第4話「台所が生えた」
朝、目が覚めたらダンジョンに台所があった。
いや、作った覚えはない。
でも聖女は当然のように言う。「味噌あります?」
目を覚ますと、鼻腔をくすぐる良い匂いがした。
カツオと昆布が混ざり合ったような、深い出汁の香り。
俺は硬い石の床から身を起こした。
……いや、待て。
背中が痛くない。
触れてみると、そこはひんやりとした石ではなく、温かみのある木の板だった。
「……は?」
周囲を見回す。
昨日まで殺風景な洞窟だったはずの空間が、様変わりしていた。
木の柱が立ち並び、壁には漆喰が塗られている。
そして何より、匂いの出所。
部屋の奥に、立派な『台所』が存在していた。
かまどがあり、水瓶があり、包丁やまな板まで揃っている。
俺は目をこすり、もう一度見た。
やはり幻ではない。
「おはようございます、家主さん」
かまどの前で、エプロン姿のセレナが振り返った。
純白のドレスの上に、どこから持ってきたのか家庭的なエプロン。
そのギャップに脳が混乱する。
「お、おはよう……って、この台所どうしたんだよ!」
「朝起きたら、お腹がすいたので」
彼女は事もなげに言った。
「『お腹すいた』で台所が生えるのかよ! この迷宮のシステムどうなってんだ!」
俺は頭を抱えた。
玄関の次は台所。
討伐も何もしていないのに、このダンジョンは謎のエネルギーで勝手に拡張されている。
《ホーム指数が上昇しました》
《設備『台所』が増築されました》
遅れて表示されたシステムウィンドウが、俺の胃を容赦なく攻撃する。
「それより家主さん、味噌あります?」
セレナがお玉を持ったまま首を傾げる。
「あるわけないだろ! ここは迷宮だぞ! 魔物もいないのに味噌があるか!」
俺のツッコミに対し、セレナは小さくため息をついた。
そして、部屋の隅に置かれた古びた木箱を指差す。
「あそこにある宝箱、開けてみてください」
言われるがままに、俺は木箱に近づいた。
RPGでよく見る、いかにもな宝箱だ。
恐る恐る蓋を開ける。
罠が作動するかもしれない。身構えながら中を覗き込んだ。
そこに入っていたのは――。
「……信州味噌?」
茶色いペースト状の物体が、樽にたっぷりと詰まっていた。
ご丁寧に『熟成』と書かれた札まで貼ってある。
「やっぱり。実家なら味噌くらいありますよね」
セレナは当然のように樽を受け取り、かまどの鍋へと向かった。
「宝箱から味噌が出るダンジョンなんて聞いたことねえよ!」
俺の叫びを無視して、彼女は手際よく味噌を溶いていく。
トントン、と小気味よい包丁の音が響き、ネギが刻まれる。
やがて、湯気を立てるお椀が俺の前に差し出された。
「はい、どうぞ」
一口すする。
五臓六腑に染み渡る、完璧な味だった。
「美味い……」
「ふふっ、よかったです。今日から毎日作りますね」
彼女の笑顔に、俺の胸の奥で何かが小さく跳ねた。
いかん、絆されかけている。
俺は未登録迷宮の(仮)マスターで、彼女は神殿から追われる身なのだ。
「……ごちそうさま。でも、あんたは早く神殿に帰ったほうが――」
俺が言いかけたその時、台所の奥の壁がズズズと音を立てて動き始めた。
「え?」
「あ、そういえば布団干しますね。天気がいいので」
セレナが立ち上がり、どこからか布団を取り出した。
壁が割れ、外の光が差し込むベランダのような空間が形成されていく。
「やめろ! また部屋が増える!」
俺の制止も虚しく、システム音が鳴り響いた。
このままでは、迷宮が乗っ取られてしまう。
俺の胃痛との戦いは、まだ始まったばかりだった。




