第10話 一週間で笑顔の作り方を忘れかけた
気づいたのは、深夜だった。
ライブの挨拶の動画が、切り取られて拡散されていた。
『アイドルに向いてない』
その部分だけが、文脈ごと切り落とされて。
前後の言葉は丁寧に削り取られ、まるで最初からそういう意味だったかのように、無数の言葉と並べられていた。
『引退示唆か』
『プロ意識の欠如』
『ファンを馬鹿にしている』
スクロールする指が、止まらなかった。
見なければいいとわかっていても、止まれなかった。
違う。そんなつもりじゃない。
誠実でいたかっただけだった。
しばらくして、富田さんから電話が来た。
「見たか」
「……見ました」
「今夜は寝ろ。明日、事務所で話す」
それだけ言って、電話が切れた。
スマホを伏せて、天井を見上げる。
蝉がまだ鳴いていた。
大丈夫だ。誤解はいつか解ける。
ちゃんと伝わっている人には、伝わっているはずだから。
その夜は、思ったより早く眠れた。
翌日、事務所で緊急の話し合いがあった。
宇野さんが険しい顔でパソコンの画面を見せてくれた。
炎上の規模、メディアの反応、スポンサーへの影響。数字と言葉が並んでいた。
どこか現実感がなかった。
「当面、SNSの更新は控えてくれ。コメントも見るな」
「……わかりました」
「謝罪文の発表については事務所側で検討する。陽葵は何もしなくていい」
何もしなくていい。
その言葉が、妙に重く感じた。
グループの収録は予定通り続いた。
カメラの前ではいつも通りにできた。
笑うべき場所で笑って、話すべき場所で話して。
五年間で身体に染み付いたものは、こういう時でも動いてくれる。
それが、少し怖かった。
楽屋で蓮が、さりげなく隣に座る。
「……陽葵、無理してたら言えよ」
「してないよ」
「そうか」
それ以上聞かなかった。
でも収録が終わるまで、ずっとさりげなく近くにいてくれた。
颯太はいつもより少しだけ騒がしかった。
場の空気を明るくしようとしているのが、わかった。
みんな、気を遣ってくれている。
——ありがとう。
そう思うのに、その優しさに触れるたびに、胸の奥が静かに痛んだ。
気を遣わせている。心配させている。僕のせいで、みんなの仕事に影を落としている。
笑顔を作るたびに、その計算が頭の隅で動いていた。
夜、自宅に帰ると、部屋がひどく静かだった。
コメントは見ないと決めていた。
でも、見ていなくても、あの言葉たちは既に網膜に焼き付いていて、目を閉じると浮かび上がってきた。
『プロ意識の欠如』
『ファンを馬鹿にしている』
『いない方がいい』
最初は違うと思っていたのに、何度も繰り返し見ているうちに、どこかで境界線が滲んでくる。
(本当に、言葉が足りなかったのかもしれない。
本当に、思い上がっていたのかもしれない)
一週間後。
鏡の前に座り、笑顔を作るのに、少し時間がかかるようになった。
口角の角度を作る。目の細め方を確認する。この顔ならできる、と自分に言い聞かせる。
以前は呼吸と同じくらい自然にできた。今は、一つ一つ意識して組み立てなければならない。
収録は、変わらずこなせていた。
カメラの前の自分は完璧だった。笑えていた。話せていた。隙を見せなかった。
でも、スタジオの扉が閉まるたびに、その重さが一段ずつ増していく感じがした。
楽屋で一人になる瞬間が、一番しんどかった。
鏡の中の自分が、どこか遠かった。
あそこにいるのが自分かどうか、一瞬わからなくなる。あの顔で笑っている人間が、本当に僕なのかどうか。
富田さんが、ある日の帰り道に言った。
「飯、食えてるか」
「食べてます」
「ちゃんと寝れてるか」
「寝れてます」
「……そうか」
それ以上何も言わなかった。
信号待ちで止まった時、ふと横顔を見たら、富田さんが少し疲れているように見えた。
——僕のせいだ。
そう思った瞬間、喉の奥が締まった。
「富田さん」
「ん?」
「……ごめんなさい」
「何がだ」
「迷惑、かけて」
富田さんは少し黙ってから、「謝るな」と言った。声が、いつもより低かった。
「お前が謝ることじゃない」
「でも」
「謝るな」
もう一度、同じ言葉を繰り返した。
それきり、富田さんは黙った。
その優しさが、痛かった。
優しくされるたびに、自分がどれだけ迷惑をかけているかを、改めて数え直してしまうから。
夜、部屋に帰ると、静寂が待っていた。
明かりをつける。冷房をつける。水を飲む。いつもと同じ動作を、順番にこなした。
ソファに座って、スマホを手に取る。
見ないと決めていたのに、指が動いた。
言葉は減っていなかった。形を変えながら、積み重なっていた。
『最年少の甘えもいい加減にしろ』
『お前がいない方が、ルナステラはもっと輝ける』
『顔がいいだけで中身は空っぽ』
一つ一つは、小さかった。
でも、積み重なると、重さが違った。胸の奥に、音もなく沈んでいく。
刺さるというより、静かに、確実に、何かが削れていく感覚。
スマホを持つ手が、微かに震えていた。
——そうなのかもしれない。
その考えが頭をよぎった瞬間、気づく。
(あ。これ、やばい方向に来てる)
でも、止め方がわからなかった。




