第18話「玄関論争」
玄関に、俺は新しい貼り紙を追加した。
『ただいま禁止(増築事故防止)』
セレナが首をかしげる。「ただいまに禁止ってあるんですか?」
勇者一行がかりんとうを平らげて帰っていった翌日。
俺は木板と炭のペンを持ち、玄関の壁と睨み合っていた。
勇者たちが帰る際、セレナが何気なく「いってらっしゃい」と言っただけで、下駄箱のサイズが倍に拡張されたのだ。
このダンジョンは、生活や家族のやり取りをエネルギーにして無限に成長していく。
特にセレナの「ただいま」という言葉は、増築のトリガーとして最も危険な兵器だった。
これ以上の無秩序な拡張を防ぐため、俺は現場監督としての権限を行使することにした。
カリカリと音を立てて、木板に新しいルールを書き込む。
『ただいま禁止(増築事故防止)』
よし、これで完璧だ。
俺が満足げに釘を打ち込んでいると、背後からふんわりとした甘い香りが漂ってきた。
「家主さん、何をしているんですか?」
振り返ると、洗濯カゴを抱えたセレナが不思議そうな顔でこちらを見上げていた。
彼女の青い瞳が、新しい貼り紙の文字を捉える。
「ただいまに禁止ってあるんですか?」
彼女の言葉には、純粋な疑問しか含まれていなかった。
だが、その奥には「実家のルールを捻じ曲げる気ですか?」という無言の圧力が潜んでいる。
「いや、あのな。お前が『ただいま』って言うたびに、この迷宮の部屋が増えたり壁が動いたりするだろ? このままだと迷宮が地上にまで飛び出しちまうんだよ」
俺が必死に説明すると、セレナは小さく息を吐いた。
「実家が広くなるのは良いことです。それに、外から帰ってきて『ただいま』を言わないなんて、家族として不自然じゃないですか?」
「ここは家族の家じゃなくて、未登録のダンジョンだ! 頼むから、俺の胃のために自重してくれ」
俺が両手を合わせて懇願すると、セレナは少しだけ頬を膨らませた。
その仕草が反則的に可愛くて、俺の心臓がドキンと跳ねる。
いかん、絆されてはいけない。俺は管理者なのだ。
「……わかりました。玄関以外なら言ってもいいですか?」
「玄関以外って、どこで言うんだよ」
「たとえば、寝室とか、台所とか」
「それじゃ意味ないだろ! どこで言っても増築バグが起きるんだよ!」
俺たちのやり取りを聞きつけ、ジャージ姿のリースがリビングから顔を出した。
彼女は腕を組み、真剣な顔つきで俺たちに歩み寄る。
「ユウ殿、私もセレナの意見に賛成だ。規律ある家庭において、帰宅の挨拶は不可欠。それを禁ずるなど、家主としての怠慢ではないか」
「お前はどっちの味方なんだよ!」
すっかりこの生活に馴染みきった騎士が、俺に説教をしてくる。
もう誰も、ここが危険な迷宮だと思っていない。
その時だった。
「ただいま戻りましたー!」
外へゴミ捨てに行っていたノアが、元気な声と共に玄関の扉を開け放った。
彼の口から放たれた言葉が、空間に響き渡る。
「あっ……」
俺が止める間もなく、システムウィンドウが虚空に浮かび上がった。
《ホーム指数が上昇しました》
《設備『猫部屋』が増築されました》
ゴゴゴゴゴッ!!
地鳴りと共に、廊下の奥の壁がズズズと後退していく。
真新しい木の扉が形成され、その表面には可愛らしい猫の足跡のレリーフが刻まれていた。
「ね、猫部屋だと……!?」
リースが叫び、目を輝かせながら新しく生えた部屋へと駆け出していく。
「にゃ……(崩壊)」
扉の向こうから、リースの溶けきった声が聞こえてきた。
俺は頭を抱え、その場にへたり込んだ。
「ほら、禁止しても増える時は増えるんです。だから、私はこれからも言いますね」
セレナがふわりと微笑み、俺の横を通り過ぎる。
「……ただいま」
小さく呟かれたその言葉に、ダンジョンが嬉しそうに微かな振動を返した。
俺の胃痛は、今日も絶好調だった。




