第68話「主人公、ようやく自覚」
嫉妬って感情が、今さら来た。
俺は遅い。致命的に遅い。
モップが言った。「自覚、おめでとうございます(遅)」
大監査騒動から数日が経過した。
『ただいま結界』のおかげで、神殿は完全に手出しができなくなり、迷宮には究極の平穏が訪れていた。
新しい住人となったマリアも、すっかり実家の空気に馴染んでいた。
彼女は完璧な偽聖女の仮面を捨て、今はジャージ姿(リースのお下がり)で、モップと一緒に廊下の掃除をしている。
「家主さーん! ほら、ここピカピカにしましたよ! 褒めてください!」
マリアが雑巾を片手に、満面の笑みで俺に駆け寄ってきた。
彼女は本来、甘えん坊で妹気質の女の子だったらしい。
神殿の重圧から解放され、俺のことを本当の兄のように慕ってくる。
「お、おう。偉いなマリア」
俺が彼女の頭をポンポンと撫でると、マリアは嬉しそうに目を細めて俺の腕に抱きついてきた。
柔らかい感触と、石鹸の匂い。
「えへへー、家主さん大好きです!」
無邪気なスキンシップ。
俺が苦笑いしながら彼女を引き剥がそうとした、その時だった。
「……マリアさん。お掃除、もう終わったんですか?(にこ)」
背後から、エプロン姿のセレナが現れた。
彼女の青い瞳は、マリアが抱きついている俺の腕を、真っ直ぐに、そして氷のように冷たく見つめている。
手には、なぜか出刃包丁が握られていた。(夕食の仕込み中なのだろうが、タイミングが悪すぎる)
「ひぃっ! セレナ様、目が笑ってないです!」
マリアが慌てて俺から離れ、脱兎のごとく逃げ出していった。
取り残された俺は、冷や汗を流しながらセレナに向き直った。
「あ、あの、セレナ。今のはただのスキンシップで……」
「わかっていますよ。マリアさんは妹みたいで可愛いですからね」
セレナはふわりと微笑み、俺の横を通り過ぎて台所へと向かった。
だが、すれ違いざまに漂ってきたのは、強烈な味噌の匂いだった。
今日の夕食も、塩分濃度が致死量の塩対応になることが確定した瞬間だった。
俺は深い深いため息をつき、リビングのソファに倒れ込んだ。
そして、自分の胸の奥で、奇妙なざわめきが起きていることに気がついた。
俺は今まで、セレナが他の男(たとえばあの自称婚約者のアルベルトとか)から言い寄られても、家主としての責任感から彼女を守ろうとしていた。
だが、もし逆に。
セレナが他の男に、さっきのマリアのように無邪気に抱きついていたら?
想像しただけで、胃が煮えくり返るような、ドロドロとした黒い感情が湧き上がってきた。
胸が苦しい。無性に腹が立つ。
他の誰にも、彼女に触れてほしくない。彼女のあの笑顔を、俺以外の奴に向けてほしくない。
「……これって」
俺は自分の左手の薬指にある、金色の指輪を見つめた。
彼女が俺をどう思っているかは、もうとっくにわかっていたはずだ。
なのに俺は、現場監督という立場を言い訳にして、その感情に蓋をして逃げていた。
嫉妬。
そして、独占欲。
俺は彼女を、ただの同居人としてではなく、一人の女として、明確に『好き』なのだ。
『本日の報告。主人公のシステム(脳内)に、ようやく恋愛感情のアップデートが適用されました』
足元から、モップの呆れたような念話が響いた。
『自覚、おめでとうございます(遅)。長すぎる工期でしたが、ようやく最終フェーズに移行できそうですね』
「うるさい……。俺が一番よくわかってるよ」
俺は両手で顔を覆い、自分の致命的なまでの理解の遅さを呪った。
だが、もう迷いはない。
俺はこの実家で、彼女の本当の帰る場所になるために、最後の大仕事をやり遂げなければならない。
俺の、長くて不器用な恋の『告白準備』が、ようやく始まったのだった。




