第72話「セレナの戸籍問題」
役所は言った。「聖女に戸籍はありません」
俺は言った。「じゃあ作ります」
セレナが小さく息を呑んだ。
迷宮が正式な「実家」として看板を掲げた数日後。
俺はギルドの窓口に足を運んでいた。
目的は、この迷宮に住む全員の、ギルドへの正式な住民登録を行うためだ。
マリアやリース、ノアの手続きはスムーズに進んだ。
だが、最後のセレナの書類を提出した時、窓口の職員が申し訳なさそうに書類を突き返してきたのだ。
「申し訳ありません、ユウ様。セレナ様の手続きは、受理できません」
「なんでですか? 迷宮の本登録は終わってますよね」
俺が食い下がると、職員は困惑した顔で小声を潜めた。
「実は……セレナ様には、戸籍が存在しないのです。神殿の聖女という存在は、生まれた時から神殿の『所有物』として扱われるため、個人の戸籍という概念がありません」
「なっ……」
俺は絶句した。
聖女は道具。あの枢機卿が吐き捨てた言葉が、こんな形でも現実のものとして現れるとは。
戸籍がないということは、彼女はこの世界で法的に「存在しない人間」として扱われているということだ。
「神殿に戸籍の作成を依頼しても、拒否されるでしょう。彼女は国籍を持たない、幽霊のような扱いになってしまいます」
職員の言葉に、俺はギリッと奥歯を噛み締めた。
神殿の奴ら、どこまで彼女の尊厳を奪えば気が済むんだ。
俺は書類を乱暴に掴み取り、窓口のカウンターに手をついた。
「じゃあ作ります」
「えっ……? 作るって、戸籍をですか? それは不可能ですよ。身元を保証する親族もいませんし……」
「俺が保証人になります。俺の家族として、俺の戸籍に彼女を入れればいいんでしょう?」
俺が真っ直ぐに宣言すると、窓口の職員は目を丸くして固まった。
そして、なぜか顔を真っ赤にして、視線を俺の後ろへと向けた。
「……えっと、あの、ユウ様。その後ろの……」
「後ろ?」
俺が不思議に思って振り返った、その瞬間。
「えっ……」
俺のすぐ後ろに、買い物カゴを下げたセレナが立っていた。
どうやら、商店街の特売の帰りに、ギルドに立ち寄ったらしい。
彼女の顔は、耳の先、いや、首の根元まで、信じられないくらい真っ赤に染まっていた。
青い瞳が大きく見開かれ、口をパクパクとさせている。
「セ、セレナ……!? お前、いつからそこに……」
「お、おれの、かぞく……」
セレナが、蚊の鳴くような声で、俺の言葉を反芻した。
そして、彼女は両手で真っ赤な顔を覆い隠し、その場にしゃがみ込んでしまった。
「ち、違う! 今のは、その、法的な手続きの便宜上というか、そうしないと戸籍が作れないって言われたから……!」
俺が必死に弁解しようとするが、顔から火が出そうなくらい熱い。
完全に、公開プロポーズのような形になってしまった。
「戸籍……私と家主さんが、同じ戸籍に……夫婦……」
しゃがみ込んだセレナの口から、さらに破壊力のある単語が漏れ聞こえてくる。
彼女の頭から、プシューッと湯気が上がっているのが見えた気がした。
「ヒュー! マスター、男らしいッスね!」
「ご結婚、おめでとうございます!」
ギルドの待合室にいた他の冒険者たちが、一斉に拍手と口笛で囃し立てる。
俺は逃げ場を失い、ただひたすらに顔を赤くして立ち尽くすしかなかった。
俺の「告白準備」は、役所の手続きという最悪のタイミングで、ほぼ結論を先出しするような形で暴発してしまったのだった。




