リターンボックス
深夜、街のメインストリートから一本入った路地裏。そこには、ライフ・ベンダー社が設置した巨大な筐体の「背面」が、闇に溶け込むように鎮座している。表側の華やかなLEDパネルが放つ光とは対照的に、裏側は無機質な「リターン・ボックス」の投函口が、まるで獲物を待つ黒い口のように開いていた。
今夜もそこには、奇妙な行列ができていた。
「これ、もっと大人しい性格設定にしたはずなんだけどな。夜泣きがひどくて、僕の作曲活動に響くんだ」
そう毒づくのは、時代を象徴する音楽家だ。足元のブランド物のキャリーケースには、数日前に「購入」したはずの赤ん坊が、型落ちの楽器のように詰め込まれている。
「しかも、絶対音感のオプションを盛ったせいか、僕の演奏にまでダメ出しするような目をするんだ。期待通りの機能のはずなのに、完璧すぎて可愛げがない。結局、計算通りの反応しか返さない人形を飼っているのと変わらないんだよ。 集中力を削ぐノイズは、僕の人生には必要ない」
その隣には、若くスタイリッシュなカップルの姿があった。彼らは、通りの向こう側を歩く、不自然に腹部の膨らんだ女性を忌々しげに指差した。
「見ろよ、あんな前時代的な『天然もの』を抱えて。遺伝子のスクリーニングも受けていない不確定要素を社会に垂れ流すなんて、野蛮だと思わないか?」
「本当。自然妊娠なんて、今時、管理能力のない下層民のすることよね。あんな不潔で無責任なギャンブル、私なら耐えられないわ」
彼らにとって、この列に並ぶことは「リスク管理」の結果であり、失敗した買い物の返品と同義だった。
「やっぱり、皮膚の色がリビングの照明の下だと少しイメージと違ったよね。インテリアから浮いちゃうっていうか」
「やっぱり『プラチナ・フェアリー』じゃなくて、温かみのある『ハニー・ベージュ』にアップグレードし直すべきだったかな。次は知能指数を少し下げて、もっと『愛玩用』に特化させよう。個性が強すぎると、結局こっちのライフスタイルを邪魔するだけだしね」
システムのあまりの「利便性の良さ」が、彼らの倫理観を磨耗させ、罪悪感を完全に麻痺させていた。
「気に入らなければ、また注文し直せばいい」
そんな傲慢さが、現代のスタンダードだった。彼らにとって生命とは、納得いくまで調整を繰り返すべき「ライフスタイルの一部」に過ぎない。
列が進むたびに聞こえる、カプセルが吸い込まれる機械音。それは、一度は「聖域」に招かれたはずの命が、再び「在庫」という名の無機質なデータへと格下げされる、冷たい処刑の音であった。




