迫る影
サラはきょろきょろと辺りを見回した。待っていてと言われたものの、特に何かをするでもない。店のものには極力触れないようにしながら、店の中を少しだけ歩く。
店内はパンを並べる棚やショーケースの枠、カウンターに至るまで、赤みのあるチェリー材で統一されている。その色はこの店の女主人であるロゼッタの髪色によく似ていて、温もりに溢れていた。
初めて来る場所なのに、この空間は何故か安心出来る。サラはそれが不思議だった。
暫く店内を眺めていると、パッ、と外の通りが突然明るくなった。サラが振り返ると点灯夫が、町のガス灯に明かりを付けて回っている。
革命前はただの飾りに成り果てていたガス灯も、今では役目を取り戻して夜のラヴァンド・ド・メールを優しく照らしているのだ。
首都でも見慣れた光景ではあるが、その明かりは無機質に感じられる首都のものより、何処か温かみがある。
それもサラは不思議だった。
今度はショーウインド越しに点灯夫の仕事をじっと見ていたサラだが、ふとガス灯の下に佇む一つの影を見付けた。それを見たサラの瞳はみるみる内に暗く沈み、呼吸は浅く、辿々しいものへと変わっていく。
『帰ろうね』
カミーユの言葉を、サラは思い返していた。そして静かに下を向く。
「私の、帰る場所は……」
カランカラン、とドアベルの音が鳴った。




