第70話「ざまぁ:手続き地獄に沈む神殿」
神殿の書類が、神殿に返っていく。
署名漏れ、押印漏れ、添付漏れ。
俺は初めて、役所に感謝した。
大監査の失敗と、それに続くアルベルトの撃退。
物理的な手段を絶たれた神殿は、再び得意の「書類攻撃」にシフトしようとしていた。
迷宮のポストには、連日のように神殿からの通達や請求書が届く。
だが、今の俺たちには、迷宮が「本登録」されたという絶対的な強みがあった。
そして何より、現場監督として書類仕事に揉まれてきた俺のスキルと、規律オタクのリース、細かい汚れを許さないモップという、最強の事務処理チームが存在していた。
「よし、この『異端審問会からの出頭命令』だが、日付の記載が神聖暦と帝国暦で統一されていない。書式不備で差し戻しだ」
俺がダイニングテーブルで書類を弾く。
「こちらの『罰金請求書』ですが、請求根拠となる条例の条項番号が古いです。添付資料も不足しているため、受け取れません」
マリアが、かつての神殿での知識を活かして、書類の不備を次々と指摘していく。
「この誓約書の隅に、昨日のパン屑のようなシミがついている! 神聖なる文書の取り扱いがなっていない! 破棄だ!」
リースが顔を真っ赤にして叫ぶ。
『押印が〇・五ミリずれています。印影もかすれていますね。不潔です。やり直しを要求します』
モップが書類の表面を舐めるようにチェックし、容赦ない念話でダメ出しをする。
神殿から送られてくる嫌がらせの書類を、俺たちは百倍の「手続きの壁」で跳ね返していた。
署名漏れ、押印漏れ、添付書類の不足、書式の不備。
俺たちが指摘した付箋をベタベタと貼り付け、書類の束は魔法陣ポストを通って、そのまま神殿の管理局へと送り返されていく。
「ふははっ、いい気味だ! 神殿の事務方は今頃、差し戻しの山に埋もれて泣いているに違いない!」
リースが木刀を振り回しながら高笑いをする。
その予想は、見事に的中していた。
神殿、管理局の執務室。
そこは今、阿鼻叫喚の地獄と化していた。
「また迷宮から差し戻しだ! 『担当者の印鑑が斜めに傾いているため無効』だと!?」
「こっちもです! 『神聖文字のハネとトメが規定に反している』と付箋が……!」
事務方の神官たちが、頭を抱えて悲鳴を上げている。
大監査で物理的に追い返された上に、今度は彼らが最も得意とするはずの手続きの分野で、完璧に論破され、書類を突き返されているのだ。
「ええい! なぜたかが未登録迷宮の主が、これほどまでに役所の手続きに精通しているのだ!」
管理部長が書類の山を前にして発狂している。
俺の前世の現場監督時代、役所の厳しいチェックに泣かされながら徹夜で直した書類作成スキルが、まさか異世界で神殿を崩壊させる武器になるとは思わなかった。
「家主さーん、お疲れ様です。お茶とお茶菓子ですよ」
台所から、エプロン姿のセレナがやってきた。
お盆には、温かいほうじ茶と、甘いお団子が乗っている。
「ありがとう。これで神殿の書類も全部片付いたよ」
俺がお茶をすすると、セレナは嬉しそうに目を細めた。
「神殿の人たち、もう書類を送ってくる気力もなくなったみたいですね。平和な実家に戻ってよかったです」
彼女の左手の薬指で、金色の指輪がキラリと光る。
俺たちは、ついに神殿との長かった戦いに、完全勝利を収めたのだ。
武力ではなく、ただいまという言葉と、書類の差し戻しによって。
俺は初めて、前世の過酷な労働環境に感謝したのだった。




