第三章 石川広ファイル
十八年生きてきて、山本春樹は一つのことを簡単に学んでいた。双子の妹の花火が、反語のように「何か悪いことでも起こると思う?」と口にするたび、たいてい、いや、必ず、起こりうる悪いことはすべて起こるのだ。そして今回の「悪いこと」は、どうやら広のようだった。
「先生、花ちゃんと同じチームでもいいですか?」
春樹の親友は、体育の先生にそう尋ねた。広も春樹も、それが無邪気な願いでも本心からの希望でもなく、誰かをからかって人生を地獄にすることに楽しみを見いだす者の、人をくった口ぶりだということを、よく知っていた。
今回の標的は? 春樹の双子の妹、山本花火だった。
「先生、これは秋の体育祭に向けた練習だと思っていたのですが、罰ゲームだったのですか? そうでなければ、どうして私がこんな珍種に選ばれなければいけないんです?」
高橋先生は、この学校に勤めて十年になる。この瞬間、彼は自分の人生の選択をすべて考え直した。目の前では、二人のティーンエイジャーが、子どものような気性で彼を見つめていた。
「みんな、頼むよ。そんなくだらないことで授業を遅らせるな。俺はやりたいんだ!」
春樹は先生の隣に立って抗議した。
「花火は俺のチーム。広は向こう。それでいいだろ?」
「やっと、あなたにしてはまともなことを言ったわね、お兄様」
「ひどい裏切りだな、春樹?」
正直なところ、春樹には、友人の文句が、二人が同じチームになれないことに対するものなのか、花火のいるチームに入って彼女を困らせる機会を奪われたことに対するものなのか、わからなかった。
いずれにせよ、赤い髪の少女は目を回すと、ステージの前から離れ、体育館のコートの左側のチームへ向かっていった。
「注目、注目!」
先生はようやく笛を吹く準備ができた。
「男女混合ドッジボールのチーム分けは、次のとおりだ……」
彼は人の形をしたマグネットが並ぶボードを指さした。けれど花火の注意は、ほかの声に逸れた。
「今、山本くんのこと『お兄様』って呼んだよね?」
「双子の妹で、海外に住んでるって聞いたけど」
「双子? じゃあ、どうして髪が赤いの?」
「双子だからって、髪の色が同じとは限らないんじゃない?」
花火は反射的に腕を組み、まだ先生の隣に立っている春樹を見た。二年B組の模範的な学級委員として、彼はそこにいた。
彼の黒髪は、昔からその色だったわけではない。実のところ、二人とも生まれつきの赤毛で、それは母方のイギリスの遺伝子によるものだった。母の両親は、イギリス人の父とスコットランド人の母だ。
「でも、もしどっちかが染めたんだとしたら、どっちなんだろう?」
「あー、あの子でしょ。海外って髪を染めてもいいんだよね? でもさ……こっちに来たんだから、ルールは守るべきじゃない?」
正直、花火は何が一番引っかかるのか、自分でもわからなかった。勝手に、髪を染めた校則違反者と決めつけられていることなのか。それとも、春樹がもう、イギリス人としての自分のルーツをこれっぽっちも見せようとしないことなのか。
春樹は昔から父にべったりで、離婚のとき日本に残ると決めたのも、驚くことではなかった。けれど、母の名残どころか、双子の妹とのつながりまで、消し去る必要があったのだろうか?
「人の陰口を言うなら、せめて公平さくらいは持ちなさいよ。どうして外国人っていうだけで、髪を染めて校則を破ったのが私ってことになるの?」
彼女は舌打ちして、勢いよく振り返った。後ろにいた三人の少女は、幽霊でも見たかのように、魂が抜けた顔をした。けれど真ん中の子が、少しためらったあと、言い返した。
「山本くんは学級委員で、生徒会長なのよ。髪を染めるなんて、そんなあからさまな校則違反はしないわ」
「どうかしらね」
花火は賛成も反対もせず、ただそう言って、すぐにその場を離れた。このまま続ければ、あとで後悔する言い争いが始まりかねないとわかっていた。
春樹は、一個大隊を踏みつぶすかのような重い足取りで歩く妹を目で追った。その日、彼女を苛立たせていたのは、広だけではないのは明らかだった。
少なくとも学校の半分が、動物園から逃げ出した珍獣でも見るような目で彼女を見ていた。もう一人の特別入学生だからか、黒髪が圧倒的多数の中で赤毛が目立つからか、あるいは、否定しようもなく美人だからか。最後の理由については、彼は目を回すだけだった。ほかの理由については、心配するなと自分に言い聞かせていたが、難しかった。
「今日の試合はドッジボールだ。ルールをおさらいするぞ……」
先生はA組とB組に向けて説明を続けた。そのあいだに花火は、ステンレスの水筒を取りに、ステージの端へ近づいていった。
「特別入学生の宿命なのよ、こういう注目って。でもすぐ収まるわ、新しいゴシップが見つかればね」
突然、長い巻き毛で、きらきらした目の少女が、花火の後ろに現れた。花火は驚いて、危うくむせるところだった。
「あ、こんにちは……あなたも転入生?」
「去年来たの。ちなみに、アリス・明かり・ドス・サントス・渡辺よ。でもここでは、ただの渡辺明かり。明かりって呼んで」
それを言う速さは、圧倒されるほどだった。花火は何度かまばたきをして、少女が差し出した熱烈なハグに、ただ応えた。
「えっと、花火よ。山本花火。ずいぶん長い名前ね」
明かりは微笑んだ。すごい、バービー人形みたいだ。
「私、半分日本人で、半分アメリカ人で、半分ブラジル人なの」
花火はすぐに目を細めた。
「聞かないで。ややこしいから。とにかく、父が、そろそろ父の故郷に住もうって決めて、去年来たのよ」
明かりは軽く手を宙に振って、聞かないでと花火に告げた。それから花火の左腕をつかみ、コートへ連れ戻した。深く考える間もなく、花火は水筒を置いたまま、彼女についていった。
「教室であなたに自己紹介しようと思ったんだけど、石川くんにあんなにイライラしてたから、いいタイミングなのかわからなくて」
花火はうめいて、ため息をついた。
「うげっ。人を第一印象だけで判断しないようにしてるんだけど、あのろくでなしのせいで、難しいのよ」
明かりは笑い声で応えた。
「あはは、心配しないで! 学校じゅうが理解してくれるわ、みんな石川くんを嫌うのが大好きなの」
まるで超自然的な第六感でも働いたかのように、花火はコートの反対側から注がれる広の視線をとらえた。広はドッジボールを片手からもう片手へ渡しながら、一瞬だけ、鋭く彼女を見つめていた。
彼女は殺意のこもった視線を返した。広は笑った。
「何それ? 嫌うのが大好き? 『好き』って言葉と広が、同じ文に並ぶなんて想像もつかないわ」
明かりはまた笑った。
「だって、かっこいいでしょ? 否定する?」
花火は舌を噛んだ。彼のことは大嫌いだったが、見る目がないわけではない。誰の中でも、彼は確かに目立っていた。
「石川くんって、危険なイケメンよね!」彼女は、とろけた声になるのを少しも気にしなかった。「ジェームズ・ディーンとアイルトン・セナを混ぜたみたいで、それにあの髪……」
花火は反射的に、もう一度彼を見た。髪はジェルで固められていて、ボリュームがあり、毛先が軽く段になっていて、ラフな感じに後ろへ流されている。幅のある前髪の一束が、わざとらしく片目にかかり、襟足の毛は少し長めで、肩の上のあたりをそっとかすめていた。
このコートで誰の髪が一番完璧か、言うのは難しかった。石川広か、山本花火か。
「八〇年代の二枚目スターみたいなだけでしょ。それの何がいいの?」
「あー、学校の王子様の双子の妹なのに、本当に免疫あるのね」
今度は花火が笑った。
「あははは! 王子様? 春樹が? あははは、やめてよ。兄がかっこいいのは否定しないけど、学校の王子様だなんて、本気で言ってるの?」
明かりは、花火の信じられないという反応に、少しショックを受けたようだった。まるで、そこにいる誰もが、春樹の評判を暗黙の了解として敬っているかのように。
「本気も本気。山本くんが王子様で、石川くんは、みんなが大好きな危険な男」
「じゃあ、どうして彼を嫌ってる人の話をしたの?」
「嫌ってるっていうより……ちょっとした噂があるだけ」
「噂?」
どこの世界でも、学校の中の人たちが、ゴシップとグループでつながっていると気づくのは、ちょっとだけ心強かった。アシュボーン女子学院でもそうだったし、どうやら札幌蓮高校でも同じらしい。
明かりは花火を少し壁のほうへ引っ張った。運良く、先生は何でもこと細かに説明する退屈な人らしく、まだ時間がかかりそうだった。
「あなた、彼の席のパートナーでしょ? だから知っておいたほうがいいわ」
「そうね」
「えっと……」
彼女は数秒、ためらった。けれど、花火の鋭い視線が、もう引き返す道はないと告げていた。だから、続けた。
「私がここに来たとき、大きな噂が流れてたの。石川くんが、嫌いだからってだけで、物理の先生をクビにさせたって」
花火は、間の抜けた笑いを漏らして、眉をひそめた。
「クビ? うちの兄だって、学校のオーナーの息子なのに、直接誰かをクビにはできないわよ。ましてや広なんて」
少女は、表情を崩さなかった。
「彼のご両親は札幌の半分を所有してて、世界的にも影響力があるの。ご両親に介入してもらって、多額の寄付をして、それで、気の毒な鹿島先生はクビになったらしいわ」
花火は唇を引きつらせ、目を細め、すぐにコートの向こうの広を、この世の卑劣さのすべてを体現した存在でも見るかのようににらんだ。
「それで、パパはそんなことを許したの?」
「ねえ、ただの噂よ? ただ、鹿島先生と石川くんは本当に仲が悪くて、新学期が始まって三か月後に、教室で石川くんと口論したあと、あっさりクビになったのが、おかしいってだけ」
花火は、心臓が速くなるのを感じた。血管を流れる血が、憤りで脈打っていた。
「それで、ほかにも、彼がやったことで、私が知っておくべきことはある?」
明かりはまた、数瞬ためらった。けれど、同じ転入生としての花火への親近感が、彼女に話す勇気を与えた。
「あなたの陰口を言ってた子、わかる?」
彼女は、まっすぐな黒髪を高いポニーテールにした少女のほうへ、目で合図した。二人の友人と一緒にいるその子は、先生を見ているふりをしながら、本当は春樹を見ているのが、花火にはわかった。まるで彼が、砂漠で最後に残った一口の水であるかのように。
「ええ……中川美緒、よね?」
「うん。もし、あの子が石川くんの元カノだって言ったら?」
「なんですって!?」
花火の驚きの叫び声は体育館じゅうに響き渡り、高橋先生の説明さえ一瞬、中断させた。
耳をつんざく静寂が数秒間その場を支配したあと、先生が咳払いをして、説明を続けた。
「そのとおりだ、山本さん。ボールが髪に当たっても、タッチと見なす。つまり、君はアウトだ」
広の目は輝いていた。口を閉じたまま笑うのをこらえているのに、まるわかりだった。対照的に、春樹はうめいて、どこかに身を隠したそうにしていた。正直なところ、双子の妹も同じ気持ちだった。
「わかりました、先生。それで構いません」
「よろしい!」先生は、彼女が同意したことに感激したようだった。「では、ルールの説明はすべて終わった。始めようか?」
「はーーーい!」
生徒たちの熱烈な叫びは、十五分近くも続いた説明の疲れからだったが、先生の目には、それは熱意の表れとして好ましく映った。
「よし! 位置につけ」
「明かり、話を途中でやめたら許さないから」
花火は、彼女の腕を放そうとせず、ささやいた。
「もう! わかった、わかったわよ。Long story short…」
彼女は素早く辺りを見回し、念のため、友人の耳元に顔を寄せた。
「中川さん、二人が付き合い始めてから、すごく様子が変だったの。友達と距離を置いて、とても苦しそうで、トイレで泣いてるのを聞かれたこともあって。ある日、外から男の子が彼女に会いに学校に来たんだけど、そしたら、パシッ!」
「うわっ!」
花火は思わず悲鳴を上げ、全身を震わせた。明かりが、何の前触れもなく、右の拳を自分の左の手のひらに打ちつけて、殴る真似をしたのだ。
「彼が、男の子を殴ったの!?」
「彼が、男の子を殴ったのよ!」
花火は、恐怖に顔を引きつらせて明かりを見つめた。素晴らしい。実に素晴らしい。傲慢で、甘やかされていて、しかも教師をクビにさせた張本人らしい上に、石川広は暴力的な傾向まで持っていた。席のパートナーとして、なんて魅力的な長所のコレクションだろう。
「それで、誰も何もしなかったの? パパは? 春樹は?」
「渡辺さーん!」
相手チームの誰かが、まだコートに入っていなかった最後の一人を呼んだ。
「教えて!」
彼女は明かりの手をつかんだ。結末を、どうしても聞きたかった。
「そのすぐあとに、別れたの!」
「失礼、お嬢さんたち。渡辺さん、行こう」
途方もなく背の高い少年が現れ、明かりを、まるで葉っぱ一枚ほどの重さしかないかのように持ち上げて、そこから連れ去った。
「花火、来い」
春樹は彼女の腕を引いて、自分たちのチームの真ん中へ連れていった。
「どうしてこんなに遅いんだ?」
「情報収集してたの」
「どういう意味だ?」
花火は兄から目をそらした。周りには、五十人もの生徒たちがいて、その中で自分は部外者のように感じられた。双子の兄でさえ、彼女に、あるいは彼女のルーツに、似ようとはしなかったのだ。
けれど、反対側には、新しい味方ができた。それだけではない。傲慢で、鋭い視線が、彼女を見つめていた。同じチームだろうと相手チームだろうと、広は彼女を、自分の退屈しのぎの新しい標的として見ているようだった。
花火の心に、炎が灯った。それはもう、最悪の初対面から来る嫌悪感だけではなかった。違う。彼女の目には殺意に近い輝きが宿り、表情には、ほとんど厳粛なまでの決意が浮かんでいた。もし彼が、これからの数分間を彼女をからかって楽しめると思っているなら、その間違いの大きさを思い知ることになる。聞いたことのすべてが、燃料になったのだから。
もう、第一印象だけの話ではなかった。この瞬間から、石川広は彼女の宿敵だと宣言した。そして、父も春樹も彼を倒す気がないのなら、それを自分の名誉をかけた使命にするだけだ。
「では、ゲーム開始!」




