第14話「監査官(清潔狂)襲来」
監査官が持ってきたのは剣じゃない。
白手袋と、メジャーだった。
モップが震えた。「汚れは私が許しません」
キィィィ……。
重い木製の扉が開く音が、ダンジョンの石壁に反響する。
またしてもギルドからの監査官か、それとも神殿の兵士か。
俺は身構えながら玄関の上がり框に立った。
現れたのは、黒い法衣を身にまとった神経質そうな男だった。
髪は一糸乱れず撫でつけられ、手には純白の手袋がはめられている。
彼の冷たい灰色の瞳が、玄関の敷石をねめつけるように睨んでいた。
「神殿からの特例監査に参りました。聖女様の生活環境を査察し、不適格であれば即座に連行……」
男の言葉は、途中でピタリと止まった。
彼は白手袋の指先で、玄関の壁をすっと撫でた。
そして、その指先をじっと見つめる。
「……ホコリが一つもない。未登録の地下迷宮だというのに、どういうことだ」
男は眉間に深いシワを寄せ、今度はメジャーを取り出して靴箱と壁の隙間を測り始めた。
なんだこいつ。前回のギルド監査官ロイドとはまた違うベクトルの厄介さだ。
「あの、監査官殿? 泥靴で上がらないでほしいんですが」
俺が声をかけると、男は冷たく鼻を鳴らした。
「私は神殿の査察官だ。このような不浄の地に、わざわざ靴を脱いで上がる義務はない」
面倒くさい。
俺が対応に苦慮していると、足元から「ぷるん」という奇妙な音が聞こえた。
青みがかった半透明のゼリー状の物体。
このダンジョンの数少ない配下魔物(いつの間にか迷宮の隅から生えていた)のスライムだ。
なぜか頭に小さなメイドキャップのようなものを乗せ、体内に小さなモップを抱え込んでいる。
『不浄、とは聞き捨てなりませんね』
脳内に直接響く、慇懃無礼な敬語の念話。
俺は思わず飛び退いた。
「モ、モップ!? お前、しゃべれるのか!?」
俺が驚愕するのも無理はない。今までただ床を這い回って掃除しているだけの無害なスライムだと思っていたのだから。
『お初にお目にかかります、家主様。私は当迷宮の清掃管理を担当しております、モップと申します。以後お見知りおきを』
モップは器用に体をくねらせてお辞儀のような動きをした後、監査官の方へと向き直った。
『そこの白手袋の方。あなたの靴底には、泥と馬の糞、そして三日前に踏んだであろうガムの残骸が付着しています。帰宅以前に退去です』
「なっ……! 喋る魔物だと!?」
監査官が目を見開き、一歩後退した。
『綺麗は正義。汚れは敵。あなたのその汚れた靴底で、この神聖なる実家の床を踏み躙ることは、私が許しません』
モップの半透明の体が、威嚇するようにブルブルと震える。
「た、たかがスライムが、神殿の査察官に向かって……!」
『説教は結構ですが、靴を脱いでからにしてください。その正義、床に泥が付いています』
モップの容赦ない毒舌が、静かな玄関に響き渡る。
監査官は顔を真っ赤にし、プルプルと震えながら玄関の敷石を見つめた。
自分が立っている場所だけが、自分の靴のせいでわずかに泥で汚れていることに気がついたのだ。
「……っ!」
極度の清潔狂である彼にとって、自分が汚れの原因になっているという事実は耐え難い屈辱だったらしい。
「き、今日のところはこれで引き下がる! だが、これで終わったと思うなよ!」
監査官は逃げるように扉を開け、外へと走り去っていった。
俺は嵐が去った後の玄関で、ポツンと残されたモップを見下ろした。
『やれやれ。換気をしてください、家主様。変な菌が入りました』
「……お前、頼もしいな」
俺の未登録迷宮には、また一人(一匹? )、強烈な身内が増えてしまったらしい。




