第11話「ギルド監査官、家庭訪問」
監査官は玄関で靴を脱いでから言った。
「……ここ、妙に生活感がありますね」
セレナがにこり。「実家なので」
ギルド監査官という職業には、冷徹で事務的なイメージがあった。
迷宮の危険度を測り、違法建築を取り締まる冷酷な役人。
俺は胃薬の準備をしながら、玄関の扉が開くのを待っていた。
キィィ、と重い木製の扉が開く。
そこに立っていたのは、神経質そうな細身の男だった。
丸眼鏡をかけ、手には分厚いバインダーと羽ペンを持っている。
仕立ての良いスーツのような服はシワ一つなく、足元は磨き上げられた革靴だ。
「冒険者ギルド、特務監査官のロイドです。未登録の異常空間について、査察に参りました」
男は冷たい声で宣言し、バインダーに目を落としたまま一歩踏み込もうとする。
「泥靴で上がらないでください」
エプロン姿のセレナが、すっと前に出た。
「……は?」
ロイドは眼鏡を押し上げ、セレナをまじまじと見つめた。
薄暗いダンジョンの入口で、純白のドレスを着た美女がエプロン姿で立ち塞がっている。
彼の事務的な脳は、この状況を処理しきれずにフリーズしたようだった。
「玄関は家の顔です。靴を脱いで、揃えてから上がってくださいね」
セレナの笑顔に、特有の圧力が混じる。
ロイドは無意識に後ずさりそうになったが、監査官としての意地が彼を踏みとどまらせた。
「ば、馬鹿なことを言うな。私はギルドの監査官だぞ。この迷宮のコアを調べ……」
「靴を、脱いでください(にこ)」
絶対零度のプレッシャー。
ロイドの膝が微かに震えた。
彼はカバンから魔力測定器を取り出そうとしていた手を止め、ゆっくりと革靴の紐を解き始めた。
「……失礼します」
監査官は促されるままに靴を脱ぎ、ご丁寧に用意されたスリッパに履き替えた。
俺は壁際で息を潜めていた。
またしても、セレナの『実家ルール』が外部の人間を屈服させた瞬間だった。
ロイドはリビングへと足を踏み入れ、周囲を見回した。
磨き上げられた木の床。
温かみのあるダイニングテーブル。
奥からは、ほうじ茶の香ばしい匂いが漂ってくる。
「……ここ、妙に生活感がありますね」
彼はバインダーに何かを書き込みながら、胡散乱な顔で呟いた。
「実家なので」
セレナが即答する。
「実家……? いや、ここは座標的に間違いなく未登録迷宮のはずだ。ダンジョンコアが欠損しているにもかかわらず、空間が拡張されている。これは由々しき異常事態……」
ロイドはメジャーを取り出し、壁の長さを測り始めた。
しかし、その動きはどこかぎこちない。
誰かの家に上がり込んで、勝手に寸法を測っているような罪悪感が彼を襲っているのがわかった。
「さあ、お茶が入りましたよ。監査でお疲れでしょう」
セレナがテーブルにお盆を置く。
湯呑みから立ち上る湯気と、お茶請けのかりんとう。
「……私は仕事中でして、そのようなもてなしは……」
「冷めないうちにどうぞ(にこ)」
ロイドは抗えなかった。
彼はスリッパを引きずりながら椅子に座り、湯呑みを両手で包み込んだ。
ズズッ、と一口すする。
「……美味しい」
「よかったです。かりんとうもどうぞ」
完全にペースを握られていた。
ロイドはかりんとうをかじりながら、ふとセレナの顔をじっと見つめた。
丸眼鏡の奥の目が、驚愕に見開かれる。
「あ、あなたは……。まさか、神殿の聖女様……?」
彼は湯呑みを取り落としそうになった。
ギルドの監査官とはいえ、国の象徴である聖女の顔を知らないはずがない。
「なぜ、聖女様がこのような未登録迷宮で、エプロン姿でお茶を……?」
ロイドの混乱は最高潮に達していた。
俺の胃痛も、ついに限界を迎えようとしている。




