24◆Bradley
ブラッドがルーシャを迎えに店まで行くと、いつもは一階で待っているのに、今日は姿が見えなかった。それでもレーンが落ち着いているので、前みたいに飛び出したのではないとわかる。二階でナタリーとかいう同僚と話し込んでいるのかもしれない。
そう思ったが、半分しか当たらなかった。
二階で話し込んでいるのだが、相手が違う。よりによっての相手だった。
「なんで?」
「なんでって何よ? 話があるって言うから」
と、レーンが意地悪く笑っている。
「話ならここでしろよ。なんで二人きりですんだよ」
「人がいるとできない話だからでしょ? 今頃、告られてるんじゃないかしらね」
ククク、と笑っているレーンのトウモロコシの髭みたいな色の髪を引っこ抜いてやりたい衝動に駆られたが、今は耐えた。
二階に上がるために階段の方へ行くと、背中に声がかけられた。
「あら、邪魔しに行くの?」
その言い方に腹が立ったので無視した。
ジャックがルーシャに必要以上の好意を持っていようと、それを堂々と伝えられるようなヤツではないと思う。ルーシャの前では借りてきた猫みたいになるのだから。
――というのはブラッドの思い込みだった。
扉を開けようとしてドアノブをつかむと、聞こえたのだ。ジャックの声が。
「それで、しばらくあなたを見守っていたんですが、その、いつの間にか、あなたのことを好きになっていて――」
「へっ?」
ルーシャの素っ頓狂な声がついてくる。
ゾワッと背中に悪寒のようなものが走り、ブラッドは衝動的に扉を開けていた。
机を挟んで向かい合う二人は慌ててブラッドの方を向いた。ジャックの視線には一般人にしておくには惜しいくらいの殺気がこもっている。
ルーシャはというと、とにかく焦っていた。
「ブ、ブラッド? もうそんな時間?」
何か言い方が白々しい。
今のを聞かれたのか、聞かれていないのか、確信がないからだろうか。
「帰るぞ」
短く言い放つと、ルーシャは立ち上がった。
「う、うん。ジャックさん、また……」
またとか言った。今度改めて返事をするという意味だろうか。
ジャックは軽くうなずいただけだった。
ルーシャはブラッドの方に駆け寄ってきたが、顔が赤い。それが気に入らなかった。
帰る道すがら、ルーシャはやたらとよく喋った。ただし、その話の中にジャックは出てこない。明らかに話をそちらから逸らすために喋り倒している。ブラッドの方からも訊かなかった。
なぜ訊かなかったのかというと、自分でもよくわからない。
その日の夕食は、ルーシャの動揺がはっきりと表れていた。
調味料を間違えた、塩辛いドレッシング。焦げたソテー。
「失敗したの。ごめんねぇ」
ごめんねぇ、と謝る。この間延びしたルーシャの口癖は、多分祖母から移ったのだろうなと聞くたびに思う。
目を伏せて、ルーシャは焦げたきのこをポリポリと食べた。多少失敗しても、ミリアムの料理よりは食べられる。
「いいよ、食えるし」
「ありがと」
ほっとしたように笑う。
その笑顔を見ていると、体の芯がキリキリと痛むような気がした。
その晩。
ブラッドは風呂に入り、先に部屋で休んでいた。
ルーシャはいつもより長風呂だった。風呂の中であれこれと考え事をしているのだろう。
誰のことを考えているのかがわかるだけに嫌な気分だった。
それでも、ルーシャが風呂から上がって家の中に入ってきた音がした。一応これは毎日確認する。そして、ルーシャは二階の自分の部屋へ引っ込んで朝まで下りてこない。それが通常だった。
けれど、この日は――。
ダダダダダダ――と盛大な物音と悲鳴を上げたのだった。
ブラッドは驚いてベッドから飛び降りると、扉を開け放って廊下に出た。
「ルーシャっ?」
階段から落ちたのだ。ルーシャは階段の下に転がっていた。
ブラッドは心臓が縮んだけれど、ルーシャは微かに動いている。死んではいない。
それでも、頭を打っているかもしれない。医者に診せるべきか――。
「う……」
ルーシャが自力で立ち上がりかけたので、ブラッドは慌ててルーシャの体を横抱きに抱き上げた。
「起き上がるな!」
「わっ!」
驚いたルーシャがブラッドの寝間着の腕の当たりをつかんだ。
この時、ブラッドは慌てていた。とりあえず寝かせておかないとと、自分の使っている一階のベッドにルーシャをなるべくそっと下ろした。
けれど、ルーシャはすぐに起き上がろうとする。
「だ、大丈夫だから!」
そう言ったルーシャの肩を押さえ、ベッドに沈める。
「急に起きるな! 頭、打ってないか?」
騎士仲間が任務の途中で頭を強く打ち、その時は平気そうに見えたのに、しばらくして激しく吐いて倒れたことがある。その時は大丈夫だと思えても、頭を打った時は急に動いてはいけない。
下手をすると、それが命取りになることすらあるのだ。今、ルーシャのそばにはブラッドしかいないのだから、ブラッドがそれを判断しなくてはならない。
「う、うん。頭は庇ったから……」
それを聞いて心底ほっとした。
ただし、ほっとしたらこの状況のマズさに気づいた。
風呂上りで肩を出した薄いネグリジェを着ただけの女を自分のベッドに運び、覆いかぶさって押さえつけているのである。
違う意味で冷や汗が出て、思考が停止した。
ルーシャはブラッドが女に興味がないと勘違いしたままだから、この状況でも取り乱したりはしなかった。勘違いされたままでよかったのかもしれない。
けれど、なんとなくブラッドを見上げるルーシャの目が潤んでいるような気がした。
驚いているのか、怯えているのか、それとも――。
手が汗ばむ。ブラッドがそっと肩から手をどけると、ルーシャの肌が赤くなっていた。
「ごめんねぇ。もっと気をつけるから」
ルーシャが申し訳なさそうに謝った。ベッドの上で。
喉がカラカラに乾いて、ブラッドは上手く声が出なかった。
ルーシャの肌の感触がまだ手に残っていた。
なんでもっとすぐに手を放せなかったのか、考えてはいけない。
ルーシャの頭の中からジャックを追い出してしまいたいと思ったなんて、本人には知られたくなかった。




