第5話「布団干しで部屋が増える」
聖女が布団を干した。
すると寝室が“増えた”。
俺は増築より先に、理性が干された。
朝の光が、地下であるはずの迷宮に差し込んでいる。
昨日、台所の奥に勝手に生えたベランダのような空間。
そこから見上げる空は、青々と澄み切っていた。
地下に空があるという矛盾に、俺の脳はすでに考えることを放棄している。
パン、パン。
小気味よい音が、静かな地下空間に響き渡る。
「いいお天気ですね、家主さん。絶好の洗濯日和です」
純白のドレスの上に、どこから持ってきたのか家庭的なエプロンを着けたセレナが、竹の棒のようなもので布団を叩いていた。
そのたびに、お日様の匂い――太陽の熱をたっぷり吸い込んだ綿の香りが、俺の鼻をくすぐる。
平和だ。
ここは未登録の違法迷宮で、神殿に見つかれば即座に討伐される恐ろしい場所のはずなのに。
「いや、平和じゃない。全然平和じゃないぞ」
俺は自分の頬をパチンと叩いて、現実逃避しそうになる意識を引き戻した。
問題は、彼女が布団を干したことではない。
彼女が布団を干したことによって引き起こされた、ダンジョンの異常な変化だ。
ゴゴゴゴゴッ。
俺の足元で、冷たい石の床が微かに震えている。
鼓膜を圧迫するような重低音が響き、視界の端で空間が歪むのが見えた。
「またかよ……!」
俺は胃を押さえた。
ダンジョンの壁が、まるで飴細工のようにぐにゃりと引き伸ばされていく。
光の粒子が宙を舞い、何もない空間に木材と漆喰が編み込まれていく。
それは、世界という名の『布』が、無理やり縫い直されているかのような光景だった。
ピコンッ。
無機質な電子音が鳴り、俺の目の前に半透明のシステムウィンドウが浮かび上がる。
《ホーム指数が一定値を超えました》
《設備『寝室×3』が増築されました》
「寝室が三つ!? どうして一気に三つも増えるんだよ!」
俺は絶叫した。
新しく伸びた廊下の先には、真新しい木製のドアが三つ、規則正しく並んで生えていた。
ご丁寧に、それぞれのドアノブには真鍮の飾りがついている。
セレナは布団を叩く手を止め、ふわりと微笑んだ。
「実家なら、家族の部屋と客間が必要ですよね。お布団もふかふかにしておきましたから」
「誰が来るんだよ! ここはダンジョンだぞ! 客なんて来たらそれは侵入者だ!」
俺のツッコミに対して、セレナは首をかしげる。
その青い瞳には、一切の悪びれた様子がない。
「帰る場所が広いのは良いことです。さあ、家主さんも一緒に干しましょう」
彼女の言葉は、有無を言わさぬ圧力を孕んでいた。
逆らえば、もっと恐ろしい増築が待っているかもしれない。
俺はため息をつき、おとなしく彼女の隣に並んだ。
太陽の匂いと、隣に立つ彼女から漂う甘い花の香りが混ざり合う。
心臓が少しだけドクンと跳ねた。
いかん、俺は現場監督だ。恋なんてタスクは後回しにしなければならない。
だが、そんな俺のささやかな平穏は、長くは続かなかった。
ひらり。
ダンジョンの入口方向から、一枚の紙片が風に乗って飛んできた。
それは俺の足元にふわりと落ちる。
嫌な予感がして、俺はそれを拾い上げた。
和紙のようなザラザラとした手触り。
血のように赤いインクで、禍々しい紋章が押されている。
「……なんだ、これ」
『監査通達。未登録の異常空間を検知。速やかに査察を行う』
神殿からの、監査札だった。
俺の胃が、再びキリキリと音を立てて悲鳴を上げた。




