「それはちょっと」と言っただけなのに、王国の鑑定魔法が『権限不足』になった
エリスの説明がどこまで膨らんだのかは、ひとまず考えないことにした。航一郎が向かいへ視線を戻すと、第三騎士団隊長のディルク・グランツが、いかにも困ったような顔でこちらを見ていた。
「改めて、第三騎士団隊長のディルク・グランツです。部下のエリスを救っていただいたことについては、まず礼を申し上げます。ただ、その上でいくつか確認させていただきたい。私はこの部隊を預かる立場ですので」
「まあ、それはそうですよね」
至極まともな話だった。突然、見たこともない服を着た男が部隊の野営地へやって来たのだから、身元くらい聞かれて当然だと航一郎も思う。ディルクは少し言葉を選んでから、最初の質問を口にした。
「まず、コウイチロウ殿はどちらから来られたのでしょうか。この周辺の出身ではありませんよね?」
航一郎は口を開きかけ、そこで止まった。日本、と答えるだけなら簡単だ。しかし日本がどこにあるのかと聞かれれば、今度は地球から説明しなければならない。この世界までどうやって来たのかと続けば、自分にも分からない。
「いや、それは……ちょっと説明が難しいというか」
その瞬間、隣に立っていたエリスの空気が変わった。
「隊長。それ以上はお控えください」
「出身地を尋ねただけだが」
「コウイチロウ様がお答えになりたくないのであれば、それ以上聞く必要はありません。この御方を、間者か犯罪者のように取り調べるおつもりですか?」
声を荒らげてはいない。それでも、先ほどまでの柔らかさは完全に消えていた。航一郎は慌てて片手を上げ、エリスを止める。
「エリス、別にそこまでじゃないから。普通に聞かれてるだけだろ」
「コウイチロウ様がそう仰るのであれば」
エリスは一歩引いたものの、納得したわけではないらしい。ディルクを見る目には明らかな警戒が残っていたが、今度はそれ以上口を挟まなかった。
「では、答えられる範囲で結構です。所属する国、あるいは組織はありますか?」
「国はあります。組織っていうなら、会社に勤めてました」
「会社?」
聞き慣れない言葉だったらしく、ディルクが首を傾げた。航一郎は少し考えてから、なるべく簡単に説明する。
「働くところです。まあ、組織ですね。軍とかじゃないです」
少なくとも、毎晩終電まで働くことと戦場に出ることは別物だと思いたい。
その後もディルクは、どうやって森へ来たのか、この国へ来た目的は何なのかと尋ねた。しかし航一郎が答えられることは少なく、結局「家で寝たはずなのに、起きたら森にいた」というところから一歩も進まない。
「では、今望んでいることは?」
「とりあえず寝たいです」
ディルクが一瞬黙り、隣のエリスだけが深く頷いた。
「やはり、まず休息を優先すべきです」
「エリス、今は身元を確認している」
「ですが、コウイチロウ様はお疲れです」
また始まりそうになったので、航一郎は先に片手を上げた。
「大丈夫だから。聞かれること自体は別にいいよ。ただ、あんまり細かいところまで根掘り葉掘り聞かれるのはちょっとな。説明するのも大変だし」
《承知しました、ご主人様》
頭の中でARIが答えた。航一郎は一瞬だけ眉を寄せる。
「……何を承知した?」
返事はなかった。「おい?」と呼びかけると、少し間を置いて《処理中です、ご主人様》とだけ返ってきた。それ以上は何も教えてくれない。
航一郎は嫌な感じがしたものの、ここでARIと会話を始めても説明が増えるだけだ。ひとまず放っておくことにした。
ディルクも、航一郎が誰もいない場所へ話しかけたことには触れなかった。すでにエリスから、その件についても聞いているのだろう。
「口頭で答えにくいのであれば、別の方法があります」
ディルクがそう言うと、天幕の入口から一人の騎士が入ってきた。両手で抱えているのは、銀色の台座に透明な水晶をはめ込んだ魔導具で、水晶の周囲には細かな魔法陣が幾重にも刻まれている。
「王国軍で使用している身元鑑定用の魔導具です。対象へ鑑定魔法をかけ、氏名、種族、所属、魔力反応など、基本的な情報を確認できます。すべてを話していただく必要はありませんが、少なくとも危険な偽装がないことだけ確認したい」
航一郎は魔導具を見た。言っていることは妥当だったし、口で説明するよりこちらの方が早いなら助かる。
「それくらいならいいですよ」
エリスが何か言いたそうにしたが、今度は黙っていた。ただし航一郎のすぐ横へ立つ位置だけは変えない。
ディルクが魔導具へ魔力を流すと、水晶の内部に青白い光が満ち、床へ円形の魔法陣が広がった。
「そのまま動かないでください。痛みはありません」
「はい」
魔法陣から伸びた光が航一郎の身体を包み、水晶の中に文字が浮かび始める。
《対象情報を取得――》
その直後だった。
水晶の光が激しく揺れ、浮かびかけていた文字が崩れた。魔法陣そのものは消えていないのに、鑑定結果だけが途中で押し潰されたように消えていく。
代わりに、水晶の中央へ見慣れない文字が浮かび上がった。
《ACCESS DENIED》
天幕の中が静まり返った。航一郎も水晶を見つめたまま、思わず「……は?」と漏らした。
「今の表示は何だ」
ディルクが魔導具へ近づく。持ってきた騎士も青ざめており、「分かりません。こんな表示は見たことがありません」と答えた。
念のため別の騎士を対象にすると、水晶にはすぐ氏名や所属、魔力量が表示された。しかし再び航一郎へ向けた途端、青白い光は途中で弾かれ、同じ文字が浮かび上がる。
《ACCESS DENIED》
「ARI」
航一郎は低い声で呼んだ。
《はい、ご主人様》
「何した?」
《ご主人様のプライバシー保護要求に基づき、未承認の外部情報照会を遮断しました》
航一郎は数秒黙った。
「……さっきの『根掘り葉掘り聞かれるのはちょっと』ってやつ?」
《はい。ご主人様の意思を尊重し、個人属性情報を保護対象へ分類しました》
「そこまでしろとは言ってない」
ARIから返ってきたのは、《承知しました、ご主人様》だけだった。何を承知したのか確認すると余計なことが起きそうなので、航一郎はそれ以上聞かなかった。
ディルクが、水晶と航一郎を交互に見る。
「今の現象は、あなたにしか聞こえない存在が?」
「たぶんそうです。俺が細かく聞かれるのはちょっと嫌だって言ったら、勝手に情報を見られないようにしたみたいで」
「……勝手に」
ディルクは何か言いたそうだったが、ひとまず目の前の現象を検証する方を優先した。
「通常の鑑定魔法が拒絶されること自体は、あり得ないわけではありません。高位の認識阻害や鑑定妨害の術式を持つ者もいます。ただし、通常なら鑑定結果が乱れるか、取得不能になるだけです」
そこまで言って、ディルクは水晶に残る見慣れない文字を見た。
「魔導具そのものの表示が、未知の文字へ書き換わることはありません」
航一郎は、さっきまで感じていた「まあ珍しいだけだろう」という安心をそっと捨てた。
ディルクは水晶の側面へ手を置く。
「隊長権限で再照会します。一般兵が使える鑑定よりも上位の権限です」
「いや、そこまでしなくても」
「ここまで来れば、むしろ確認する必要があります」
水晶の周囲に刻まれた魔法陣の一部が強く輝いた。先ほどより濃い光が航一郎を包み、鑑定魔法が再び情報へ触れようとする。
一瞬だけ王国文字が浮かんだ。
その上から、別の文字列が重なる。
《INSUFFICIENT PRIVILEGES》
ディルクの手が止まった。
「……何だと」
先ほどまで様子を見ていた騎士たちの空気まで変わる。航一郎は頭の中でARIへ問いかけた。
「今度は何?」
《照会元の権限レベルを確認しましたが、ご主人様の保護情報へアクセスする権限を満たしていません》
「隊長なんだけど」
《承知しています》
そこまで分かっていて弾いたらしい。
ディルクは表示を見つめたまま、低い声で呟く。
「この魔導具が、私の権限を不足と判定した……?」
そこでエリスが初めて口を開いた。
「当然です」
ディルクがゆっくり振り向く。
「何が当然なんだ」
「コウイチロウ様がお許しになっていないのであれば、隊長の権限で見られないのは当然かと」
「お前は少し黙っていろ」
エリスは不満そうだったが、それ以上は言わなかった。航一郎としても、今回はディルクに同意したかった。
ディルクは水晶へ視線を戻し、今度は側面に刻まれた王家の紋章へ指を触れる。
「この鑑定魔導具は、必要に応じて王都の上位認証へ照会を上げることができます。軍内部でも、ごく限られた場面でしか使いません」
航一郎は嫌な予感がした。
「それ、やらなくてもいいんじゃないですか?」
「申し訳ありません。しかし、第三騎士団隊長の権限そのものが拒絶された以上、確認せずに終えるわけにはいきません」
ディルクが魔力を流し込むと、王家の紋章から金色の光が広がった。青白かった魔法陣が別物へ変わり、天幕の床一面へ複雑な術式が展開される。
水晶の奥でいくつもの文字列が高速で流れ始め、やがて鑑定魔法がもう一度航一郎へ触れた。
《上位認証――》
王国側の文字が一瞬だけ浮かぶ。
次の瞬間、それが消えた。
水晶そのものが一度真っ暗になり、中央へ一行だけ文字が現れる。
《ACCESS REJECTED》
誰も喋らなかった。
数秒経っても、ディルクは水晶から目を離さない。やがて何かに気づいたように、小さく呟く。
「……違う」
「何がです?」
「これは鑑定を妨害しているんじゃない」
ディルクはゆっくりと航一郎へ視線を移した。その顔からは、先ほどまで残っていた疑念が消えている。
「こちらの権限そのものを確認し、その上で『足りない』と判断している。しかも、王国軍の鑑定魔導具へ直接、拒否結果を書き込んでいる」
航一郎は水晶を見た。言われてみれば、かなり変なことをしている気がしてきた。
エリスは隣で、当然だと言わんばかりの顔をしている。
ディルクは再び水晶へ視線を戻した。
「隊長権限でも駄目。王都側の上位認証でも駄目。それでも、コウイチロウ殿本人が許可すれば見られるのですか?」
「ARI、どうなの?」
《はい。ご主人様による明示許可を最上位承認として扱います》
「……らしいです」
ディルクは黙った。
航一郎には、単なるアクセス制御にしか思えない。本人の許可が一番強い。個人情報なら、それくらい普通ではないかと思う。
だが、ディルクたちの顔を見る限り、こちらの世界ではまったく普通ではないらしい。
「じゃあ、出身地くらいならいいよ。日本ってところから来た。それだけ公開して」
《承知しました、ご主人様》
水晶が淡く光り、今度は王国文字に混じって一つだけ情報が表示された。
《出身地:日本》
その下に並んだ項目は、すべて灰色に塗り潰されている。
《非公開》
《非公開》
《非公開》
「いちいち細かいな……」
航一郎が呟いても、ARIから返事はなかった。
ディルクはしばらく表示を見つめたあと、静かに鑑定魔導具の蓋を閉じる。
「分かりました。これ以上の身元確認は行いません」
「助かります」
航一郎がほっとしたのも束の間、ディルクは姿勢を正した。
「ただし、コウイチロウ殿については、私一人の判断で扱える範囲を明らかに超えました。この件は極秘扱いとし、王都へ緊急報告を上げます」
航一郎は額を押さえた。
「……なんでそうなるんですか」
ただ、面倒な説明をしたくなかっただけなのに。




