第9話「迷宮ごはん最強説」
ダンジョンの食堂で、三人が同じ鍋をつついていた。
どうしてこうなった。
入口の外から「いい匂いがする」と声がした。
時間を少しだけ巻き戻す。
新しく生えた台所の隣に、いつの間にか『食堂』と呼ぶべきスペースが拡張されていた。
頑丈なオーク材のテーブルの中央には、魔導コンロのような熱源が設置され、その上で土鍋がぐつぐつと音を立てている。
白い湯気とともに、強烈な出汁の香りが鼻腔をくすぐる。
醤油とみりん、それに微かな柚子の風味。
カツオと昆布が織りなす、完璧な和風出汁の匂いだった。
「さあ、煮えましたよ。お肉からどうぞ」
純白のドレスの上にエプロンを着けたセレナが、お玉で具材をすくい上げる。
彼女の笑顔は、完全に実家で夕食を取り仕切る母親のそれだった。
俺の目の前に置かれた小鉢には、湯気を立てる豚肉と、出汁をたっぷり吸い込んだ白菜、そしてネギが盛られている。
一口食べると、肉の甘みと出汁の旨味が爆発した。
「……うまい」
「ふふっ、よかったです。たくさん食べてくださいね」
セレナは満足そうに微笑み、自分の小鉢にも具材を取り分ける。
その隣では、神殿回収部隊の精鋭であるはずのリースが、無言で箸を動かしていた。
彼女は支給したジャージ姿のまま、一心不乱に肉を頬張っている。
厳格な騎士の面影はどこにもない。
熱さでハフハフと息を吐きながら、少しだけ頬を赤く染めている。
「おい、リース。お前、神殿に帰らなくていいのか」
俺のツッコミに対し、リースは箸を止めることなく答えた。
「私は監視任務中だ。この食事が洗脳の魔法でないか、自らの身体で検証しているだけだ。決して、美味しいから食べているわけではない。誤解するな」
「めちゃくちゃおかわりしてるじゃないか」
「検証には試行回数が必要だ! 規律は命綱だからな!」
意味不明な理屈を叫びながら、リースは白菜を口に運ぶ。
彼女の青い瞳は、すっかり鍋の虜になっていた。
平和だ。
ここは未登録の違法迷宮で、いつ討伐隊が来てもおかしくない危険地帯のはずなのに。
まるで休日の夜に家族で鍋を囲んでいるかのような、安心感がこの空間を支配している。
ピコンッ。
不意に、無機質な電子音が鳴り響き、俺の目の前にシステムウィンドウが浮かび上がった。
《ホーム指数が著しく上昇しました》
《ダンジョンの『家族感』が規定値を突破しました》
「え……?」
嫌な予感がした。
これまでの経験上、ホーム指数が上がるとろくなことが起きない。
ゴゴゴゴゴッ!!
足元の床が震え、食堂の壁がズズズと後退していく。
光の粒子が舞い散る中、空間が勝手に広がり始めた。
木製の戸棚が生え、中には家族用の取り皿やマグカップが綺麗に並べられていく。
ご丁寧に、壁には『家族の予定表』のようなコルクボードまで現れた。
「また増築かよ! 食堂が広がりすぎだろ!」
俺は頭を抱えた。
討伐数ゼロ、侵入者の絶望度ゼロ。
それなのに、鍋を囲んで美味しいと感じただけで迷宮が成長する。
こんなふざけたダンジョン、世界中を探してもここだけだろう。
「あ、戸棚が増えましたね。これで食器がたくさん置けます」
セレナは全く動じることなく、新しい戸棚を眺めて微笑んでいる。
彼女にとって、家が広くなるのは当然の権利らしい。
「ユウ殿、肉が焦げるぞ。早く食べろ。検証が遅れる」
リースは増築など気にも留めず、鍋の底から肉を救い出している。
完全にこの生活に馴染みきっていた。
俺は胃薬の代わりに、冷たいお茶を胃に流し込んだ。
神殿の回収部隊すら骨抜きにする、迷宮ごはんの破壊力。
これでは、誰が来ても敵対することなく『帰宅者』になってしまうのではないか。
そんな不安が頭をよぎった、その時だった。
「……いい匂いがするなぁ」
ダンジョンの入口方向から、かすかな声が聞こえた。
俺は箸をピタリと止めた。
リースも鋭い視線を入口に向ける。
だが、その目に敵意はない。どちらかというと、鍋を横取りされることを警戒するような目だ。
また誰か来た。
それも、この異常なまでの出汁の匂いに釣られて。
「あら、お客様でしょうか?」
セレナが首をかしげる。
俺のダンジョンは、もはや迷宮ではなく、近所で評判の定食屋になりつつあった。




