印象をやわらげていた。
正直、マンチェスターの秋の我が家にいるみたいだった。
「最後にここに通ったのは、小学校のときだよな?」
春樹が尋ねた。中庭の前で、彼女の隣に立っている。毎日ここを通っているが、妹が自分と同じ制服――紺のブレザーとネクタイ、同じ色のツイードのスカート(彼の場合はズボン)――を着ているのを見るのは、十年ぶりだった。
花火は札幌蓮高校にいる春樹の写真を見ていたし、彼も、アシュボーン女子学院にいる彼女の写真を見ていた。けれど、本当に一緒に、同じ体験を共有するなんて。まるで前世のことのようだった。
「そう。でも、誰が思ったかしら? 日本の高校で学ぶってどういうことか知るために、残された最後の半年をつかんだのよ。ビジョンボードまで作ったんだから」
そんな成果への誇りは、これが、自分がまだ処理したくない状況の真っただ中から逃げ出したいという切迫感から生まれたものだという事実を、ほとんど打ち消してくれそうだった。
「少しは分別を持てよ。俺はずっとそばにいて、全部教えてやれるわけじゃないんだからな」
彼は妹の頭のてっぺんには触れなかった。ヘアアイロンで三十分ほどかけ、何だかわからないほど大量の整髪料で、きれいに整えられた赤い髪だ。ダイヤのような石のついた黒いカチューシャが、それをさらに派手に見せていた。代わりに彼は、妹の肩に触れて、軽く揺すった。
「あんたなんか必要ないわ。私の成績表、見たことある?」
「おまえこそ、俺のを見たことあるのか?」
二人は答えないことに同意した。その対比がきれいに釣り合っていることは、どちらもよくわかっていた。花火は理数系の科目はすべてA、文系はすべてA+で、例外なく、しかも全部上級科目だった。春樹はその逆だった。
「それでね、最初の一か月は、あなたと一緒に帰れないの。パパから聞いたかわからないけど、私は特別入学の一人だから、最初の数週間は、カリキュラムを合わせるために追加の授業と試験があるのよ」
「はいはい。九月にお前を見て、どうして受け入れる気になったのか、知らないけどな」
中庭を横切っていくと、次の建物は高校棟で、本館と同じく、秋の枯れ枝に覆われていた。
三年生棟の前の駐輪場に、自転車やバイクを停めて登校してくるクラスメイトたちを眺めながら、春樹は不安を覚えた。
「でも、あのさ……」
歩みを止めずに、横目で妹に忠告した。
「もし誰かに、外国人だとか、九月に入ったとかでちょっかい出されたら、言えよ」
花火は、こらえきれず嬉しそうに笑った。好奇心に満ちた輝きが、茶色の瞳に宿った。
『My oh my』と、彼女は英語でため息をついた。
「山本春樹が、妹を守るですって? 長生きはするものね」
彼は眉をひそめ、目を回した。
「誰が守るなんて言った?」
話をそらそうとして言い返す。
「でも心配しないで、お兄様。自分の身くらい守れるわ。もし誰かが私に何かしようなんて考えたら、山本花火を脅したその日を後悔させてあげる。それが人生最後の一秒でありますようにって、泣いて頼むくらいにね」
花火は歩き続け、入り口の扉に着いた。春樹は目を細めて、その場で固まった。
「ああ、そうだったな。こいつの場合、心配すべきは周りのほうだった」
花火が入り口をくぐろうとしたとき、春樹が呼び止めた。
「おい。忘れ物」
彼女は立ち止まり、肩越しに振り返った。
「なに?」
春樹は靴箱を指さした。彼のスペースの隣に、すでに彼女の名前が用意されていた。
「靴、履き替えないと。上履き」
花火は視線でその仕草を追った。目の前には、布製のバレエシューズのような一足があった。ソールは、彼女の品格に一点も加えられそうになく、犠牲を待っていた。
彼女は自分の靴を見た。ぴかぴかの新品の革のメリージェーン。そして春樹が目の前に差し出している上履き。顔をしかめた。
「これはファッション犯罪よ。履かないわ」
「この場所のルールと文化を軽んじるのか?」
まったく。春樹は妹の挑発の仕方をよく知っていた。見た目にこだわるとはいえ、花火は誰に対しても何に対しても、無礼を働くことだけは決して認めない。両親がちゃんと育てたのだ。
彼女は眉間にしわを寄せ、唇をきゅっと結んで、彼の手から上履きを取った。
「大嫌い、わかってる?」
「俺も愛してるよ、花ちゃん」
花火は水を凍らせそうな視線を投げ、靴箱の前に座って上履きを履いた。
春樹はもう離れかけていたが、また口を開いた。
「俺のクラスは三年C組。おまえは三年A組だ。昼に会おう」
「待ちきれないわ」
彼は手を上げて別れの挨拶をし、廊下を進んでいった。花火は、新しい布の敵とともに一人残された。
花火は深呼吸をして、二階への階段を上った。足首から上は、最高にきれいだと感じていた。足首から下は、自分の存在ごと無視したかった。
左に曲がると、最初の教室に、黒い文字で「3-A」と書かれた白いプレートが見えた。外観はゴシック建築でも、内部はモダンで、廊下も教室も、日本のたいていの学校と変わらなかった。
各教室の入り口には、小さな蟻の群れのような人だかりができていた。始業のチャイムが鳴ったのだから、当然だ。彼女は、朝から知らない人の群れと場所を争うのを避けて、人の流れが落ち着くのを待つことにした。
本能的に、後ろの扉は出口で、「3-A」のプレートの下にある扉から入るのが本当の入り口だとわかっていた。扉に近づくと、教卓で資料を整理していた先生が顔を上げ、彼女を見つけた。
「山本さん、ようこそ!」
音楽のような声だった。花火は、先生が三十代だと十ポンド賭けてもいいと思った。短くつややかな黒髪に白髪は一本もなく、しわもなく、顔は磁器のようだ。あまりに若々しいので、二十代と言ってあげてもいいくらいだった。
「こんにちは、先生……」
「鈴木先生よ」
先生は教室の半分を横切り、花火も残りの半分を進み、二人は真ん中で出会った。視界の端に、黒板に書かれた「転入生」の文字が見えた。
驚いた。父は、たった四日で、本当に全部を整えてしまったのだ。
「山本先生の娘さんにお会いできて光栄です。ようこそ。仲良くやっていきましょうね」
「こちらこそ、鈴木先生」
彼女は先生に軽く頭を下げた。日本を離れてから、花火が完全には慣れなかったことの一つだった。毎回、王族に挨拶しているような気分になるのだ。
「さて、みなさん、おはようございます!」
鈴木先生は教室のほうを向いた。
「新しく転入してきた生徒を紹介します。自己紹介をお願いね」
机は四列に並び、それぞれ二つの机が横に並んだ二人組の配置だった。韓国ドラマで見覚えのある配置だった。生徒たちがペアで座り、あまりにきちんと整っていて、舞台セットの演出のようだ。不思議な選択だったが、先生に呼ばれ、好奇心は脇に置いた。
「花火・マクギル・山本です。イギリスのマンチェスターで学んでいました。これから半年間、ここで過ごします」
彼女は短く間を置き、さっと教室を見回した。イギリス出身であることへのささやきや、一部の男子のマンチェスター・ユナイテッドとマンチェスター・シティの話し声が聞こえた。家柄をすでに知っている子もいたし、異国的な美しさを話題にする子もいて、それには思わず微笑んでしまった。
「仲良くしてもらえたら嬉しいです。はじめまして、よろしくお願いします」
先生は何かを待っているようだった。花火はすぐにお辞儀をした。
鈴木先生は微笑んで、続けた。
「それで、席は……」
視線で、窓際の右側の列の最後の席を示した。花火の笑みは、先生の視線の先を追った瞬間、消えた。
だめ。だめ。神様、だめ!
「ここでは席のパートナー制を取っています。石川宏くんの隣に座ってちょうだい」
「……いいなー!」
女子の声がして、ほかの女子たちのざわめきが続いた。男子たちは石川くんに対して、同じことを言っているようだった。
花火は、幸運どころか、千の人生分の不運を一度に味わっていた。数秒、体が動くのを拒んだ。ジェルで固めた黒髪は七〇年代そのままで、黒い瞳には光が宿り、あの挑発的な笑みが、肺から命を吸い取っていくようだった。
「……さあ、どうぞ」
鈴木先生に背中をそっと押され、ようやく歩き方を思い出した。
ゾンビのように、彼女は列の端まで歩いた。そして窓際へ。最後に、ありったけの不幸を引き受けるように、広の隣へ。
「それでは、みなさん、歴史の教科書の二百十一ページを開いてください」
鈴木先生が通常どおり授業を進める一方で、後ろの席の二人は、対照的な気持ちを抱えて、自分たちだけの泡の中にいた。
「また一緒だな、花ちゃん。運命だろ?」
彼は彼女をじっと見つめ、左腕を、彼女の椅子の背にだらしなく載せさえした。対する花火は硬い姿勢で、そこに触れることを拒んでいた。
「前世でよっぽど悪いことをしたのね、私」
「そんなに怒る必要ある?」広が尋ねた。「何か恥ずかしいことでもあるのか?」
「恥ずかしい!?」
「白状しろよ……あの一件のあと、俺の裸の夢を見たんだろ」
花火はトマトのように真っ赤になった。考える間もなく、右手で彼の胸をはたいた。ネクタイがなければ、乾いた音が教室じゅうに響いていただろう。
彼はそれほど痛がらず、笑いをこらえて椅子の上で背筋を伸ばした。反射的に、彼女の手首をつかんだ。
「正気なの!?」
彼女は彼に身を乗り出し、小声で言った。
「その話にもう一度触れたら、あるいは私に触れたら、あんたを道の真ん中で裸にしてやるから。本当に」
広は、まだ自分の胸に載っている彼女の手に目を落とし、また彼女を見た。
「へえ。秘密を知られると、いつもそんなに焦るのか?」
「あんたこそ、誰も聞いてないのにいつもそんなにしゃべるの?」
「相手がおもしろいときだけだよ」
花火は、汚いものに触れたかのように、彼の手を払いのけた。
「じゃあ、あんたにとっては初めての経験ね。あんたの意見を我慢して聞いてくれる人なんて、ほとんどいないでしょうし」
彼は笑みを浮かべた。
このろくでなしは、楽しんでいた。
いや、もっとたちが悪い。怒っている彼女を、楽しんでいた。
花火は姿勢を正し、前を向いて、指示されたページの歴史の教科書を開いた。もう彼とは話さないと決めた。一言も。一音節も。広が構ってほしいなら、ほかの場所で探せばいい。
結局、彼女は心の平穏を求めて地球の半分を渡ってきたのだ。初日の授業を、人格に問題を抱えた男との口論で無駄にするためじゃない。
「花ちゃん」
沈黙。
「教科書、逆さまだぞ。気づいてる?」
「…………………………………………」
花火は自分の手元を見た。
恐ろしいことに、そのとき彼女は、本当に自分が平静を失っていたことに気づいた。
それから教科書を直したが、それでも彼を無視しようとした。
広は笑いをかみ殺した。
「かわいいな」
彼女は一瞬、目を閉じた。
半年。
たった半年、こいつに耐えるだけ。こいつに、自分の計画をひとつだって邪魔させはしない。
「黙りなさい。さもないと、喉にペンを突っ込まれて、まともに話せるものなら話してみなさいよ」
彼の笑みは消えるどころか、いっそうゆっくりと、いっそう腹立たしいものになった。
「脅してるのか、花ちゃん?」
「いいえ。優しくしてあげてるの。本気で脅すときは、疑う余地なんて残さないから」
前で、鈴木先生が説明を止めた。
「石川くん、山本さん。クラスのみなさんと何か共有したいことがありますか?」
花火はすぐに顔を上げた。社交用の笑顔が、鏡の前で練習したかのように素早く浮かんだ。
「いえ、まったく、鈴木先生。説明についていこうとしていただけです」
広は頬杖をついた。
「はい。山本さんは、俺が集中できるよう手伝ってくれてました」
教室じゅうの沈黙が、永遠のように感じられた。
花火は、普段なら誰でも無実を信じてしまいそうなほど甘い表情で、彼のほうを向いた。
「恵まれない方の教育に貢献できて、光栄だわ」
近くの席から、笑いがいくつかこぼれた。
鈴木先生はため息をつき、眼鏡を直した。
「仲がいいのは何よりです。では、お話は休み時間にしてもらえると助かります」
「はい、先生」
広は座ったまま、小さくお辞儀をした。
「仰せのままに」
先生は説明を再開した。
花火は黒板に視線を戻し、ペンを指のあいだで握りしめた。
考えてみれば、彼女は春樹に「何か悪いことでも起こると思う?」と尋ねたのだった。その答えが、隣に座っていた。
石川広。それが、起きたことだった。
もしかしたら、一日の終わりに、マンチェスター行きの飛行機に乗るのも、悪くない考えかもしれない。




