23◇Lucia
「あ、また来てるよ、ジャックさん」
ナタリーが窓の外を見てルーシャに伝えてくれた。ルーシャも窓辺に立つと、ジャックが木陰に立っているのがわかった。
向こうもルーシャに気づいたので手を振ってみた。そうしたら、ジャックも手を振り返した。その笑顔に、道行く人が皆振り返って見惚れている。
「どうしたのかしらね?」
誰かと待ち合わせだろうか。
そう思ったけれど、ナタリーが首をかしげながらつぶやいた。
「ルーシャのことを待ってるんじゃないの?」
「私を?」
もしかすると、祖母の代わりにルーシャに話を聞いてほしいのだろうか。聞くのはいいが、研究の話だったら難しくてついていけないかもしれない。ジャックが何の研究をしているのかは知らないけれど。
そんなことを考えていると、ナタリーがルーシャの顔を覗き込んだ。
「ジャックさんは素敵だけど、ブラッドさんもカッコいいよね」
「えっ」
そこでブラッドの名前が出てきたので、ルーシャは目を瞬かせた。ナタリーがそういうことを言うのは珍しい。
ナタリーはいつも隠れてしまってブラッドと口を利いたこともないが、どこかから見ているらしい。ニコニコと笑っていた。
「ルーシャのことを護って、騎士様みたい」
「そうねぇ」
番犬より騎士の方が本人も喜ぶだろうと思ったら可笑しかった。
ブラッドは契約が履行されている限りはルーシャを優先して護ってくれる。
けれどもし、レーンが仄めかしたような特別な女性がいたとしたらどうなのだろう。プライベートではルーシャよりも彼女を優先するのか。
彼女には一ヶ月の辛抱だと言ってきたのだとしたら。
そんな相手がいるのに、別の女と同居するような仕事を引き受けるのはいいのかと首をかしげたくなる。
間違っても浮気はしないとレーンが言うほどだから、彼女もブラッドを信じているのか。
ルーシャは色気が足りない。そこは自覚している。
だからといって安心されても癪だが。
――どんな女性なんだろう。
そして、ブラッドはどんなふうに接するのだろう。
それを考えたら、針で手を突いた。
◆
「ルーシャさん、こんにちは!」
店に入ってくるなり元気よく挨拶してくれたのは、メイドのアビーだった。この時はルーシャもたまたま接客を手伝っていた。
もしかするとアビーは、一階にルーシャの姿が見えたから中へ入ってきたのだろうか。
今日は仕事が休みらしく、私服だ。ベージュのワンピースで、飾り気がない。できれば装飾品をつけ足したいなと思った。
「アビーさん、いらっしゃい」
にこやかに迎え入れると、アビーは嬉しそうに笑った。
「服はもう少しお金が貯まらないと難しいけど、小物なら買えると思うの」
小物は少しだけ扱っている。
帽子、カチューシャ、コサージュ、小さめのバッグ、サテンの靴――。
「ありがとうございます。ええと――こちらの棚です」
ルーシャが案内すると、アビーはニコニコと笑顔で言った。
「あたし、あれから何回もここを通りかかっていたの。ルーシャさんのことも見かけたけど、男の人と一緒だったから声をかけづらくて」
ブラッドのことだ。
ルーシャが即答しなかったら、アビーは店先の小物以上に食いついた。
「親しそうだったし、恋人?」
ここで、そうですとさえ言えればそれで済むのに、それが言えないルーシャだった。
「いえ……知人です」
そうしたら、アビーはさらに好奇心を掻き立てられたらしい。
「あ、わかった! もう一人、すっごい美形な男の人が近くで待ってるわよね。あっちが本命?」
ジャックか。
「……違います」
こういう会話に慣れないルーシャは気が遠くなりそうだった。しかし、メイドであるアビーは噂話が大好物らしい。
「えー、じゃああの綺麗な人は誰?」
「亡くなった祖母の知り合いで、弔問に来てくれました」
「そうなの? 本命は他に?」
「違います。――ああ、これなんかいかがでしょう?」
ルーシャはチェックの花のコサージュを手に取って見せた。
あまりエレガントすぎるとアビーの服と合わずに浮いてしまうので、可愛い感じのものを選んだ。話の流れを変えたい一心で。
「あ! 可愛い!」
アビーは年頃の娘らしくコロコロと表情を変えた。
「お値段も手頃だし、よさそう」
ルーシャはほっと内心で胸を撫で下ろした。
会計を済ませ、外まで見送りに出ると、アビーはウフフと笑って言う。
「どっちか余った方でいいから紹介してね。待ってる」
「…………ありがとうございました」
悪い子ではないが、スキップをしながら去っていく背中を見送る時には解放感を覚えた。
ああいうノリが多分普通で、ルーシャが古風――嫌な言い方をするとババ臭いのだ。わかってはいるが、馴染めないのだった。
◆
そして、ナタリーの推測は当たっていた。ジャックはルーシャに用があったらしい。
閉店するなり店にやってきたのだ。
「そ、その、実はお話があって……」
照れながら言いにくそうにしている。レーンは明らかに面白がっていた。
「ここで話せないことかしら?」
こくりとうなずいている。
「おばあちゃんのことですか?」
「半分は……」
半分そうらしい。
それなら気になる。
「店長、ちょっとジャックさんと散歩しながら話してきますね。ブラッドが来たらすぐ戻るって伝えてください」
しかし、レーンはいいと言わなかった。
「駄目よ。それなら二階を使えばいいから」
「わかりました」
あれからもうあの魔術師は出てこない。ブラッドに斬りつけられて懲りたのだと思いたい。
それでもレーンは心配性だ。
「ジャックさん、こっちです」
仕事部屋へ案内すると、ジャックはおずおずとついてきた。ナタリーは自分の部屋に引っ込んだのか、すでにいない。
扉を開けると、ジャックが眩しそうに目を細めた。
「ここがルーシャさんの仕事部屋なんですね」
「そうです。ナタリーっていう子と二人で作業してるんです」
椅子を運び、糸くずをササッと払った机を挟んで座った。向かい合うと、ジャックはやはりとても言いにくそうにしていた。
「それで、お話って?」
「はい、あなたに謝らないといけなくて」
「謝る?」
何かをされた覚えもないルーシャは首を傾げた。
ジャックは耳まで赤くして一生懸命まくし立てる。
「ウェズリーさんが亡くなったと知ってから、ずっとあなたに声をかけようとしていたんですけど、なかなかできなくて……」
この性格ならそうだろうなとルーシャは納得した。
うんうん、とうなずきながら話の先を待つ。
「そうこうしているうちに、知らない男があなたの周りをうろつき始めて、あなたはほとんど一人で外出することがなくなっていました」
「え、ええ」
「あの日、やっとあなたは彼を引き連れずに出歩いていて」
「あの日……」
「声をかけようとしたんですけど、心の準備ができなくて、ルーシャさんは急いで走っているし、まごついてしまって、それで、つい――」
ジャックはしょんぼりと肩を落としたが、ルーシャは軽く混乱していた。
あの日というのは――。
「ちょっと足を止めてもらいたかっただけなんですけど、ルーシャさんはとても驚いて悲鳴を上げて気を失ってしまいました。本当にすみませんでした」
「…………」
多分、人生で一番、〈絶句〉というものを体感した瞬間だった。
ただ、目の前のジャックはしょげればしょげるほど憐れを誘う様子でキラキラしている。
ルーシャは衝撃から立ち直った。
「あ、あの、黒尽くめのっ?」
「あのローブは印象がよくないと気づいて、あれから羽織らないようにしてます」
あんな恰好をしていたら怪しまれるに決まっている。
「ジャックさんって、魔術使えるんですか? じゃあ、貴族?」
この質問をした時だけ、ジャックは冷静さを取り戻したように見えた。
「貴族ではありませんが、先祖のどこかにはそういう血もあったのかもしれません。血統を立証するものは何もないのでわかりませんが。魔術は独自の方法で扱えます。それが僕の研究テーマなんです」
「研究ですか?」
「ええ、例えば――」
おどおどしていたジャックは、急に背筋を伸ばし、窓に向けて手を翳した。ぶわん、と空気が振動したような感覚だけルーシャにも伝わった。
ジャックの手元に窓辺に飾ってあった小さな鉢植えが吸い寄せられる。宙を舞った鉢植えを、ジャックがキャッチした。
「――と、僕は土の精霊と相性がよいのです。土がついたものなら引き寄せられます」
ルーシャの足が公園に引き寄せられたのは、靴底に土がついていたからなのだろうか。あの時はパニックになって何も考えられなかったから、靴を脱ぐなんて発想はなかったが。
――変質者、ではなかった。
ただの内気でちょっと変わった人だった。種明かしをされると肩透かしだ。
やっぱりルーシャにはつけ狙われるような魅力はないということかもしれないが、自分では納得してしまった。自分にストーカーなんてつくわけがなかったな、と。
あの黒尽くめの正体には驚いたけれど、これで危険がなくなったとはっきりした。ルーシャは普通に外を出歩ける。
だが、そこでふと気になったので訊ねてみる。
「あの、この話のどこにおばあちゃんが関わるんでしょう?」
半分は祖母の話だったはずだが、今のところかすりもしない。
けれど、これを言ったらジャックはまた緊張したようにボソボソと言った。
「それは――」
「それは?」
「ウェズリーさんが、自分がもしいなくなったら孫のことが心配でならないと仰っていて」
祖母はいつでもルーシャを心配していてくれた。だから、ジャックが言うことも本当だろう。祖母を想ってほろりとした。
ジャックは意を決したように顔を上げ、ルーシャを見た。やっぱり綺麗な顔だな、とぼんやり思った。
「それで、僕に見守ってあげてほしいと頼まれたんです」
「そうなんですか?」
それで、生真面目にも額面通り見守っていたと。
――面白い人だ。
ルーシャはハハ、と笑った。
それでもジャックは真剣だった。
「それで、しばらくあなたを見守っていたんですが、その、いつの間にか、あなたのことを好きになっていて――」
「へ?」
今、ついでにすごいことを言われたような気がした。
ただ、この時、風を感じて振り返ると、戸口にブラッドが立っていた。




