第7話「ルール制定回」
俺はダンジョンに貼り紙をした。
『当迷宮は帰宅者を傷つけません』
リースが震えた。「私、帰宅者なのか……?」
温かいほうじ茶とお煎餅。
それは、リースから戦意を奪うには十分すぎる兵器だった。
しかし、俺は現場監督としての危機感を忘れてはいなかった。
いつまた別の討伐隊が来るか分からない。
それに、セレナの「ただいま」による無自覚な増築暴走も防がなければならない。
「ルールが必要だ。安全な現場は、徹底したルール管理から生まれる」
俺は前世の記憶を頼りに、台所の隅で見つけた木板と炭のペンを手に取った。
カリカリと音を立てて、箇条書きで文字を刻んでいく。
現場の安全第一。導線の確保。そして、ルールの明確化だ。
一、玄関では必ず靴を脱ぎ、揃えること。
二、所定の場所以外での「ただいま」の発声は原則禁止とする(増築事故防止のため)。
三、当迷宮は、帰宅の意志を持つ者(帰宅者)を一切傷つけない。
俺は完成した木板を、玄関のよく見える位置に釘で打ち付けた。
「よし、これで少しはマシになるはずだ」
俺が満足げにうなずいていると、背後からカチャカチャと金属音が近づいてきた。
スリッパを履いたリースだ。
彼女は壁の貼り紙を見上げ、眉間に深いしわを寄せた。
「ユウ殿。これは、一体何の契約書だ?」
彼女の声は固い。
規律を重んじる騎士にとって、明文化されたルールは無視できないものなのだろう。
「契約書じゃない。このダンジョンの……いや、この家の『ルール』だ」
俺が胸を張って答えると、リースは貼り紙の三行目を指差した。
銀色のガントレットが、小刻みに震えている。
「『帰宅者』とは何だ。私は神殿からの命を受け、この迷宮を制圧しに来た侵入者だぞ」
彼女の目は真剣そのものだった。
自分が敵であることを、わざわざ主張してきている。
俺はため息をつき、彼女の足元に視線を落とした。
「侵入者は、玄関で靴を脱いでスリッパを履かない。それに、出されたお茶を飲み干してお煎餅のおかわりを要求したりしない」
「なっ……!」
リースの顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。
図星を突かれた彼女は、口をパクパクと開閉させて反論の言葉を探していた。
「お前はもう、玄関のルールを守った。だからうちのルールでは、敵じゃなくてお客さん……いや、帰宅者扱いだ」
俺の言葉に、リースは絶望したような顔で貼り紙を見つめ直した。
「私、帰宅者なのか……? 神殿の騎士である私が、未登録迷宮に帰宅を……?」
彼女のアイデンティティが、音を立てて崩れ去っていくのが見えた。
規律オタクである彼女にとって、自分が無意識に敵地のルールに従ってしまったことは、敗北を意味するのだろう。
「リースさん、お風呂沸きましたけど、先に入ります?」
廊下の奥から、セレナののんびりとした声が響く。
「お風呂……? 迷宮に浴場があるのか……?」
リースの焦点が定まらない。
彼女はフラフラとした足取りで、声のする方へと歩き出してしまった。
俺は貼り紙の位置を少しだけ微調整しながら、再び胃薬が欲しくなっていた。




