↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイドルに転生した僕は数万人の客席にいる前世の妻を見つけてしまった〜どれだけ芸能界の壁に阻まれても君を愛してる〜  作者: ひとひら


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/18

第11話 葉山つむぎという名前に救われた夜


 最初は違うと思っていた。

でも何度も何度も同じ言葉を見ていると、どこかで抵抗する力がなくなってくる。

反論する言葉が、出てこなくなってくる。


誰かを笑顔にしたくて、ここにいると思っていた。でも僕がいることで誰かを傷つけているなら。

みんなに迷惑をかけているなら。


最初から、何も持たないままでいればよかったのかもしれない。



スマホを床に置く。

冷房の音だけが、低く続いていた。

窓の外では、もう蝉の声がしなかった。

いつの間にか、止んでいた。



——彼女に、会いたい。


ふと、思う。

でもその気持ちさえ、今の自分には遠かった。


繋ぎ止めていたものが、少しずつほどけていく。


僕は壁に背を預けたまま、ゆっくりと床に崩れ落ちた。


息が浅い。

三日前から、ずっとそうだった。

深く吸おうとするたびに、どこかで遮られてしまう。


見えない何かに、内側から押さえつけられているみたいに。



「……アイドルになんて、ならなければよかった」


かすれた声が、暗闇に吸い込まれていく。

返ってくるものは、何もなかった。


床に座り込んだまま、天井を見上げる。

白い天井。何も映さない、空っぽの色。


頭の奥がずっと鈍く痛い。

ここ数日、眠れているのかもよくわからない。


浅い眠りの底で、知らない誰かの泣き声だけが耳の奥に残っている。


朝が来れば、身体を起こして、鏡の前で笑顔を作って、現場に向かって、誰かを安心させるための言葉を並べる。


「大丈夫です」

「心配しないでください」

「これからも頑張ります」


口は勝手に動いた。

笑う角度も、声の柔らかさも、目を伏せるタイミングも、全部身体に染み付いている。


壊れているのに、ちゃんとできてしまう。

「雨宮陽葵」は完璧に動いてしまう。

まるで自分の代わりに生きている別人みたいで、楽屋で鏡を見るたびに、そこに映る人間が自分じゃない気がした。


SNSを開けば、無数の言葉が流れていく。


『失望しました』

『メンタル弱いなら辞めれば?』

『結局ナルシストなんだね』


最初は一つ一つに傷ついていた。

でも不思議だ。

痛みは繰り返されると、麻痺していく。

代わりに残るのは、もっと静かで、もっと深いものだった。削れていく感覚。

心の内側を、細い紙やすりで何度も何度も擦られているみたいに。



気づけば、「違う」と思えなくなっていた。


僕は本当に誠実だったんだろうか。

優しさだと思っていたものは、ただ嫌われたくなかっただけなんじゃないか。


誰かを笑顔にしたいと思っていたのも、結局は自分が救われたかっただけなんじゃないか。



考え始めると、止まらなかった。

否定の言葉はいつの間にか、自分自身の声に変わっていく。


もう頑張らなくていい。

もう笑わなくていい。

もう誰かを失望させなくていい。


そう思った瞬間、胸に張り付いていた重さが、ほんの少しだけ軽くなる気がした。


指先が痺れる。

身体が鉛みたいに重い。

暗闇の中で、どこかへ消えてしまいたいという気持ちが、静かに、じわじわと、形を持ち始めていた。



ふと、視界の端に、ぼんやりとした光が滲む。


リビングの棚に置かれた、小さな薬の瓶。

街灯の淡い光を受けて、その輪郭だけが浮かび上がっている。


──これを飲んだら、どうなるんだろう。


そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎった。

自分でも驚くほど、唐突だった。


本当に消えてしまいたいわけじゃない。

ただ、この苦しさから少しだけ離れたかった。


何も考えずに眠ってしまえたら。

明日のことも、SNSの言葉も、自分を責める声も、全部忘れられたら。


ほんの一瞬、そんなことを考えてしまった。


「……僕、何考えてるんだろう」


小さく呟いて、苦笑する。


ここ数日、ちゃんと眠れていないせいだろうか。

それとも、心のほうが限界だったのだろうか。


僕は床に座ったまま、しばらく瓶を見つめていた。


さっきまで、あれほど大きく見えていたものが、

少しずつ、ただの薬の瓶に戻っていく。


怖くなった。

自分がこんなことを考えたことが。

一瞬でも、その先を想像してしまったことが。


「……違う」


誰に言うでもなく、首を横に振る。


僕は、まだ何も終わらせたくなんてない。

ただ、疲れていただけだ。

そう思いたかった。



そのとき――


――ピコン。



暗い部屋に、小さな通知音が響いた。

あまりにも些細で、けれどこの部屋には不釣り合いなほどはっきりとした音。


スマホの画面が、白く浮かんでいた。

反射的に視線を向ける。



アカウント名:葉山つむぎ


『陽葵くんの言葉、ちゃんと届いてます。ありがとう』



「……っ」


息が、止まる。


知らない名前のはずなのに。

その文字を見た瞬間、胸の奥で何かが、ゆっくりほどけていく。

張り詰めていた糸が、音もなく切れていくみたいに。



……どうして、こんなに懐かしいんだろう。



世界中から「お前はいらない」と言われている気がしていた。

でもこの人だけは違う。

言葉尻じゃなく、その奥にあったものを、ちゃんと拾い上げてくれていた。


「……あ、あ……」


暗闇の中に、小さな灯がともった気がした。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。