第26話「神殿(婚活狂)襲来」
神殿の使者が、指輪の箱を持ってきた。
「聖女は聖婚すべきだ」
セレナは笑顔で閉めた。「うち、門限あるので」
翌日の昼下がり。
濃すぎる味噌汁のダメージで胃を痛めた俺は、リビングのソファーでぐったりとしていた。
「ピンポーン」
迷宮の入口から、間抜けな電子音が響いた。
いつの間にか生えていた呼び鈴だ。
ダンジョンにチャイムがあるという事実にも、俺はもう驚かなくなっている。
「はーい、今出ます」
台所で洗い物をしていたセレナが、手を拭きながら玄関へと向かった。
俺も嫌な予感がして、重い体を起こしてその後を追う。
重い木製の扉が開くと、そこには金糸の刺繍が施された豪奢な白い法衣を着た男が立っていた。
背後には、護衛らしき屈強な兵士が二名控えている。
漂ってくるのは、香の匂い。神殿特有の、鼻をつくような甘ったるい香りだ。
「聖女セレナ様。お迎えに上がりました」
男は恭しく一礼すると、懐からビロード張りの小さな箱を取り出した。
パカッ、と音を立てて開かれた箱の中には、大粒の宝石が輝く指輪が鎮座している。
「神殿の上層部より、新たな決定が下されました。聖女様は、由緒正しき血統を持つ貴族との『聖婚』をもって、その使命を全うすべきであると」
男の言葉に、俺は息を呑んだ。
武力による討伐でもなく、書類による嫌がらせでもない。
今度は「結婚」という名目で、セレナを神殿の管理下に置こうという腹だ。
「お相手は、我が神殿が誇る筆頭騎士団長のご子息です。この指輪は、その婚約の証です」
男が恭しく指輪を差し出す。
俺の胸の奥で、ドクンと嫌な音が鳴った。
熱いものがこみ上げてくる。
勝手に人の人生を決めるな。ここは彼女の帰る場所だ。
俺が一歩前に出ようとした、その時だった。
「……ふふっ」
セレナが、小さく笑い声を漏らした。
彼女の青い瞳は、指輪の箱を一度も見下ろすことなく、まっすぐに使者の男を捉えていた。
「聖婚、ですか。ご苦労様です」
セレナはふわりと微笑んだ。
いつもの優しい笑顔。だが、その奥にある圧力は、今までで一番冷たく、重かった。
「ですが、お断りします」
「なっ……! 聖女様、これは神殿の決定事項であり、拒否権など……!」
男が顔を真っ赤にして詰め寄ろうとした。
「うち、門限あるので(にこ)」
バタンッ!!
セレナは一切の躊躇なく、勢いよく玄関の扉を閉めた。
外から「お待ちください!」と叩く音が響くが、迷宮の扉はびくともしない。
「……閉めちゃって、よかったのか?」
俺が恐る恐る尋ねると、セレナは振り返って首を傾げた。
「はい。知らない人から物をもらってはいけないって、実家のルールですから」
彼女の顔からは、先ほどの冷たい圧力がすっかり消え去っていた。
『侵入者の排除を確認。なお、玄関マットに香の粉末が落ちていました。不潔です』
足元でモップが震えながら念話を送ってくる。
「ユウ殿! 今のは敵襲か!?」
ジャージ姿のリースが、木刀(どこで拾ったのか)を構えて奥の部屋から飛び出してきた。
状況はすでに終わっているというのに、彼女の気合だけが空回りしている。
「いや、なんでもない。ただのセールスだ」
俺がため息をつきながら答えると、セレナが俺の袖を少しだけ引いた。
「家主さん」
「ん? どうした?」
「私、勝手にどこかに行ったりしませんから。……安心してください」
少しだけ上目遣いで言われたその言葉に、俺の心臓が大きく跳ねた。
彼女から漂う石鹸の香りが、俺の思考を甘く溶かしていく。
俺は冷静さを、また一つ失った。




