第41話「印鑑回(世界観ギャグ)」
魔法で印鑑を作る日が来るとは思わなかった。
セレナが彫る。リースが測る。モップが磨く。
俺だけが胃を抱える。
神殿から送りつけられた『最終通告』の書類。
そこには、本人署名と実印による押印が必須と書かれていた。
普通なら未登録迷宮の主が実印など持っているはずがないと、足元を見た嫌がらせである。
だが、うちには迷宮の心臓部である『コアの欠片』があった。
「よし、削りますね」
ダイニングテーブルの上で、エプロン姿のセレナが指先を立てた。
彼女の指先から、レーザーのような細く鋭い光が放たれる。
対象は、彼女が首から下げていた青く光るコアの欠片だ。
ジジジジッ。
焦げ臭い匂いと共に、硬いはずのコアがまるで豆腐のように削り取られていく。
世界を構成するほつれの結晶が、ただの実印サイズに成形されていく光景に、俺は言葉を失った。
「ユウ殿、少し右が歪んでいる。あと〇・一ミリ削れ!」
ジャージ姿のリースが、どこから持ってきたのか金属製のノギスを構えて怒鳴った。
規律オタクの彼女は、印鑑の寸法にも妥協を許さないらしい。
「はい、修正します」
セレナが素直に光の角度を変え、微細な調整を行う。
『削りカスが落ちています。不潔です。仕上げは私にお任せを』
足元から這い上がってきたモップが、半透明の体で印鑑の表面を包み込み、キュッキュと音を立てて磨き上げた。
「……お前ら、器用だな」
俺は用意された白湯をすすりながら、ただ見守ることしかできなかった。
やがて完成した印鑑は、透き通るような青い水晶の筒だった。
底面には、丸みを帯びた可愛らしい書体で『迷宮実家 ユウ』と彫られている。
「さあ、家主さん。押してください」
セレナが朱肉(商店街の文具屋で買ってきた)を差し出す。
俺は震える手で印鑑を持ち、朱肉をポンポンとつけて、神殿の書類の所定欄に押し当てた。
カチャリ。
再び、頭の中で鍵が回るような音が響いた。
書類から手を離すと、紙の表面に赤い印影がくっきりと残っていた。
だが、ただの印影ではない。
朱色の文字から、ぽわっと温かい光が漏れ出し、周囲の空気にカツオ出汁の匂いが漂い始めたのだ。
「なんだこれ……印影から匂いがするぞ」
「実家の匂いを込めておきましたから(にこ)」
セレナが満足げに微笑む。
どんな魔法の応用だ、それは。
俺たちはその足で、迷宮の玄関に設置したポストに書類を投函した。
(神殿への返送用魔法陣が組み込まれている便利なポストだ)
数時間後。
神殿の管理局、窓口。
「ふん、どうせ実印など用意できずに、泣きついてくるに決まっている」
書類を受け取った特務監査官の男は、鼻で笑いながら封筒を開けた。
しかし、中から出てきた書類の右下を見た瞬間、彼の動きがピタリと止まった。
『迷宮実家 ユウ』
その赤い印影を見た途端、男の鼻腔を強烈な出汁の匂いが直撃した。
「……あ……」
男の目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「かあちゃん……オレ、もっと優しい役人になるって約束したのに……こんな嫌がらせの書類ばっかり作って……」
監査官は書類を抱きしめ、窓口で声を上げて泣き崩れた。
印影から放たれる圧倒的な『実家オーラ』が、彼の荒んだ心を完全に浄化してしまったのだ。
俺の迷宮は、ついに書類上の魔法戦において神殿を完全論破することに成功したのだった。




