第8話「リース、住み込み仮採用」
リースが荷物を置いた。
「一時滞在だ。誤解するな」
セレナは微笑みながら、客間を“増やした”。
風呂上がりのリースは、すっかり毒気を抜かれていた。
湯上がりでほんのりと赤く染まった頬。
厳格にまとめられていた金髪は下ろされ、濡れた毛先から水滴が落ちている。
彼女は俺が渡した予備のジャージ(宝箱からドロップした謎の衣類)を着て、リビングのソファーに深く腰掛けていた。
「……驚いた。完璧な温度管理、清潔な脱衣所。神殿の浴場すら凌駕している」
リースは虚ろな目で宙を見つめながら呟く。
どうやら、このダンジョンの異常なまでの居住性に完全に脳が破壊されたらしい。
俺は腕を組み、彼女の向かいに座った。
「で、どうするんだ? お茶も飲んだし、風呂にも入った。そろそろ神殿に帰るか?」
俺の言葉に、リースの肩がビクッと跳ねた。
彼女はハッとしたように姿勢を正し、騎士としての威厳を取り戻そうと咳払いをする。
だが、ジャージ姿ではいまいち締まらない。
「帰るわけにはいかない! 聖女様は、この異常な空間の魔力によって洗脳されている!」
彼女は拳を握り締め、力説し始めた。
「あの神聖なる聖女様が、自ら台所に立ち、布団を干すなどあり得ない! 私はこの目で、洗脳の事実を確認し、解呪の隙を窺わねばならないのだ!」
要するに、帰りたくない言い訳だ。
神殿に手ぶらで戻れば処罰されるし、かといってこの居心地の良い空間から離れたくない。
その二つの感情が、彼女の中で奇妙な理屈を作り上げている。
リースは持ってきた背嚢(荷物)を、ドサリと床に置いた。
「私はここに残る。一時滞在だ。お前たちを監視するためであって、決して居心地が良いからではない。誤解するな」
ツンデレのような台詞を吐く騎士。
俺が頭を抱えようとした瞬間、横で聞いていたセレナが満面の笑みを浮かべた。
「お泊まりですね! わかります、友達の家に泊まるのってワクワクしますよね」
セレナはパンッと両手を合わせた。
「なら、リースの部屋を用意しないと」
「え? いや、待てセレナ、嫌な予感が――」
俺が止める間もなく、セレナは廊下の奥に向かって清らかな声で宣言した。
「お客様です。客間、お願いします」
ゴゴゴゴゴゴッ!!!
今日一番の地鳴りが、迷宮全体を揺らした。
リースが「敵襲か!?」と叫んで立ち上がるが、ジャージ姿なので剣がない。
壁がめくれ上がり、木材が組み上がり、新しい空間が瞬く間に形成されていく。
寝室エリアの隣に、立派な両開きのドアを持つ部屋が『生えた』のだ。
システムウィンドウが虚空に浮かび上がる。
《ホーム指数が急上昇しました》
《設備『客間(リース専用)』が増築されました》
「専用ってなんだよ! もう実質住み込み確定じゃないか!」
俺のツッコミを無視して、セレナは真新しいドアを開け放った。
中にはふかふかのベッド、書き物机、そしてご丁寧に甲冑を飾るためのスタンドまで用意されている。
「……世界が、客のために編み直された……?」
リースは開いた口が塞がらない様子で、その光景を呆然と見つめていた。
彼女はフラフラと客間へ吸い込まれ、ベッドの柔らかさを手で確認している。
「完璧だ……いや、私は監視のために……」
ブツブツと自己暗示をかけるリースを見ながら、俺は深い深いため息をついた。
俺の未登録迷宮は、着実にただのシェアハウスへと変貌しつつあった。




