第24話「帰宅祭(ただいま祭)」
ダンジョンに提灯が灯った。
セレナが浴衣で現れて言う。「ただいま」
俺の脳が処理落ちした。
その日の夜、迷宮の空気はいつもと違っていた。
ホーム指数が臨界点を突破した影響なのか、ダンジョンそのものが異常な熱を帯びていたのだ。
廊下の天井からは、どこから湧いたのか赤い提灯がズラリとぶら下がっている。
遠くからは、ドンドンと腹に響く太鼓の音と、お囃子のような幻聴まで聞こえてきた。
「なんだこれ……お祭りか?」
俺がリビングから顔を出すと、コンシェルジュ化したゴブリンたちが法被を着て走り回っていた。
スケルトンは器用に屋台のようなものを組み上げ、焼きそばのようなものを炒めている。
『家主様。ホーム指数が高まりすぎた結果、迷宮全体が祭りの概念を具現化した模様です。清掃が大変なのでやめていただきたいのですが』
モップが呆れたような念話を送ってくる。
「俺に言われても困る! システムが勝手にやってるんだ!」
未登録迷宮が、勝手に夏祭りを開催している。
神殿の連中が見たら卒倒するだろう。
「ユウ殿! これはどういう状況だ!」
ジャージ姿のリースが、片手にりんご飴を持ちながら駆け寄ってきた。
「お前、すでに祭りを楽しんでるじゃないか」
「け、検証だ! この赤い飴が毒ではないか、身をもって確かめているだけだ!」
リースが顔を赤くしてりんご飴をかじる。
もはやツッコむ気力もない。
その時だった。
「お待たせしました」
奥の部屋から、静かな声が響いた。
振り返った俺は、呼吸を忘れた。
そこに立っていたのは、紺地に朝顔の柄があしらわれた浴衣姿のセレナだった。
いつも下ろしている銀糸の髪はうなじで綺麗にまとめられ、色白の肌が提灯の赤い光に照らされて妖艶に浮かび上がっている。
帯の結び目も完璧で、普段の純白のドレスとは全く違う、圧倒的な破壊力があった。
「セ、セレナ……その格好……」
「実家の夏祭りといえば、浴衣ですよね。宝箱から出た布を、少し縫い直してみました」
彼女は少しだけ照れくさそうに微笑み、くるりとその場で一回転してみせた。
ふわりと広がる浴衣の裾。
ほのかに漂う、甘く清涼な香り。
俺の脳の処理能力が、完全に限界を超えた。
現場の作業工程表が真っ白になり、安全確認のルールが消し飛ぶ。
可愛い。ただひたすらに、可愛い。
「どうですか……? 変じゃ、ないですか?」
上目遣いで尋ねてくる青い瞳。
俺は必死に理性を総動員して、言葉を紡ぎ出した。
「いや……すごく、似合ってる。綺麗だ」
俺の素直な言葉に、セレナはパッと顔を輝かせた。
そして、彼女は俺の隣にすっと並び、そっと袖口を掴んできたのだ。
「えっ……」
「迷子にならないように、です」
彼女は俺の目を見つめたまま、悪戯っぽく微笑んだ。
ドクン、と心臓が跳ねる。
近い。肌の熱が伝わってくるような距離。
「さあ、行きましょう。私たちのお祭りです」
セレナが俺の腕を引き、屋台が並ぶ廊下へと歩き出す。
周囲では、魔物たちが楽しそうに笑い合い、ノアが水晶玉で配信を回している。
ここは未登録の違法迷宮。
だが今この瞬間、ここはこの世界で一番幸せな『実家』だった。
「……ただいま」
提灯の光の下で、セレナが小さく呟く。
その声は俺の耳にだけ届き、迷宮全体が温かい光に包まれた。
俺の胃痛は、いつの間にかどこかへ消え去っていた。




