理想の赤ちゃん
深夜2時、住宅街の片隅で、その自販機は神々しいまでの白色LEDを放っていた。
「……本当に、これでいいのよね?」
里奈が震える指先を操作パネルに向ける。夫の和樹は、彼女の肩を強く抱き寄せた。
「ああ。5年も不妊治療で心も体も削ってきたんだ。もう十分頑張ったよ。これからは『選ぶ』時代なんだ」
二人の目の前にあるのは、ライフ・ベンダー社製の最新モデル『LB-09』。通称、赤ちゃん自販機。
かつては倫理観がどうのと騒がれていたが、出生率が0.2を下回った今、これは救済の象徴だ。
【カスタマイズ画面】
和樹が慣れた手つきでタッチパネルをスライドさせていく。
外見パッケージ: 「北欧系ミックス・ドールフェイス」
知能指数(想定値): 「IQ 130以上(ブースト処置)」
性格傾向: 「従順」「社交的」「情緒安定」
泣き声設定: 「α波共鳴・ヒーリングボイス」
「よし、これで完璧だ。僕たちの遺伝子の悪いところを全部削ぎ落とした、最高の『娘』になる」
和樹が決済端末にデバイスをかざす。8,500,000円。
35年ローンの承認を知らせる電子音が、静かな夜の空気に無機質に響いた。
48時間後。
指定された時間に自販機の前に立つと、重厚なハッチが静かにスライドした。
中から滑り出してきたのは、淡いピンク色の液体に満たされた「育成カプセル」。
「おめでとうございます。良質な個体です」
合成音声が祝福を述べる。カプセルの蓋が開くと、そこには透き通るような白い肌をした、彫刻のように美しい赤ん坊が眠っていた。
「……可愛い。ねえ、和樹、見て。私たちが欲しかったのは、きっとこの子よ」
里奈は涙を流しながら、温かい「商品」を抱き上げた。名前は「アリス」と決めていた。家の中は、最高級のベビー服と、最新の育児ロボットで完璧に整えられている。ようやく、彼らの「理想の家庭」が完成したはずだった。
一週間後。リビングでアリスをあやしていた里奈の手が、ふと止まった。
「……ねえ、和樹。ちょっと来て」
仕事中の和樹が怪訝な顔でリビングにやってくる。
「どうしたんだい? アリスの知能発育テストは順調なんだろう?」
「そうじゃなくて。声よ」
里奈はアリスの頬を軽くつねった。アリスが「エーン、エーン」と泣き始める。
「……。何が変なんだ?」
「設定では、『1/fゆらぎを含んだ癒やし音』のはずでしょう? でも、今の泣き声の語尾、聞いた? ほんの少しだけ、金属が擦れるような、不快な音が混ざってる気がするの」
和樹は耳を澄ませたが、首を振った。
「気にしすぎだよ。最新のバイオ技術だって、多少の個体差はあるだろ」
「いいえ。私は『最高ランク』の料金を払ったの。誤差なんて許されないわ。それに……」
里奈は、アリスの真っ青な瞳をじっと見つめた。
「この子、私が右に動いても、左に動いても、ずっと同じ角度で私を見てる。まるで、焦点を合わせるのをサボっている機械みたいに」
里奈の背中に、冷たい汗が伝う。
完璧なはずの「商品」に感じた、わずか数ヘルツのノイズ。
その時、リビングの隅にあるカレンダーが目に入った。
『リターン・ボックス:無償返却期限まで、あと24時間』
「ねえ、和樹。もう一度、スロットを回し直すべきじゃないかしら?」
里奈の声は、もう母親のそれではなく、不良品を検品する顧客のトーンに変わっていた。




