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パン屋のロゼッタ


 秋の終わりが近付き、冬の始まりが顔を見せ始めた頃、日が落ちるのが早くなるのはどの街も同じだ。ラヴァンド・ド・メールの昼の眩しい程の輝きも日の傾きと共に落ち着き、海も山も町も全てがオレンジ色に染まっている。


 町は仕事終わりの人や、夕食の準備をする女性達で昼とは違う賑わいがあった。この町唯一のパン屋に人は集まり、店頭に並んだ焼きたてのパンは出しては売れ、出しては売れを繰り返している。


 その中で一際動き回り、忙しなく働く人がいた。パン屋の女主人であるロゼッタだ。


 パン職人だった夫を亡くしてからも一人で店を切り盛りし、あらゆる苦難を持ち前の気丈さで乗り越えてきた。革命後は若い職人達を新しく迎えて、彼等と共にこの町の食を今でも支えている。


 ラヴァンド・ド・メールが町としての形を保てていた理由の一端を担っているのは、この店だと言っても過言ではない。


「ロゼッタさん、もうさっきので今日のパンはお仕舞いです」


 カウンターにいるロゼッタに、若い職人が工房から顔を覗かせて言った。疲労の色を滲ませて、ふぅと息を吐くと、


「そうかい。今日も1日ご苦労だったね」


 そう言って朝から働き通しの仲間を笑顔で労う。客足も大分落ち着いた。あとは閉店まで途切れ途切れに買いに来る客を待ちながら片付けをして、明日の仕込みの準備をしていく。そして日が変われば朝から焼くパンの仕込みを始めなければならない。パン屋の一日は周りが想像するよりもずっと過酷なのだ。


「じゃあ俺達は窯の火を落として、片付けと仕込みの準備を始めちゃいますね」


「悪いね、いつも」


 ロゼッタは作業に戻った青年を見届けると、ふぅ、ともう一度息を吐いた。寄る年波には勝てない、というのは最近の彼女の口癖だ。年齢も気付けば五十を越え、限られた睡眠時間と働き詰めの日々に身も心も消耗していく。生来働き者の彼女だが、町の生命線として休みなく働けばそうなるのは当然だった。


 こんなとき夫がいれば、と何度も思った。こんなとき、あの子がいてくれたらとも。


 そうしていると、目の前の通りを母親と幼い娘が手を繋いで歩いているのが目に止まった。遠い記憶が蘇る。昔はああやって、ロゼッタも娘の手を引いて歩いたものだ。もうずっと、ずっと前の話だが。


 そんな、少しの感傷に浸っていると、カランカランと鳴るドアベルがロゼッタに来客を知らせた。


「いらっしゃい!」


 ロゼッタは普段と変わらない快活な声で客を出迎える。見覚えのある男の来店に、ロゼッタはレジカウンターから表へと出てきた。


「カミーユじゃないか!久し振りだね!」


 やって来た客というのはカミーユだった。後ろにはサラもいる。


「あらまぁ、美人さんを連れて来店とはアンタも隅に置けないねぇ。もしかして彼女さんかい?」


「あはは、もしそうなら町中自慢して歩くんだけどね。残念ながら違うよ。ちょっとレーヴのところに用があって来たんだ」


「そうなのかい」


 ロゼッタは少し残念そうにする。色恋に敏感なのは彼女の性分だ。彼女自身が今は亡き夫と恋愛結婚だったこともあって、身近な人間のそういった話にはつい口を出したくなる。


「それで?レーヴへの用は済んだのかい?」


 ロゼッタは自ら話を切り替えた。


「まぁ、粗方はね。最後は結局了承するくせに、ちゃんと納得しないと折れないのは昔から変わらないんだから」


「また頼み事かい?いつものことだね」


 意地悪に笑ってみせるカミーユは、ふとカミーユの後ろにいる少女と目が合った。人形のような少女だと、ロゼッタは思う。目は真ん丸として、こちらをじっと見つめている。その様子は人形というより、幼い子供か子猫のようだ。


「ほら、ご挨拶して」


「……サラです」


 促されて、少女は一歩前へ出ると小さなお辞儀と共に名乗る。まるで鈴を転がしたような澄んだ美しい声だ。


「アタシはロゼッタだよ。このパン屋の女主人さ。よろしくね、サラ」


 差し出された手は分厚く逞しく、働き者の手をしていた。サラは少し戸惑いながらもその手をぎゅっと握り返して、二人は握手を交わす。


「……よろしくお願いします」


 細く白い陶器のような手は傷一つない。その手を見てロゼッタは思った。この子は他とは違うんだと。


「それでさ、ロゼッタさん。少しだけ話出来ないかな?ロゼッタさんにもお願いしたいことがあるんだよね」


「それは構わないけど……」


 チラリと目の前の少女を見る。


「少し奥で話すかい?勿論、客が来たら話は中断するけど。今なら客もあまり来ないし」


 もしかしたら彼女の前ではしにくい話かもしれないと、気を遣っての言葉だった。


「ありがとう。じゃあそうしようかな」


 カミーユがそう言って振り返ると、サラは店に並ぶパンに熱い視線を送っていた。閉店の時間も近く、もうあまり残ってはいないもののどれも美味しそうだ。この町への移動中に少し軽食を摂っただけだったので、お腹も当然空いている。


「サラちゃん、ごめんね。少しだけロゼッタさんとお話してくるから、待っててくれる?その後は夕飯用のパンを買って帰ろうね」


 サラはコクリと頷いた。


「じゃあ、此処で少し待っててね」


 カミーユとロゼッタはそうして、店の奥へと消えた。



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