第59話「神殿、最後の婚約ゴリ押し」
神殿がまた書類を持ってきた。
今度は“婚約”の書類だ。
セレナが受け取り、破らずに折った。「返送します」
監査官がモップに物理的に排除された翌日。
迷宮の玄関ポストには、またしても禍々しい蝋封がされた分厚い封筒がねじ込まれていた。
「またか……。神殿の奴ら、本登録されたってのにまだ諦めてないのか」
俺は深い深いため息をつきながら、ダイニングテーブルで封筒を開けた。
中から出てきたのは、金箔が押された豪奢な羊皮紙の束だった。
一番上の紙には、デカデカと『聖婚の誓約書』と書かれている。
「なんだこりゃ。またあの自称婚約者のアルベルトとかいう奴の件か?」
俺が書類をパラパラとめくっていると、横からジャージ姿のリースが覗き込んできた。
「ユウ殿、それはただの誓約書ではない。神殿の最高意思決定機関が発行した、強制的な『婚姻届』のようなものだ」
リースの表情が険しくなる。
「どういうことだ?」
「ここにセレナ様の署名と印があれば、本人の意思に関係なく、神殿が指定した相手との婚姻が成立してしまう。神殿は、法的拘束力を使って聖女様を取り戻すつもりだ」
俺の胃が、再びキリキリと痛み始めた。
物理で勝てず、監査でも追い出され、ついに書類の暴力による最後の一手に打って出たというわけか。
どんだけ執念深いんだ、あいつら。
「どうしました、家主さん?」
台所から、エプロン姿のセレナがお茶のお盆を持って現れた。
彼女の薬指には、俺との本登録の証である金色の紋章が光っている。
「いや、神殿からまた厄介な書類が届いてな。強制的な婚姻届らしい」
俺が書類を差し出すと、セレナはそれを受け取り、青い瞳でスッと文面を追った。
いつもの彼女なら、ここで静かな怒りを燃やすか、冷たい笑顔を見せるかのどちらかだ。
だが、今日の彼女は少し違った。
「ふふっ」
セレナは楽しそうに笑い、その豪奢な羊皮紙をテーブルの上に置いた。
そして、彼女は指先を器用に動かし、その書類を折り紙のように折り始めたのだ。
「お、おいセレナ? 何してるんだ?」
「実家にこんなゴミを置いとくわけにはいきませんからね。でも、ただ破って捨てるだけじゃつまらないですから」
彼女の白い指先が、複雑な神聖文字が書かれた書類を、無慈悲に折っていく。
角を合わせ、羽を作り、先端を尖らせる。
あっという間に、神殿の最高意思決定機関が発行した絶対的な誓約書は、一機の見事な『紙飛行機』へと姿を変えてしまった。
「よし、できました」
セレナは紙飛行機を手に持ち、ポンと玄関の方へ歩いていく。
「これを、あのポストに入れます。返送用の魔法陣がついていましたよね?」
「あ、ああ……そうだけど」
セレナはポストの口を開け、その紙飛行機をスッと滑り込ませた。
「返送します(にこ)」
彼女の完璧な笑顔と共に、紙飛行機は魔法陣の光に吸い込まれて消えていった。
神殿の最高司祭が受け取るのが、美しく折られた紙飛行機になった誓約書だと想像しただけで、俺は少しだけ胸がすく思いがした。
「さすがだ、セレナ様! 神殿の権威を紙飛行機で撃墜するとは、痛快の極み!」
リースが手を叩いて喜んでいる。
神殿の最後の悪あがきは、セレナの圧倒的な「実家の余裕」の前に、ただの遊び道具として処理されたのだった。




