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ミコト 〈番外編〉

 初めてピアノに触れた時のことは、よく覚えている。楽しくて、特別で、大切にしたかった。でもそれも段々重りに変わっていって……




 休み時間になると、教室が喧噪に包まれる。騒がしいのは嫌いじゃない、その中心に自分がいないだけ。


 やたらと強い正義感と、このド真面目な性格のせいで、友達ができたためしがない。でも性格を変えてまで、友達を作りたいとも思わなくて…だから自分を貫きとおした。そしたら自然と委員長の座についていた。


 クラスメイトの話をBGMに、次の授業の予習をする。いつもと同じ日々。

 いや、最近は少しだけ変わった。それは、レン先輩だ。

 軽音部のキーボードを担当している。眼鏡をかけた大人しめの性格だと思っていた。だが、新入生歓迎会で聞いた演奏で、彼は心の底から楽しそうにピアノを弾いていた。

 衝撃が走った。それと同時に、猛烈に羨ましくも思った。

 この人は、何て楽しそうにピアノを弾くんだろうって。私もこんな風に弾けたら、きっと先生も親も褒めてくれる。時間が経っても彼の演奏が忘れられなくて、そう思ったら自然と足が動いて、レン先輩にピアノ指導を頼み込んでいた。


 毎日の昼休みと、火木の放課後、彼はピアノを教えてくれると約束してくれた。昨日初めての指導があって、そして…私は決断をした。ピアノを楽しく弾きたい、そのために向き合うと。


 ただ、どうすればいいのか…分からない。幼い頃、ピアノが楽しいと思っていた頃…私はどんなだっただろう。どんな気持ちで弾いていたんだろう。


 すっかり予習の手は止まり、ノートに目線を落としながら、ぼんやりと考え事をしていた。



「あ、あの…ミコトちゃん」



 自分の名前を呼ばれて、反射的に顔を上げる。声のする方を見ると、可愛らしい顔立ちの女の子。クラスメイトのカノンだ。そして隣に立つのは、カノンの恋人であり同じくクラスメイトのリン。彼は軽音部でベースをやっていたはず。

 二人とも可愛らしい顔立ちをしていて、すごくお似合いのカップルだ。一年生の初めの方から付き合っているらしく、ずっと仲がいいイメージ。



「えっと…何でしょう」



 そんな二人が、自分に何の用だろう。カノンは、時々話しかけてくれるけれど、私と一緒にいるタイプではないし、そもそも彼女は誰にでも平等だから話しかけてくれているだけだ。



「あのさ、レン先輩にピアノ教えてもらってるって…ミコトちゃんのこと?」


「はい、そうです」



 ああ、そうか。同じ軽音部だから、レン先輩に話を聞いたのか。



「……ミコトさんって、レン先輩のこと…どう、思ってる?」



 リンにそう問われ、少し考え込む。これは何の確認だろう。



「えぇと…もちろん好き、ですが…」



 返事をすると、リンが顔色を変えて、焦ったように声を上げた。



「れっ、レン先輩…彼女、いるから!」


「……はぁ、そうなんですね」


「えっ…あ、…あれ?」



 気の抜けた返事をしてしまう。さっきから話しの意図が見えてこない。結局何が言いたいのか。こういうのを察せないから、私はダメなんだろう。



「ボーカルの方、ですよね。何となくそうかなぁとは思っていました」


「………」



 演奏中も、二人は視線を交わし合っていて、それは特別な仲に思わせるには十分で。特にレン先輩の視線が熱かった。



「ごめんっ、ミコトさんがレン先輩を好きだって言ったから…俺、焦って」



 リンの言葉でようやく理解した。私の言い方が悪かったのだと気づく。



「いえ、こちらこそごめんなさい。紛らわしい言い方をしてしまって。……レン先輩のことは、人として好きです。憧れで、尊敬の先輩です。それ以上でも以下でもないです」


「そっか……」



 リンが安心したように、ほっと息をついた。彼は感情が顔に出やすいんだなぁと思った。



「ミコトちゃん、良かったら友達になってくれないかな?」



 カノンの言葉に目を見開く。初めてそんなことを言われた。



「あ、俺も…」



 彼女に続けて、リンも声を出した。



「えっと…構いませんが、どうして私と?」


「レン先輩から、ミコトちゃんの話を聞いたんだ。それで仲良くなりたいなって。あと…私もピアノ弾いたりするから、ちょっと親近感が湧いて」


「俺も同じ」



 二人は多才らしい。

 私なんかが、と思ってしまうのは悪い癖だ。今まで経験がないことだったから、不安に思ってしまう。



「その…よろしくお願いします…」



 軽く頭を下げると同時に、休み時間終了のチャイムが鳴った。








 それから数日後。



「すごい…。初めて聞いた時から、全然変わってるよ」



 昼休み、いつものようにピアノ指導を受けていた私だが、レン先輩からお褒めの言葉をもらった。



「本当ですか? ありがとうございます」


「音色が楽しそう。心の変化が、あったんだね」


「はい。実は……友達ができたんです」


「そうなんだ」



 数日前、リンとカノンと友達になったこと。それから二人とよく話すようになったこと。毎日の学校が楽しくなったこと。



「それで、気づいたんです。……私、寂しかったんだって」


「……うん」


「誰にも認めてもらえなくて、学校でも一人で、それがいつも通りだって思ってました。それが私の普通なんだって。………でも、友達と話すのが楽しくて、心がふっと軽くなって…勉強もピアノも格段に楽しくなりました。……人と関わることって大切なんですね」



 レン先輩は、私の話を静かに聞いてくれた。彼は聞き役に向いていると思う。



「そっか。俺もそれは思うよ。…………俺が今もピアノを弾けるのは、ある人のおかげだから」



 レン先輩は、その人を思い出すように目を伏せた。すごく愛おしそうな表情をする。誰のことを想っているのかは、すぐに分かった。



「ピアノの練習も全然辛くなくて、そしたら先生にも変わったねって褒めてもらえて………先日親にも、最近楽しそうだねって言われました」


「当たり前かもしれないけれど、とても大切なことだよね」


「はい。先輩のおかげです。本当に感謝してます」


「俺は何もしてないよ」


「そんなことないです。…………私、親とちゃんと話しました。ピアノは次のコンクールで終わりにして、これからは趣味として楽しみたいって。二人とも頷いてくれました。コンクールも、結果は気にしなくていいって」


「そっか…良かった」


「レン先輩にお願いして、良かったです。あの時の自分の直感を信じて、本当に良かった」


「こちらこそ、貴重な経験をありがとう。俺も成長できた気がするよ。………あと少しだけど、頑張ろうね」


「はい! よろしくお願いします!」









 ピアノを楽しいと思えたのはいつぶりだろう。またそう思えるようになったことが、すごく嬉しい。それもこれも、リン、カノン、そしてレン先輩のおかげだ。





 コンクールを終えて、レン先輩の指導は終わった。短い時間だったけれど、確実に私の人生を大きく変えてくれた。


 今は先輩と廊下ですれ違っても、お互いに軽く会釈する程度だけれど、それだけで充分だ。これからも、彼のことは陰ながら応援したいと心に決めた。

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