第5話 僕がアイドルになった本当の理由を、カメラの前で言ってしまった
スタジオの空気は、照明の熱と人工的な芳香剤の匂いが混ざり合っていた。
収録用のセットの向こうでは、スタッフが慌ただしく行き交っている。
カメラの位置を確認する者。音声スタッフがマイクの最終チェックをする者。モニターの前では、ディレクターが台本をめくりながら、秒単位で進行を確認していた。
今日は、人気情報番組の特集コーナー。
ドラマ出演を控えた僕・雨宮陽葵へのインタビュー収録だった。
「本番、五秒前です」
スタッフの声が飛ぶ。
「五、四、三……」
逃げ場のないほどのライト。
無機質な光を湛えたカメラのレンズが、表情の僅かな揺らぎも逃さないとばかりにこちらを向いている。
「本日は、Lunastellarの雨宮陽葵さんにお越しいただいています」
「よろしくお願いします」
自分でも感心するほど完璧な角度で頭を下げた。
白と淡いブルーの清潔感あふれるセット。
手元のローテーブルには番組ロゴ入りのマグカップ。
ジャケットの袖口を指先で小さく整えながら、昨夜から続くざわつきを押さえ込む。
(落ち着け。これはいつも通りの収録だ)
何度も経験してきたテレビ番組のインタビュー。
カメラの前で笑い、質問に答え、求められた「雨宮陽葵」を演じる。
それだけのはずだった。
でも、胸の奥に冷たい石を置かれたような感覚が、消えない。
理由ははっきりしていた。
ライブのトロッコ、あの数秒。ペンライトの海の中で、一瞬だけ時が止まった場所があった。
白いブラウスの女性。泣きそうな目。
視線が絡んだ瞬間、鼓動が耳障りなほど跳ね上がって、喉の奥が熱くなった。
初めて会ったはずなのに、「見つけた」と思ってしまった。
どうして。
「ではまず、ドラマ出演おめでとうございます。今回の役どころはかなりミステリアスな青年だと伺っていますが」
「ありがとうございます。自分とは違う部分が多いキャラクターで、試行錯誤の連続でした」
口からは訓練されたアイドルとしての言葉が滑り出ていく。
でも意識の半分は、昨夜の夢に囚われていた。
古い木の香り。かすかな月の光。肩を震わせて泣いている、ひとりの女性。
その背中が壊れてしまいそうで、心の底が痛むほど愛おしかった。
『誠一郎様……』
誰かの声が、遠くから聞こえた気がした。
――誠一郎、って誰だ?
「雨宮さん? ……雨宮さん」
「あ……すみません。少し、考え事を」
「お疲れですか?」
「いえ、大丈夫です。ドラマのシーンを思い出していて」
咄嗟についた嘘に、自分でも慣れているなと思う。レンズの前では「雨宮陽葵」を演じ切らなければならない。それが僕の唯一の絶対的な役割だから。
「ところで、陽葵というお名前、本名だそうですね」
インタビュアーが空気を読んで話題を変えてくれた。その気遣いに、少しだけ肩の力が抜ける。
「はい。母が、太陽のように明るく、向日葵みたいにまっすぐ育ってほしいという想いを込めて」
「素敵なお名前ですね」
「……なかなか、その期待に応えられているか自信はないんですけど」
スタジオにふわりとした笑いが広がる。
でも胸の奥では、母の言葉がちくりと刺さった。
まっすぐ、か。今の僕は、いったい何に向かって咲こうとしているんだろう。
「では——雨宮さんは、どうしてアイドルになろうと思ったんですか?」
その瞬間、胸の奥の空洞がごうごうと鳴った気がした。
オーディションで答えた理由なら言える。
「歌で世界を変えたい」「自分の可能性を試したい」。
それは間違いなく真実だった。
でも今の僕には、表面をなぞっただけの言葉に感じられる。
ライトに照らされながら、視線を落とす。
脳裏に、あの手が浮かんだ。
力なく、けれど切実に僕の袖を掴んでいた、小さな白い手。
――どうして僕は、あの人を置いていってしまったんだろう。
何万人に名前を呼ばれ、愛されている。
なのに、どうしてこんなにも一人なんだろう。
「……なんだか」
無意識に、声がこぼれた。
「ずっと遠い昔に、大切な誰かを泣かせてしまった気がしていたんです」
スタジオが、ふっと静まり返った。
ディレクターも、カメラマンも、全員が固唾を飲んでいる。
「はっきりした記憶はありません。でも、その人の悲しそうな顔だけがずっと消えなくて。だから今度は、誰かを笑顔にできたら、もう二度とあんな思いをさせなくて済むかもしれない。そう思って、この道を選びました」
カメラのレンズを見る。
そのレンズが、あの夜の彼女の瞳に繋がっていることを願うように。
もしあの夢が現実の破片なのだとしたら。
もし彼女と視線が交わったあの一瞬が、長い時を越えた再会なのだとしたら。
「……雨宮さんって、本当に優しいんですね。その想い、きっとファンの皆さんにも届いていると思います」
「そうだと嬉しいです」
笑顔で返しながら、心の中では一つのことだけを思っていた。
——もう一度、あの瞳に会いたい。
収録が終わり、控室のドアを閉めた瞬間、深く息を吐いた。
鏡の前に座って、ネクタイを緩める。
そこに映っているのは、誰もが憧れるトップアイドル・雨宮陽葵だ。
なのに時々、自分が誰なのかわからなくなる。




