第30話「家→町へ(近所付き合い)」
迷宮に、八百屋ができた。
俺のダンジョンはどこへ向かっている。
セレナが言う。「ご近所づきあい、必要ですよ」
コアの欠片がセレナの首に収まってから、この迷宮の増築バグはさらに未知の領域へと足を踏み入れてしまった。
もはや「部屋が増える」という次元ではない。
「へいらっしゃい! 今日は大根が安いッスよ! 聖女様もどうッスか!」
「あら、本当に新鮮ですね。じゃあ、これを三本もらえるかしら」
「毎度ありィ!」
朝、目を覚ましてリビングを出た俺の目に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。
迷宮の廊下が不自然に拡張され、石畳の道の両脇に、木造の店舗が軒を連ねている。
八百屋、魚屋、精肉店、そして金物屋。
店先には色とりどりの野菜や新鮮な魚が並び、前掛けを締めたオークやゴブリンたちが威勢よく声を張り上げている。
その間を、買い物カゴを下げたセレナが笑顔で練り歩いていた。
「……商店街が、生えた」
俺は壁に手をつき、ゆっくりとその場にへたり込んだ。
ダンジョンとは、本来、階層を下るごとに強力な魔物が現れ、最深部で魔王が待ち構えているものだ。
それがどうだ。
うちの迷宮は、廊下の奥に進むと『夕飯のおかずが揃う便利な商店街』が広がっている。
「ユウ殿! これはどういう状況だ!」
ジャージ姿のリースが、ネギの束を抱えながら走ってきた。
彼女の顔には、隠しきれない興奮が浮かんでいる。
「私に聞くな……ホーム指数が暴走して、ついに『家』から『町』に概念が拡張したんだろ……」
「なんと素晴らしい! 兵站の確保は防衛戦の要だ。これだけ新鮮な食材が迷宮内で手に入るなら、神殿の包囲網を敷かれても数年は籠城できるぞ!」
騎士としての観点がズレている。
彼女は完全に、この商店街を自陣の兵糧庫として認識していた。
そこへ、買い物を終えたセレナが戻ってきた。
カゴの中には、大根やネギ、それに特売シールの貼られた肉がパンパンに詰まっている。
「おはようございます、家主さん。商店街、便利ですね」
セレナは当然のように微笑んだ。
「便利ですね、じゃない! どうして迷宮の中に八百屋ができるんだよ! しかもあいつら、どこから食材を仕入れてきてるんだ!」
俺のツッコミに対し、セレナは首をかしげた。
「実家で暮らしていくなら、ご近所づきあいは必要ですよ。八百屋のおじさん(オーク)も、魚屋のお兄さん(ゴブリン)も、みんな親切です」
彼女の辞書には、もう『魔物』という概念が存在しないらしい。
すべてが『気のいいご近所さん』に変換されている。
『本日の報告。迷宮内経済圏の確立を検知。なお、魚屋の店先が少し生臭いです。後で徹底的に洗浄します』
足元のモップが、相変わらずの潔癖症ぶりを発揮して震えている。
「これ、絶対に神殿の連中が黙ってないぞ……」
未登録の違法建築に、勝手に商店街まで作って経済活動を始めているのだ。
役所から見れば、完全に無法地帯の独立国家である。
俺の悪い予感は、いつも百発百中で当たる。
この商店街の噂が外に漏れ、神殿の上層部が完全にブチギレるまで、そう時間はかからなかった。




