第31話「神殿、公式返還要求」
神殿から“公式文書”が届いた。
文章が長いが言ってることは短い。
『聖女を返せ』
商店街の出現により、迷宮内の食卓はさらに豊かになった。
夕食には新鮮な刺身が並び、朝食には採れたての野菜を使ったサラダが提供される。
リースは体重の増加を気にして、毎朝ダンジョンの廊下を走り込み始めたほどだ。
だが、そんな平和な実家生活に、ついに役所の本気が牙を剥いた。
「また手紙か……」
俺はダイニングテーブルに座り、玄関のポストから回収した分厚い封筒を睨みつけていた。
これまでの嫌がらせのような請求書とは違う。
羊皮紙に金色の箔押しがされ、神殿の最高意思決定機関を示す、重々しい蝋封が押されている。
「ユウ殿、その封印は……異端審問会のものだ」
横から覗き込んだリースが、息を呑んで呟いた。
彼女の青い瞳に、明確な警戒の色が浮かんでいる。
「異端審問会って、あの、拷問とか火あぶりとかする怖い部署か?」
「ああ。神殿の中でも最も過激で、規律に厳しい連中だ。彼らが動いたということは、もう交渉の余地はないということだ」
俺は震える手で封筒を開け、中に入っていた何枚もの羊皮紙を広げた。
そこには、役所特有の回りくどい、無駄に難しい言葉がびっしりと書き連ねられている。
『当該未登録空間における不法占拠、並びに神聖なる聖女の不当なる拘束について……』
『我が神殿の権威を著しく毀損する行為であり、断じて看過し得ない……』
「長い。長すぎる。結論は何なんだ」
俺が目を白黒させていると、エプロン姿のセレナがお茶の入った急須を持ってやってきた。
「どうしました? また難しい顔をして」
「神殿から、一番ヤバい部署の公式文書が届いたんだ。文章が長すぎて頭が痛い」
俺が羊皮紙をテーブルに放り出すと、セレナはそれを一枚手にとり、さらりと目を通した。
「ああ、なるほど。要するに『聖女を返せ』ってことですね。3文字で済むのに、ご苦労なことです」
彼女はふわりと微笑み、その羊皮紙を綺麗に四つ折りにした。
「返せって……お前、どうするつもりだ? このまま無視したら、今度こそ本物の軍隊が来るぞ」
俺の問いに、セレナは全く動じることなく、首にかけたコアの欠片――合鍵をそっと撫でた。
「返せと言われても、私は帰省しているだけですから。それに、もう実家の鍵も持っていますし」
彼女の言葉は、相変わらず無敵の論理だった。
神殿がどれほど権威を振りかざそうと、彼女の中では「実家の門限」や「ご近所づきあい」の方が優先順位が高いのだ。
「でも、書類で正式に要求されてるんだ。何か返事を出さないとマズいんじゃないか?」
現場監督の悲しい習性で、俺は役所への書類提出を無視できない。
「そうですね。じゃあ、こう書いておきましょう」
セレナは炭のペンを手に取り、羊皮紙の裏にサラサラと流麗な文字を書き付けた。
『実家なので、帰りません。 印』
「短すぎるだろ! しかもなんだよその印って!」
「大丈夫です。役所は印鑑が押してあれば、とりあえず受理しますから。ふふっ」
セレナの恐ろしいほどにブラックな笑顔。
俺は胃を押さえながら、この返信が神殿に届いた時の大爆発を想像して、静かに目を閉じた。




