第2話 8時間で仕事が終わる日はラッキーと考える時点で狂っていた
「おーい。今日は大雪警報が出ているからこれで仕事は終わりだ。すぐに帰宅するように」
オフィスに部長の声が木霊する。
窓の外を見ると確かに猛吹雪だ。10年に1度の寒波って言っていたっけ。10年に1度の寒波毎年来てない?
「早く帰らないと電車止まるかもしれないな」
「そうかもしれませんね」
水飼はコートに袖を通し、帰宅準備を始めている。
オフィスからどんどん社員が減っていく。
「じゃあな水飼。気を付けて帰れよ」
手を振りながら俺は椅子に深く腰を掛け、資料作成に戻った。
「って、何仕事に戻ろうとしているんですか! 帰るよう命令出されたの聞いていましたよね!?」
「いや、天気が悪いから帰るって……なんかそんなのいけない気分がして。仕事も残っているし」
「猛吹雪警報が出ているんですよ! 仕事がお休みになるのは当然じゃないですか!」
当然なのか。
『吹雪で電車が止まっただぁ!? だったらタクシーで来い! 実費でな』って言っていた元の世界の課長元気かな。元気じゃないといいな。
「この間のフルタイム2倍漬け残業の時も思いましたけど、小路さんは働き過ぎなんですよ。そんなに働いてどうするんですか? お金にでも困っているのですか?」
「うんにゃ? 前も言ったけど俺の故郷では8時間労働が基本だったんだよ」
「小路さんの話ってユニークで好きですが、さすがにそのジョークだけは面白くないですよ」
冗談と思われているか。そうだよな。この世界の基準で考えたらあまりに酷過ぎる労働環境だもんな。
「ちなみに見込み残業を含めると9時間勤務だ」
「くじ……っ!?」
「更に言うと、9時間で終われば良い方なんだ。前職では10時間、11時間と会社に拘束されるのが普通でな。しかも通勤に片道2時間かかったっけなぁ。往復で4時間ちょっと……あれ? 俺毎日13時間以上会社の為に時間使ってんじゃん。はっはっは」
「ぶくぶくぶく……」
「泡拭いて倒れてる!? 水飼! おーい水飼!」
「……はっ! 小路さんが変なこというからショックで気絶しかけたじゃないですか。冗談でも驚かせるようなこと言わないでください」
こいつ、いちいち反応が過剰だから見ていて面白いんだよな。
反応を引き出したくてついちょっといじめたくなってしまう。
「そういえば休日出勤したのに無給扱いだった日もあったっけ。あの時は今の水飼みたいに俺も泡拭いて倒れそうになったっけな。いやー、懐かしい」
「休日……出勤!? 給与未払い!? 大犯罪じゃないですか! 小路さんの前職は悪の組織の本部か何かで!?」
悪の組織ではないけど、労基から見ると悪だったんだろうなぁ。
「この会社もちょっとブラックではあるけれど、小路さんの話を聞いていたら恵まれているのかなって思えるようになりました」
その言葉を聞いて、今度は俺の方が目ん玉飛び出そうになってしまった。
「いやいやいやいや、ホワイトだから! 当社はまじホワイトだから! どの辺を見てブラックだなんて思ったの!?」
「だってうちの会社って水・土・日が休みじゃないですか。あり得ないですよ」
「その恵まれまくっている休日環境のどこに不満が!?」
「友達の会社は土・日・月が休みなんです。毎週3連休取れないなんてこの会社終わってます」
唇を尖らせながら意味不明な会社の悪口を漏らす水飼。良かった。オフィスに人残っていない。この会話が管理職に聞かれたらと思うとぞっとするぞ。
「それにお昼休憩が短すぎると思いません!? たった90分しか休憩ないってブラックを通り越して漆黒ですよ漆黒!」
何分なら黒さが取れるの? 90分ってむしろ長すぎやしませんか? 前の会社なんてお昼休憩15分だったよ?
「しかも有給申請は事後1週間以内に出さないと欠勤になるって……しんっじられない!」
「うっ……! 有給……!」
俺のトラウマを刺激するワード第1位『有給』。
嫌な思い出がよみがえり俺は頭を抱えた。
「ど、どうしたのですか!?」
「有給……有給には嫌な思い出があるんだ……!」
「は、話聞きますから、落ち着いて」
「ああ、ありがとう。水飼、有給取る時は本当に気を付けるんだぞ」
「き、気を付けるって?」
「これも前職の話なんだが、有給明けの出勤日、まず何をさせられたと思う?」
「えっ? まぁ、溜まった仕事の片付けとか?」
「——有給を取って申し訳ございませんでした」
「えっ?」
「有給を取って申し訳ございませんでした、って謝罪から始まるんだ」
「なんで!?」
なんで?
そんなの俺が休んだことで他の社員に仕事のしわ寄せがいくからだ。
だからこそ有給を取るのは悪!みたいな風潮が前の世界にはあったのだ。
「全部署への謝罪が終わったら今度は上長からの永遠と嫌味を言われる1on1が始まる。この1on1は俺が泣くまで終わらなかった……」
「気の毒過ぎます……!」
水飼は泣きながら俺の背中を摩ってきてくれた。
ああ。人の温もりって暖かいんだな。冷たい罵声から浴びる温もりって寒気しかなかったからこの優しさがとても新鮮だ。
「……今度、一緒に有給取得しましょうね。旅行にでも行って心を安らげましょう」
「ああ。絶対いこうな」
せっかくホワイトな世界にタイムリープできたんだ。
今度こそ有給にポジティブな印象を抱こう。
人生の目標がまた一つ定まった。
「……あれ? 今、俺さらっと旅行デートに誘われた?」
「さぁ~て。吹雪がひどくなる前に帰ろうかな~。小路さんお先に失礼します」
「ちょ……ちょっと待って! 俺、やっぱり仕事切り上げるから! だから旅行についての打ち合わせを——!」
会社というのは一方的な苦痛を強いられるだけの空間であると思っていた。
でもたまには少しくらい良いことだってあるのかもしれない。




