第40話「最終通告(役所語)」
役所の文書は、恐怖より先に眠気を呼ぶ。
期限、添付、署名、押印。
セレナが微笑む。「印鑑、作りましょう」
セレナの渾身の「ほぼ告白」を、俺が現場監督特有のクソリプで台無しにしてしまった翌朝。
ダイニングテーブルには、恐ろしいほどに静かで冷たい空気が流れていた。
今日の朝食は、白米と、異常に味が濃い目玉焼き、そして塩分濃度が限界突破した味噌汁だった。
「ごちそうさまでした。私は洗濯をしてきますね(にこ)」
セレナは完璧な笑顔のまま、俺と一切目を合わせずに席を立つ。
その背中からは、言葉にできないプレッシャーが漂っていた。
「……ユウ殿。お前、昨夜いったい何をしたのだ。聖女様の纏うオーラが、まるで魔王のそれだぞ」
ジャージ姿のリースが、塩辛い味噌汁に顔をしかめながら小声で尋ねてくる。
「俺にもわからないんだよ……。ただシステムの話をしただけで……」
「乙女心とシステムを同列に語るなど、万死に値する愚行だ。私はお前を軽蔑する」
リースにまで冷たい視線を向けられ、俺の居場所は完全に針のむしろだった。
だが、そんな俺の個人的な悩みを吹き飛ばすような、厄介な代物が迷宮に届けられた。
「家主ー! またポストにすげえ手紙が来てるぞ!」
ノアが玄関から走ってきて、分厚い羊皮紙の束をテーブルにドサリと置いた。
以前の異端審問会からの手紙よりも、さらに物々しい装丁だ。
表紙には「最終通告」という赤い文字がデカデカと踊っている。
俺は震える手で封を開け、書類に目を通した。
『本通告をもって、未登録空間の自主的な解体、並びに聖女の返還要求に対する最終期限を通達する』
『期日までに下記の手続きを完了せざる場合、特例法第七条の規定に基づき、強制執行による制圧作戦を発動するものとする』
『必要な提出書類:始末書、誓約書、聖女の身柄引渡書。各書類には、当事者本人の署名および実印による押印を必須とする』
「……長い。そして眠い」
役所特有の、無駄に難解で回りくどい言い回し。
恐怖よりも先に、かつて役所に提出する図面や申請書を作成していた頃の、徹夜のトラウマが蘇ってくる。
期限、添付、署名、押印。
この四つの単語を見るだけで、俺の胃は自動的に収縮する仕様になっていた。
「どうするんだ、これ。署名と実印なんて、俺たち持ってるわけがないだろ。そもそも未登録の仮マスターだし」
俺が書類を放り出して天を仰ぐと、洗濯を終えたセレナが戻ってきた。
彼女はテーブルの上の書類を手に取り、ふむふむと頷いた。
相変わらず俺とは目を合わせてくれないが、書類の内容には興味があるらしい。
「なるほど。強制執行の前に、最後の手続きの猶予を与えてきたんですね。神殿も、世論の反発を恐れて、あくまで『法的な手続きに則った』という大義名分が欲しいのでしょう」
セレナの分析は、恐ろしいほどに的確だった。
彼女は本当に、神殿の駆け引きの中で生き抜いてきたのだ。
「でも、実印なんてないぞ。無視したら軍隊が来るんだろうし」
俺が絶望的な声を出すと、セレナはペンを置き、ふわりと微笑んだ。
「大丈夫です。役所が書類と印鑑を求めてくるなら、ルール通りに返してあげればいいんです」
「ルール通りって……どうやって?」
セレナは、自分の首にかかっているコアの欠片――青く光る迷宮の鍵を指差した。
「印鑑、作りましょう」
「……は?」
「このダンジョンコアの欠片を削って、家主さんの実印を作るんです。そして、私たちが『ここは正式な実家です』という申請書を、逆に叩きつけてやります」
彼女の青い瞳に、悪戯っぽい光が宿る。
神殿の権力に対し、武力ではなく、まさかの「役所の仕事(印鑑)」で逆襲するというのだ。
「……お前、本当に聖女か?」
「実家を守る、ただの同居人です(にこ)」
その圧倒的な笑顔を前に、俺はただ頷くしかなかった。
冷戦状態だった俺とセレナの間に、再び「実家防衛」という共通の目標が生まれた瞬間だった。
かくして、俺たち未登録迷宮の住人による、前代未聞の「印鑑作り」が幕を開けたのである。




