第四十三話 二人の距離と動き出す心
約束の待ち合わせ場所に現れた亮。
ヨリはいつものように、品が良く洗練された装いに身を包んでいた。
けれど、今日二人が訪れた行き先は――ヨリが普段からよく利用しているという郊外のショッピングモールだった。
キラキラとした高級ブランドが立ち並ぶような場所ではない、どこか親しみやすい空間。
亮は少し意外そうに、周りを見回しながら口を開く。
「ここ……ヨリさん、よく来られるんですか?」
ヨリは小さく微笑んだ。
「はい。昔から馴染みがあって……たまに来るんです」
本当は――。
亮と一緒に並んで歩くなら、背伸びをさせないこんな場所が良い。そう思ってヨリが選んだ場所だった。
亮の服装や普段の生活を知っているからこそ、気後れするような高級すぎる店にはしたくなかったのだ。
その細やかな気遣いに、亮はふと気づく。
「……ありがとうございます」
「何がですか?」
「いえ……なんとなく、です」
ヨリは可愛らしく少し首を傾げた。
二人並んでモールの中を歩く。
亮はふと、隣を歩くヨリの姿に目をやった。
彼女がいつも自然に身につけている服や時計、さりげないアクセサリー。一目見れば、自分のような人間には簡単には手が届かない上質なものだと分かる。
彼女は、財閥の令嬢。
本来なら、自分とは住む世界があまりにも違いすぎる存在だ。
それなのに――。
今日は自分が気負わずにいられるよう、こんなにも温かな場所を選んでくれた。
その優しさが、どうしようもなく愛おしく、嬉しかった。
亮の胸が、トクンと深く高鳴る。
(……なんやろ、この感じ……)
隣を見る。
ヨリが楽しそうにショップのディスプレイを眺めている。その綺麗な横顔。
ふと振り向いたヨリと、バッチリと視線がぶつかり合った。
ヨリが、ふわりと柔らかく笑う。
その瞬間――。
亮の胸が、はっきりと大きく跳ね上がった。
亮は自分でも、その動揺に戸惑いを隠せない。
(……ソヨン)
心の中で、亡き妻の名前を呼ぶ。
(俺……こんな気持ちになってええんか……?)
17年間。
ソヨンを忘れたことなど、ただの一度もない。
自分はもう一生、愛菜を守ることだけを考えて生きていくのだと思っていた。
「恋」なんて感情は、自分にはもう一生無縁なものだと諦めていた。
なのに――。
目の前で無邪気に笑うヨリが、どうしようもなく愛おしい。
彼女が笑ってくれていることが、たまらなく嬉しい。
こうして隣に並んで歩いている時間が、心地よくて手放したくない。
亮は動揺を隠すように、少しだけ視線を泳がせた。
一方のヨリもまた――。
自分の胸の激しい鼓動に、戸惑いを隠せずにいた。
亮と肩を並べて歩く。
歩調が揃い、ふとした拍子に肩が触れそうになる。
たったそれだけの距離感が、胸が痛くなるほど愛おしく、嬉しい。
誕生日プレゼントを宝探しのように選びながら、
「これ、愛菜が好きそうですね」
と無邪気に笑う亮。
その少年のような温かな笑顔を見るだけで、また胸が高鳴ってしまう。
ヨリはそっと、隣の亮の横顔を見つめた。
(愛おしい……)
そんな素直な言葉が、脳裏を支配していく。
ヨリはハッとして、慌てて視線を逸らした。
(……私、どうしてしまったんだろう……)
でも――。
もう自分の心に嘘はつけなかった。
会いたかった。
ずっと、この人の隣にいたかった。
そして今、こうして二人で並んでいられることが、泣きたいほど嬉しい。
その時、亮がふとヨリに声をかけた。
「ヨリさん」
「はい?」
「愛菜……何が一番喜ぶと思いますか?」
ヨリは少し考えて――楽しそうに笑った。
「ふふ……きっと、亮さんが選んでくれたものなら、何であっても嬉しいと思いますよ」
亮も思わず照れくさそうに笑う。
「そうでしょうか」
ふっと、二人の目が正面から合った。
今度は――。
どちらも、すぐには目を逸らさなかった。
ほんの数秒間。
けれど二人にとっては、まるで時が止まったかのように長い長い愛おしい時間。
まだ二人とも、その感情を言葉には出さない。
けれど――。
もう二人は、ただの「知り合い」でも「協力者」でもなかった。
溢れ出す想いとともに、二人の心は確実に、もう戻れないほど強く動き始めていた――。
【ショッピングモール・衣料品エリア】
プレゼントを探しながら、亮は店内をうろうろと見回していた。
女の子向けの可愛らしいアクセサリー、色鮮やかなバッグ、お洒落なコスメ用品。
どれを手に取ってみても――。
(……ほんま、さっぱり分からんなぁ……)
困り果てた亮の様子に、ヨリが思わずクスクスと声を立てて笑った。
「?…」
「いや……こういうの、俺には本当に難しくて」
亮は困惑したように後頭部をポリポリと掻く。
(愛菜が喜ぶもんって、ほんまは何なんやろなぁ……)
胸の中で呟く亮に、ヨリが優しく微笑みかけた。
「愛菜さんなら、亮さんが選んだものなら何をもらっても喜ぶと思いますよ」
「それは分かっているんですけど……」
亮は少し思案するように間を置いてから、思い切ったようにヨリを見た。
「……洋服も、見てもらってもいいですか?」
「服……ですか?」
「はい」
亮は少し照れくさそうに、恥ずかしそうに笑う。
「愛菜がヨリさんたちとお出かけするようになってから、ふと思ったんですけれど……。あいつ、よそ行きの服をあんまり持っていないみたいで」
ヨリは意外な言葉に、パチクリと少し目を丸くした。
「まぁ……俺も似たようなものですけれどね」
自分の無頓着さを認める亮に、ヨリの唇から笑みが零れ落ちる。
「ふふっ」
「あ、笑わないでくださいよ」
「すみません……でも、本当に亮さんらしいなと思って」
ヨリの温かな笑声に、亮はすっと少し真面目な表情を作ってみせた。
「ヨリさん……愛菜の服、選んでもらえませんか?」
「私が……ですか?」
「はい」
少し照れながらも、まっすぐにヨリを見つめて、
「ヨリさん、服を選ぶのがすごくお上手だから」
ヨリは一瞬、息を呑んで言葉を失った。
自分のファッションセンスや身だしなみを褒められること自体は、これまでの人生で珍しいことではなかった。
けれど――。
亮からまっすぐにそう言われると、どうしてこんなにも胸の奥が熱く、嬉しくなるのだろう。
「……分かりました」
ヨリの頬が、自然とパッと華やぐようにほころんだ。
「愛菜ちゃんに一番似合うもの、一緒に探しましょう」
そこから、ヨリのプロのスイッチが本格的に入った。
店内を真剣な目で見渡し、一着の服を手に取っては、
「これは違いますね」
「どうしてですか?」
「愛菜さんには、少し大人っぽすぎます」
すぐに次の服へと手を伸ばす。
「これは……すごく可愛いですけれど、愛菜さんならこちらの明るい色の方が似合いますね」
次々とテキパキと服を吟味していくヨリの横顔に、亮は完全についていけない。
「……ヨリさん」
「はい?」
「俺、今めちゃくちゃ頼もしい方と一緒に買い物している気がします」
ヨリが楽しそうに悪戯っぽく笑った。
「ふふ、今頃気づいたんですか?」
「はい。もっと早くにお願いすればよかったです」
二人で顔を見合わせ、自然と笑いが弾けた。
そして亮はふと、隣で服を合わせているヨリの姿をじっと見つめた。
(……こんなに楽しそうなヨリさん、初めて見たかもしれないな)
会社で陣頭指揮を執っている時の、隙のない完璧な令嬢としてのヨリとも違う。
誰かを警戒し、怯えていた時のヨリとも違う。
ただ一人の、年相応の魅力的な女性として――。
楽しそうに愛菜の服を選んでくれている。
亮の胸が、またトクンと温かく高鳴った。
そしてヨリもまた――。
ただ「愛菜さんのため」という理由だけでなく、こうして亮と一緒に笑い合い、同じ時間を過ごせていることがどうしようもなく嬉しかった。
その愛おしい感情を、ヨリはもう心の中で否定しなかった――。




